作品タイトル不明
リリアーナとラニアの旅
馬車の旅が始まってから。
食事の時間になると、護衛達は街道脇で火を起こし、温かなスープや柔らかなパンを用意した。
リリアーナはラニアを膝に乗せ、小さな布を首元に結ぶ。
「はい、ちゃんと座って食べましょうね」
ラニアはこくりと頷いた。
けれども、いつもとは少し違った。スプーンを持つ手が、妙に慎重なのだ。
ぽた、と落とさないように。服に飛ばさないように。
ラニアは小さな口を開け、ゆっくりと食べる。そのたびに、ちらちらと自分の服を見ていた。
リリアーナは首を傾げた。
「……ラニア?」
「ん」
「今日は、ずいぶん静かなのね」
ラニアは真剣な顔で、こくこくとスープを飲む。そして、口元を自分で布で拭った。
護衛の一人が感心したように言った。
「本当に賢い子ですねえ」
「ええ……」
リリアーナは曖昧に返事をした。
ラニアはその後も、パンを小さくちぎって食べ、飲み物も少しずつ飲んだ。決して慌てない。決して食べ過ぎない。そして、半分ほど食べたところで、ぴたりと手を止めた。
「……あれ、もう食べないの?」
リリアーナは不安そうに聞く。
ラニアは首を横に振った。
「まんま、いっぱい」
幼い舌足らずな声。
「お腹いっぱい、なの?」
「ん!」
ラニアは力強く頷いた。
けれども、リリアーナの顔色は優れない。
「でも、こんな量で……大丈夫なの?」
馬車に乗っているだけとはいえ、成長期の子供だ。もっと食べなくて良いのだろうか。
そんなリリアーナに、護衛の一人が苦笑した。
「お腹が空いたら、また食べますよ」
「……そうなの?」
ラニアは、うんうん、と何度も頷いた。
その顔が妙に真剣で、護衛達は思わず笑いを堪える。
……もしかしたら、馬車で気持ち悪くなるのが嫌なのかな?
リリアーナはそんなラニアを見つめ、そっと髪を撫でた。
「……本当に、お利口ね」
ラニアは撫でられると嬉しそうに目を細め、身体を寄せる。そして小さな声で言った。
「だっこ」
「はいはい」
リリアーナが抱き上げると、ラニアは安心したように胸に頬を押しつけた。
その様子を見ながら、護衛の一人がぼそりと呟く。
「……旅慣れしてるみたいだな」
「一歳半ですよ?」
別の護衛が苦笑した。
しかし誰もが思っていた。
この子は、やっぱり少し不思議だ、と。
高い城壁をくぐった瞬間、空気が変わった。
人の声、馬の足音、荷車の軋む音、露店から漂う焼き菓子や香辛料の匂い。北の領地では見ないほど多くの人々が、絶え間なく行き交っている。
「街だよ、ラニア」
馬車の窓を少し開けながら、リリアーナは優しく言った。ラニアは羽毛のクッションの上で身体を起こし、目を丸くした。
「……ひと、いっぱい」
小さな声なのに、驚きと興奮がたっぷり詰まっている。
「うん。いっぱいだね」
ラニアは窓にぺたりと手をつけた。
「あっ!」
指差した先では、大道芸人が火の輪を回していた。
「ぴかぴか!」
「火だよ。危ないから近づいちゃ駄目なやつ」
「だめ!」
元気よく返事をして、また別の方を見る。
「あっ!うま!」
「ほんとだ。大きいねぇ」
「おっきー!」
今度は荷車を引く馬に夢中になる。
かと思えば、次には露店に吊るされた赤い布を見て、「あか!」と声を上げ、鐘の音が聞こえれば「こんこん!」と反応する。
本当に、ずっと忙しい。小さな身体いっぱいで世界を見ている。
リリアーナは思わず笑ってしまった。
「そんなにいっぱい見てたら、目が回っちゃうよ」
するとラニアは真剣な顔で言った。
「みる!」
「ふふ、そっか」
護衛の一人が苦笑した。
「元気ですねぇ」
「……ここまで来る間、かなり頑張ったもの」
リリアーナはそう答えながら、ラニアの髪を撫でた。
馬車酔いをして眠り込んだ日もあった。食事を吐かないよう少しずつ慎重に食べていた時もあった。それでもラニアは泣き言を言わず、小さな身体で旅に耐えた。
その事実に、リリアーナは胸がいっぱいになる。
ラニアは再び窓の外を見た。
「ねえねえ!」
「なあに?」
「おうち、いっぱい!」
「うん。王都だからね」
「たかい!」
「高い建物も多いねぇ」
くるくる変わる表情を見ているだけで、胸の奥が温かくなる。
リリアーナにとって王都は、楽しい思い出ばかりの場所ではなかった。苦しくて、惨めで、逃げ出したかった記憶もある。けれど。
「……?」
不意に、ラニアがこちらを見上げた。
「なあに?」
「げんき、ない?」
リリアーナは目を瞬かせた。
「……え?」
ラニアはじっとリリアーナを見つめている。
その銀の瞳は、時々驚くほど鋭い。まだ一歳半の子供なのに、どうしてそんな事に気づくのだろう、とリリアーナは時々思う。
「元気よ?」
リリアーナは微笑んで答えた。
するとラニアは、少し考えるように首を傾げ、それからぎゅっとリリアーナへ抱きついた。
「……なら、いい!」
その無邪気な声に、リリアーナは思わず笑ってしまう。
リリアーナはそっとラニアを抱き寄せた。ラニアは当然のようにリリアーナへ寄りかかる。
「ついたね」
「ついた!」
元気よく返事をして、またリリアーナに抱きつく。
その姿に、リリアーナは目を細めた。
……ここまで、よく無事に。
ようやく辿り着いた安心感に、リリアーナはラニアを優しく抱きしめた。