作品タイトル不明
生後六ヶ月
ラニアが生まれて、六ヶ月が過ぎた。
床に寝かせておくと、もうじっとしていることはほとんどない。ころり、と寝返りを打ち、反対側へ。また、ころり、と戻る。
「……よく転がるね」
リリアーナが少し困ったように笑う。
ラニアはそんなことは気にせず、楽しそうに声を上げた。
「あー、ままま」
繰り返す音は、意味はなくても確かに“呼ぼう”としている響きだった。
「今の、ママって言った?」
「まだだろう。でも、もうすぐかもしれんな」
オルフェウスは口元を緩めて言った。時間を作っては、ラニアを見に来ていたオルフェウスだった。
「……でも、ロキに向かってる時。ろー、て聞こえるのだけど」
「……そうだな。もしかしたらこの子は、とても凄いのかもしれん」
オルフェウスの顔が崩れた。
「……」
リリアーナは、ちらりとオルフェウスを見て、少し口元が緩んだ。
ラニアはそのまま、近くにあった木の玩具を掴んだ。片手で持ち上げ、少し考えるように見つめる。そして、もう片方の手へ、持ち替えた。
「持ち替えた……」
リリアーナが目を丸くする。
ラニアはさらに、それを振って音を鳴らした。から、と軽い音。それが気に入ったのか、何度も繰り返す。
「手先も、ずいぶん器用になってきたな」
部屋に入ってきた、エドモンドが言った。
その声に反応して、ラニアが顔を向け、エドモンドをじっと見つめる。
――けれど。次の瞬間、少しだけ顔をしかめた。
「……あ」
リリアーナが気づく。
ラニアはそのまま、視線を逸らし、身体をひねってリリアーナの方へ近づこうとする。
「……エドモンド、何をした?」
オルフェウスはエドモンドを見て言う。
エドモンドは、何も言えなかった。
ラニアはずり、と身体を前に引きずった。
少しずつ確実に進む、目標は――リリアーナの足元だった。
「来るの?」
リリアーナが手を差し出す。ラニアはそこへ向かって、懸命に進んだ。その途中で、ふと止まる。
何かに気づいたように、床を見つめる。
そして――迷いなく、それを掴んだ。
小さな布の人形を、口へ運ぶ。
「私よりも、人形……」
リリアーナは少しラニアを見つめてから、それをそっと取り上げた。
その日の午後。
ラニアは、両手をついて身体を支えながら座っていた。まだ背中は丸く、完全ではない。
それでも、数分はそのままでいられる。
「おすわり、上手になってきたわね」
マルグリットが優しく声をかける。
「あっ、危ない」
ラニアの身体がぐらりと揺れた。
リリアーナは慌ててクッションを取りに走り、ラニアの周りに、いくつか置く。
「これで大丈夫」
少し息をつきながら言うが、ラニアは、そんなことなど気にせず、再び身体を揺らした。
ぐらり、と傾くが、クッションに倒れる前に手をついて持ち直す。
「……あれ?ちゃんと、支えられるようになってる」
ラニアは満足そうに「あー」と声を出した。
リリアーナはラニアを見て、
「ちょっと、口……」
そっと指を近づける。ラニアはそれを掴んで、口に入れようとした。
「だめだよ」
そう言いもう片方の手でラニアの手を掴み、優しく口元を見る。見えたのは、小さな白いもの。
「……歯?……マルグリット様、もう、歯が生えるのですか?」
リリアーナは聞いた。マルグリットはラニアの口を覗き込み、微笑んだ。
「生えてきたのね」
ラニアは少しだけ不機嫌そうに口をもごもごさせた。
「むずむずするのよ」
「だから、何でも口に……」
リリアーナは納得したように頷いた。
夕方になると、ラニアはぐずることが増えていた。
「……どうしたの?」
抱き上げると、すぐには泣き止まない。小さな手で、リリアーナの服を掴む。
「……疲れたの?」
「それもあるけど……。そうね、きっと気持ちが増えてきているのよ」
マルグリットは静かに言った。
「エドモンドなんて、本当に毎日夕方泣いてたわ」
「……覚えているのですね」
「ええ。オルフェウスは全く見てくれなかった日々ですから」
その言葉は、少し棘が入っていた。
ラニアはしばらくして、ようやく落ち着いた。そのまま、リリアーナの胸に顔を埋める。
「……大丈夫だよ」
リリアーナは優しく背を撫でた。
外では、やわらかな風が吹いていた。
日々、少しずつできることが増えていく。
身体も、心も。そのすべてを受け止めながら。
この頃に、ローデンが北の領地に来たのだった。
ローデンは気づく。確かに、失った筈のラニアが存在していると。だが彼は、その事実を誰にも告げなかった。
胸の奥に、静かにしまい込む。
ロキを除いて、これは、自分だけが知っていればいい。
これは、自分だけのものなのだから。
そして、ラニアがローデンには笑顔の事実に、密かに胸を痛めたエドモンドだった。