作品タイトル不明
セリウスは見てきた
話は少し、遡る。
セリウスが北の領地から戻ってきたローデンを見た時、思わず眉をひそめた。
……どうしたら、こんなに変わるのだ。
出立前のローデンは、常に張り詰めていた。誰も寄せ付けない刃のような空気をまとい、周囲を拒絶していた。
だが、今のローデンからは、その殺伐とした気配が薄れていた。
無論、穏やかになった訳ではない。
鋭さはある。静かな威圧感も消えていない。
けれど、その奥にあるものが違った。
まるで、何か一つだけ確かなものを掴んだ人間の目だった。
「……何があった?」
セリウスは思わず問いかけた。ローデンは答えない。
代わりに、懐から小さな包みを取り出した。
「ラニアの遺した物だ」
そう言って差し出されたのは、乾燥させたあの、薬草だった。
セリウスは目を細める。
「……妻に、か?」
「ああ」
短い返答。
今のところ、妻の体調に大きな問題は起きていない。だが、だからこそ“不安の芽”は早いうちに摘みたい。
無いよりは、あった方がいい。
セリウスは包みを見つめながら、小さく息を吐いた。
「これから、どうするんだ?」
つい、そう聞いていた。
ローデンは迷いなく答える。
「王に会う」
以前と同じ言葉だった。だが、あの頃とは何もかも違った。
セリウスは息を小さく吐いた。
何を得たのか。北で、一体何があったのか。
聞いても、きっと答えないだろう。
ローデンが王の前で「権力と金が欲しい」と告げてから、四年が過ぎた。
あの日、王は静かに告げたのだ。
「王都にはもう空いた席は無い。兄達の派閥が金も権力も握っている。今さらお前に分け与えれば、内乱になる」
だが、王は続けた。
「――ならば、お前自身で奪い取れ」
ローデンが前線で叩き潰した敵国。その旧首都と周辺領土。未だ荒れ果て、誰も完全には支配できていない危険地帯。
「そこを治めろ。略奪し、徴税し、人を従わせ、生かせ。お前が支配した土地は、そのままお前のものとして認める」
王は特権を与えた。
それは領主の権限であり、軍権であり、半ば独立した支配権だった。
ローデンは一言だけ答えた。
「わかった」
そして王の間を去った。
廊下に出た時、セリウスは低く言った。
「……本気でやるつもりか」
「やる」
迷いの無い返答だった。しかしその直後、ローデンは立ち止まり、セリウスを真っ直ぐ見た。
「今の俺には、その能力が無い」
セリウスは眉を寄せた。
「何が言いたい」
「教えてくれ」
ローデンは頭を下げた。
「軍の動かし方も、金の流れも、人の使い方も知らない。今までの俺は、前で敵を斬っていただけだ」
セリウスは言葉を失った。
かつてのローデンなら、絶対に言わなかった言葉だった。
「……お前、自分でそれを認めるのか」
「ああ」
ローデンは即答した。
「知らないまま進めば、全部潰す」
その眼差しは、異様なほど静かだった。
セリウスには分かった。
こいつは、本当に変わったのだと。以前のローデンなら、力だけで押し潰そうとしていた。だが今は違う。足りないものを理解し、それを埋めようとしている。
セリウスは額を押さえた。
「……俺にも仕事はある」
「わかってる」
「軍の勉強なんて、一年二年で終わるものじゃない」
「ああ」
「貴族共との駆け引きは、もっと面倒だぞ」
「それでも必要だ」
沈黙。そしてセリウスは、長く息を吐いた。
「……わかった」
断れなかった。
あまりにも真剣だったからだ。
それからの三年。
ローデンは、狂ったように学び始めた。
朝は軍議、昼は書類、夜は地図。
眠る前には歴史書と戦史。剣を振る時間より、机に向かう時間の方が長くなった。
始めは誰もが嗤った。
「あのローデンが勉強?」
「文字を読むより敵を斬る方が好きそうなのにな」
だが、ローデンは黙々と続けた。
セリウスは軍の運用を教えた。
「将は、自分一人で戦わないこと」
「兵站が止まれば軍は死ぬでしょう」
「強い兵より、崩れない兵を作りなさい」
古参の文官は徴税を教えた。
「民を搾り過ぎれば土地が死にます」
「だが甘やかせば軍が飢えます」
「数字を見なさい。感情で動かさない」
老将軍は言った。
「地形を覚えろ。戦は地面で決まる」
商人は笑った。
「金の匂いを覚えなさい。兵より先に、商人が土地を支配する事もあります」
ローデンは全部聞き、全部覚えた。
わからなければ、何度でも聞いた。
以前なら考えられない姿だった。
一年目。
ローデンは敵国旧領で、小規模な盗賊団すら上手く処理できなかった。力で押し潰した結果、村が焼け、税が消え、人が逃げた。
セリウスは容赦なく言った。
「下手だな」
ローデンは黙っていた。
「勝つだけなら猿でもできる。治めるなら、殺し方を考えろ」
ローデンは、その言葉を忘れなかった。
二年目。
少しずつ変化が現れた。
盗賊を討つだけでなく、一部を取り込み、道案内や警備に使う。飢えた村には最低限の食糧を流し、その代わりに徴税を安定させる。
暴れる兵は、自ら斬った。
「略奪は禁止しない。だが統制できないなら殺す」
その言葉に、兵達は震えた。
ローデンの軍は、徐々に変わっていった。
恐怖だけの軍ではなくなり、規律を持った軍へ。
三年目。
敵国旧首都。荒廃していたその地には、市場が戻り始めていた。兵が巡回し、商人が行き交う。徴税は安定し、周辺の小領主達はローデンに従属した。
そして、王都からの使者が告げた。
「陛下より命令です」
使者は頭を下げる。
「ローデン殿を、皇国北方軍総大将に任命する」
周囲が息を飲んだ。
総大将。それは単なる猛将ではなれない。軍を率い、土地を守り、人を生かす者だけが立てる場所。
ローデンは静かに命令書を受け取った。
かつてのような荒々しさは無い。しかし、その瞳の奥には、消えない何かが燃えていた。
セリウスは、その姿を見て苦笑した。
「……本当に、変わったな」
ローデンは少しだけ黙り。
そして低く答えた。
「……守るには、力だけじゃ足りない」
その言葉の意味を、セリウスは聞かなかった。