作品タイトル不明
リリアーナ達、公爵家に着く
リリアーナ達が王都へ着いて最初に向かったのは、公爵家だった。
かつて奉公人として過ごした場所。
広大な屋敷を前にして、リリアーナは無意識に背筋を伸ばした。ラニアはそんなリリアーナを見上げ、不思議そうに首を傾げる。
「どうしたの?」
「何でもないよ」
リリアーナは微笑み、小さな手を握った。
案内された応接間には、公爵夫妻が既に待っていた。公爵夫人は柔らかく微笑み、公爵は静かな眼差しでリリアーナを見る。
今のリリアーナは、次期辺境伯夫人なのだ。公爵家といえど、軽く扱える立場ではない。
リリアーナは丁寧に一礼した。
「お久しぶりでございます、閣下、奥様」
「よく来ましたね、リリアーナ」
公爵夫人が穏やかに言った。
「辺境での暮らしには慣れて?」
その声は優しい。
リリアーナは静かに答える。
「はい。公爵家で学ばせていただいた作法と教養のおかげで、夫の妻として恥じぬよう務めております」
公爵夫人の目が、わずかに細められた。かつての少女が、堂々と“次期辺境伯夫人”として立っている。その事実を確かめるように。
リリアーナは続けた。
「本日は、領地で採れた甘甘草をお持ちいたしました。こちらは乾燥させ、保存が効くようにしております」
そして、もう一つの箱を差し出す。
「こちらは魔鳥の鱗です。価値があると聞きましたので」
公爵の眉がわずかに動いた。
「……魔鳥の鱗か」
「はい」
「あの時以来だな」
その言葉には確かな感心が混じっていた。
公爵夫人が微笑む。
そこで、公爵の視線がラニアへ向いた。
「その子が、手紙にあったラニアか」
ラニアはじっと公爵を見ていたが、やがてリリアーナの服をきゅっと掴んだ。知らない場所に少し緊張しているらしい。
リリアーナは優しく頭を撫でる。
「娘です」
公爵夫人が目を細めた。
「可愛らしい子ね」
「……ひと、いっぱい」
ラニアが小さな声で呟く。
その言葉に、公爵夫人は思わず笑みを零した。
「ふふ。ええ、この家は人が多いものね」
リリアーナは胸を撫で下ろした。
すると公爵が不意に口を開く。
「……きちんと務めているようで、安心した」
リリアーナは一瞬、目を見開いた。
それは、公爵なりの労いだった。かつて、この場所に住んでいた少女への。
リリアーナは静かに頭を下げた。
「ありがとうございます」
お茶の用意が整った。
公爵夫人は静かに紅茶を置き、少し表情を和らげる。
「……アデライドについて、詳しく説明するわね」
リリアーナは姿勢を正した。ラニアはリリアーナの膝の上で、大人しく焼き菓子をもぐもぐと食べている。
「アデライドは二年前、宰相閣下のご子息へ嫁いだの」
リリアーナは目を瞬かせた。
宰相家、それは王都でも屈指の名門だ。
「侯爵家ですね……」
「ええ」
公爵夫人は頷く。
「ただし、後妻としてよ」
その言葉に、リリアーナは小さく息を呑んだ。公爵夫人は続ける。
「前の奥方は病で亡くなっているわ。そして、先妻の五歳になる男の子がいるの」
「……その子が、病弱なのですか?」
「ええ」
公爵夫人の声音が、わずかに沈んだ。
「昔はそうでもなかったそうなの。母親を亡くしたから……?随分と繊細な子になってしまって……」
リリアーナは静かに耳を傾ける。
「今は熱を出しやすく、食も細いわ。医師も薬師も呼んだけれど、決定的な改善は無いの」
「……そうですか」
「それに」
公爵夫人は少し言葉を選んだ。
「アデライドとも、なかなか打ち解けられないのよ」
リリアーナは理解した。
五歳は、まだ幼い。けれど、“母親が違う”ことを理解し始める年齢でもある。
「アデライドも頑張っているのだけれど……あの子は真面目だから」
公爵夫人は小さく息を吐いた。
「上手くいかないほど、自分を責めてしまうの」
リリアーナは自然とラニアを抱く腕に力を入れていた。ラニアは焼き菓子を食べながら、不思議そうにリリアーナを見上げる。
「そこで、お願いがあるの」
公爵夫人はリリアーナを見つめた。
「あなたとラニアには、アデライドに会ってほしいのよ。可能なら、滞在して欲しいわ」
「私達が、ですか?」
「ええ」
公爵夫人は優しく微笑んだ。
「アデライドには、まだ子どもがいないの」
その言葉に、リリアーナは静かに目を伏せた。
公爵夫人は知っている。リリアーナが、長く子どもに恵まれなかったことを。おそらく、どれだけ望み、どれだけ苦しみ、それでも笑っていたのかを。
「でも、ラニアを見たら……きっと勇気が出ると思うわ」
公爵夫人の声は穏やかだった。
「あなたは、ちゃんと母親になったもの」
リリアーナは思わずラニアを見た。ラニアはちょうど焼き菓子を食べ終わったところで、満足そうに頬を緩めている。
「おいしー」
その無邪気な声に、公爵夫人もふっと笑った。
「……髪の色が、貴女の色なのね」
リリアーナは胸の奥がじんわり熱くなるのを感じた。
かつて、自分が子どもを持っている未来など想像も出来なかった。それなのに今、自分はこうしてラニアを抱いている。
リリアーナは静かに頷いた。
「……私で良ければ、お力になりたいです」
公爵夫人は、安心したように微笑んだのだった。