軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

生後七ヶ月

ラニアが生まれて、七ヶ月が過ぎた。

床に座らせると、もうぐらつくことはほとんどない。

小さな身体で、しっかりと上体を起こし、そのまま周囲を見渡している。

「……安定してるな」

エドモンドはラニアから少し離れた所で見ていた。

「うん。もう一人で座っていられるよ」

リリアーナはそう言って、エドモンドの隣に座った。ラニアはそれを見て、

「ま……あー」

何かを言おうとするように、声を出した。

「今の、聞いた?」

リリアーナがぱっと顔を上げる。

「何か、言葉に聞こえるが……」

エドモンドには、それが真似なのかどうかは分からない。

ラニアは楽しそうに声を繰り返す。意味はまだないけれど、確かに“誰かに向けた声”だった。

そのまま、近くに置いてあった木のおもちゃに手を伸ばす。

掴み、持ち上げ、反対の手に持ち替える。

「……器用になったな」

エドモンドがぽつりと言う。

ラニアはさらに、おもちゃを軽く叩いた。

こんこん、と小さな音が鳴る。

それが楽しいのか、もう一度叩いて、笑う。

「何でも遊びになるのね」

リリアーナは口元を緩めた。

しばらくすると、ラニアは身体を前に倒した。そのまま、腹ばいになる。

「……来るか?」

エドモンドが低く呟く。

ラニアは、両腕で床を押し、足をばたつかせた。少しずつ、少しずつ、前へ進む。

「動いた……!」

リリアーナが思わず声を上げる。

ほんのわずかだが、確かに距離が縮まった。

ラニアはそのまま、目標を見つける。布だ。

少し離れた場所に落ちていた布を見つけ、そこへ向かって進む。

ずり、ずり、と身体を引きずるように。

「ずりばいか」

エドモンドは呟いた。

「これから、どんどん動くようになるらしいぞ」

エドモンドは、マルグリットに赤ちゃんの成長について教えて貰ったのだ。

ラニアはようやく布にたどり着き、満足そうにそれを掴んだ。

「……やっぱり口に入れるのね」

リリアーナが苦笑する。

ラニアは布を噛んだり、「あー」と声を出したりしていた。

その日の午後。

リリアーナはラニアに離乳食を与えていた。

小さな器に入ったやわらかい食事を、スプーンで少しすくい口元へ運ぶ。

「はい、あーん」

ラニアは口を開け、もぐもぐと顎を動かす。

まだぎこちないが、しっかりと“食べて”いる。

「上手だね」

リリアーナが優しく声をかける。ラニアは食べながらも、スプーンへ手を伸ばした。

「それは、まだ持たなくていいよ」

そう言いながらも、その意欲にリリアーナは微笑んだ。一日に二度の食事。少しずつ、量も種類も増えていく。

「ちゃんと成長してるな」

エドモンドは優しい瞳でラニアを見ていた。

夜。ラニアの様子が、いつもと違った。

寝返りを打つたび、小さく唸るような声を漏らす。呼吸も、少し熱を帯びている気がした。

「……ラニア?」

リリアーナは眠気を振り払い、急いで身体を起こす。ラニアは薄く目を開けたが、すぐに眉を寄せてぐずり始めた。

いつものような甘える泣き方ではない。苦しそうな、弱い声。嫌な予感がした。

リリアーナは慌ててラニアを抱き上げ、そして、息を呑んだ。

「……熱い」

頬も、額も、小さな身体全体がじんわりと熱を持っている。

七ヶ月になったラニアは、以前よりずっと動くようになっていた。昼間は元気にずり這いをして、笑って、声を上げていた。だからこそ、その変化が恐ろしいほど分かった。

「エドモンド様……!」

呼ばれて、エドモンドがすぐに起きる。ラニアの顔を見るなり、表情が険しくなった。

「熱か」

その声には隠しきれない緊張が滲んでいた。

マルグリットも呼ばれ、部屋の空気が一気に張り詰める。濡らした布を用意し、身体を冷やし、水を少しずつ飲ませる。

それでも、ラニアは苦しそうに小さく泣いた。

「ぅ……あ……」

弱々しい声。

リリアーナは胸が締めつけられた。

「大丈夫……大丈夫だから」

そう言いながら、何度も布を替える。

けれど本当は、自分自身が一番不安だった。

枕元には、小さなお守りが置かれていた。

幼い子を悪いものから守るためのもの。普段なら、ただの願掛けだと思えたかもしれない。けれど今夜だけは、縋りたかった。

……どうか、ラニアを守って。

リリアーナは何度も祈る。

ラニアが少し眠れば呼吸を確かめ、小さく動けばすぐに顔を覗き込む。

夜は、とても長かった。

結局リリアーナは、一睡もできないまま朝を迎えることになるのだった。

四日後。

ようやくラニアの熱が下がった。

小さな身体から、あの異様な熱が消えている。呼吸も穏やかで、眠る顔も苦しそうではない。

「……よかった」

リリアーナは、力が抜けたように呟いた。

目の下には濃い隈が浮かんでいる。この四日間、まともに眠っていないのは誰の目にも明らかだった。

マルグリットも静かに息を吐き、エドモンドも険しかった表情をわずかに緩める。部屋全体に、ようやく安堵が広がった。その時だった。ふと、オルフェウスが口を開く。

「……リリアーナの治癒は使えないのか?」

「……へ?」

間の抜けた声が、リリアーナの口から漏れた。全員が、一瞬沈黙する。

リリアーナ自身が、一番驚いていた。

……全く、考えていなかった。

呆然としたまま、腕の中のラニアを見る。

ラニアは、きょとんとした顔でリリアーナを見つめ返していた。

「……どうなのでしょう」

リリアーナは困ったように言う。

「赤ちゃんは、治したことが無いから……」

言葉が、曖昧に消える。実際、試したことがなかった。傷や病を癒す力。けれど、生まれて間もない子供に使っていいものなのか。

未熟な身体に、どんな影響が出るのか。

考えれば考えるほど、怖くなる。

「……そうだな」

オルフェウスも、それ以上は言わなかった。

けれども、部屋の空気は、なんとも言えず微妙だった。

エドモンドは静かに視線を逸らし、マルグリットは小さく咳払いをする。

まるで、“誰も思いつかなかった”ことを、全員が薄々気づいてしまったような空気だった。

リリアーナは、そっとラニアを抱き直す。

ラニアは何も知らない顔で、リリアーナの服を小さな手で掴んでいた。