作品タイトル不明
ルイとラニア③
翌日、ルイは珍しく朝から食堂に姿を見せていた。
まだ朝日が柔らかく差し込む時間。白いクロスの敷かれた食卓には、焼きたての小さなパンと温かな麦粥、薄く割った葡萄酒が並んでいる。
侯爵は席についたルイを見て、思わず目を瞬かせた。アデライドもルイから目を離せない。
「……今日は、一緒に食べるのね」
ルイは少し照れたように頷いた。
「はい。お腹が空いていたので」
その言葉に、控えていた使用人達が静かにざわつく。
いつもなら朝はほとんど食べない。酷い時は部屋から出ることさえ嫌がる日もある。それを皆知っていたからだ。
リリアーナは隣で小さく微笑んだ。
「昨日、いっぱい遊んだわね」
すると、ラニアが椅子の上で元気よく頷いた。
「あそんだ!」
ルイはその声に少しだけ口元を緩める。
ラニアは朝から機嫌が良かった。小さなスプーンを握りしめ、一生懸命に粥を口へ運んでいる。
「らにあ、じょうず」
「ふふ、本当ね」
リリアーナが褒めると、ラニアは得意そうに胸を張った。
朝食後、ルイは家庭教師と共に午前の勉強へ向かった。古典語の読み書き、聖典の暗唱、礼儀作法。五歳という年齢ながら、侯爵家の跡継ぎとして求められるものは多い。
ラニアは最初こそ興味津々で部屋を覗いていたが、難しい話が始まるとすぐにリリアーナの元に行った。
「…つまんない」
ぼそりと呟いて、リリアーナのスカートにしがみつく。その姿に、アデライドは思わず笑った。
今日はルイの顔色が、明らかに良い。午前の勉強は、途中で横になることなく終えられたのだ。
そして正午。大広間で昼食が用意された。
香草を使った肉料理に柔らかな野菜の煮込み、焼きたてのパン。侯爵家らしい立派な食卓だった。
しかし、ルイは数口食べたところで動きが鈍くなった。
白い顔色が、少しずつ青くなっていく。アデライドはすぐに気づいた。
「……無理しなくていいのよ」
「いえ、大丈夫です」
そう答える声も、少し弱い。
リリアーナは心配そうにルイを見つめた。
その時、ラニアが椅子から降り、とことことルイの側へ歩いていく。
「るい」
小さな手が、ルイの袖をちょんと引っ張る。
「ねんね」
ラニアはじっとルイを見上げた。
ルイは困ったようにアデライドを見る。
「……でも、午後の勉強が」
するとアデライドは、柔らかく微笑んだ。
「いいわよ」
「お義母様?」
「今日は頑張ったもの。少し、休みましょう」
ルイは少し迷った後、小さく頷いた。
「……はい」
ラニアは嬉しそうに笑う。
「いっしょ!」
そのまま自然にルイの手を握った。小さな手は温かく、柔らかい。
ルイは目を瞬かせたが、振り払うことはしなかった。
二人はそのまま子供部屋へ向かう。
昼の柔らかな陽射しが差し込む部屋で、ラニアは当然のように寝台へよじ登った。
「るい、こっち」
「う、うん」
ルイも横になる。
するとラニアは満足そうに身体を寄せ、小さな腕でルイの腕に抱きついた。
「……らにあ?」
「ねる」
それだけ言って、ころんと目を閉じる。ルイは、その温かさに身体の力が抜けていくのを感じた。何の躊躇もなく寄り添ってくるラニアの存在は、不思議だった。
「……あったかい」
ぽつりと呟き、ルイもゆっくり目を閉じた。
二人の穏やかな寝息が重なる。
その様子を見守っていたアデライドは、静かに息を吐いた。
「……今日も、なの?」
「ええ」
リリアーナも小さく頷く。
使用人達も驚きを隠せない。
「ルイ様が。…信じられない」
「しかも誰かと一緒に……」
囁き声が広がっていく。
随分時間が過ぎ、目を覚ましたルイは不思議そうに瞬きをした。
けれども昼間より顔色が良い。
その夜の夕食では、さらに周囲を驚かせることになった。
「……今日は、まだ食べられそうです」
ルイがそう言って、いつもより多くスープを口にしたのだ。
侯爵は言った。
「無理は、してないか?」
「大丈夫です」
アデライドは思わず目を見開いた。
ラニアはそんな様子など気にもせず、眠そうにこくこくしている。
「ラニア、もう限界ね」
リリアーナが抱き上げると、ラニアはすぐ肩へ頬を預けた。
「ねむ……」
そのままラニアは、あっという間に眠ってしまった。
夜、静かな私室で、リリアーナはアデライドの話し相手をしながら、リュートを奏でていた。穏やかな音色が、静かな夜へ溶けていく。
アデライドはその音を聞きながら、小さく呟く。
「……来てくれて、本当に良かったわ」
リリアーナは少し驚いた後、柔らかく微笑んだ。
「何も、してませんけど…」
「そうじゃ、ないの」
アデライドは静かに首を振った。
そして、リュートの音色は夜更けまで静かに続いていった。