作品タイトル不明
とある集落③
ある日のことだった。
人の輪の中で静かに佇むセラフィーネの前に、ひとりの女性が進み出た。
金の髪に、澄んだ緑の瞳。はっきりとした美しさを持つ女、シルビアだった。
「……あなた、いい加減にしてくれない?」
鋭く、まっすぐな声。セラフィーネは、わずかに首を傾げる。
「……何をかしら?」
薄く、やわらかな微笑み。
「とぼけないで。男達を骨抜きにして、何言ってんのよ」
空気が、ぴり、と張り詰めた。セラフィーネは小さく瞬きをし、知らないわ、とでも言うように視線を伏せる。
「狙うなら、一人に絞ってよ。迷惑よ」
その言葉に、セラフィーネの表情が、ふっと陰る。
「……でも」
かすかに、声が揺れた。
「受け入れてくれる、って約束したのに……待て、って言うのです」
そう言って、静かに視線を落とす。
それだけで十分だった。周囲の空気が、一瞬で変わる。誰もが理解した。
……ラディンだ。
他に、いない、しかも“約束”。
その言葉の重さが、静かに広がっていく。
数刻後、ラディンは、女たちに囲まれていた。逃げ場はない。
「……どういう事なのかしら?」
先頭に立つシルビアが、冷ややかに口を開く。
「……話せない」
ラディンは、慎重に言葉を選んだ。ここで何かを口にすれば、セラフィーネの素性にまで踏み込まれる。それだけは、避けなければならない。
しかし、その沈黙は、別の意味に取られる。
「男として、責任はあるのかしら」
間髪入れず、追い打ちがかかる。
「何もかも、捨ててきた、って言ってたのよ」
「そう、肩を震わせてね」
「それなのに、知らない振りをしてたの?」
「最低だわ」
「いつも姿が無いと思ったら、そんな事をしていたなんて」
言葉が、途切れない。
一つ返せば、五つ返ってくる。反論の余地など、最初から与えられていなかった。
「……」
ラディンは、ただ耐える。拳を握りしめながら。そして。
「……わかった。きちんと向き合う」
ようやく、絞り出す。その声は、かすれていた。
「当然よ」
シルビアは、冷たく言い放つ。女たちは満足げに、勝ち誇ったような顔で散っていった。
残されたのは、ラディン一人。
「……嘘、だろ」
足元が揺れる。崩れ落ちそうになる身体を、どうにか踏みとどめた。
ラディンは、再びセラフィーネに声をかけた。
「……二人で話がしたい」
その言葉に、周囲の人々はどこか納得したように頷いた。当然の流れだ、とでも言うように。セラフィーネは微笑み、何も言わずに立ち上がる。
再び、森へ。
人の気配が消えたのを確かめてから、ラディンはようやく口を開いた。
「……どうして、俺なんだ」
呻くような声だった。
セラフィーネは、変わらぬ微笑みを浮かべたまま答える。
「貴方の側に置いてくれればいいのよ」
一歩、近づく。
「妻として」
その言葉に、ラディンの顔から血の気が引いた。
「受け入れる、って……そういう事よね?」
逃げ場を塞ぐように、さらに距離を詰める。
ラディンは、言葉を失った。
「私が一言、ここで“貴方は最低だわ”って叫んでもいいのよ?」
柔らかな声音だけれど、その奥にあるものは、決して柔らかくはない。
「……それは、やめてくれ」
微かな、ラディンの声。
セラフィーネは、わずかに笑みを深めた。
「では――旦那様、とお呼びしても?」
「……好きにしてくれ」
「上辺だけなら、最低男の烙印を重ねてもいいのよ?」
「……努力する」
それで、決まった。逃げ場のない選択。しかし、選んだのはラディン自身だった。
こうして、ひとつの“結婚”が、成立した。
セラフィーネは、そっとラディンの耳元に顔を寄せる。
「今夜から、始めるわ」
吐息のかかる距離で、囁いた。
「……本気なのか?」
わずかに掠れた声。
「二度も言わせないで」
その返答に、迷いはなかった。
――この一連の出来事は。
後々まで、集落の中で語り草となることになる。
ラディンは、どこへ行っても声をかけられるようになった。
「おい新婚、さっさと帰れよ」
「泊まりなんて行くんじゃねえぞ」
「セラフィーネを泣かしたら……分かってるわよね?」
笑っているようで、笑っていない。冗談の形をした、圧力だった。
ラディンは、何も言い返せない。
一方で、セラフィーネもまた――集落の中で注目の的だった。
美しい容姿、澄んだ歌声、指先から紡がれるリュートの音。誰が見ても、目を奪われる存在。そんな彼女に、誰かが気軽に尋ねる。
「優しくしてもらってるのかい?」
セラフィーネは、ほんの少しだけ頬を染めて。
「……はい」
そう、静かに答える。それだけで、周囲の空気が爆発した。
「ラディンは、いいよな……」
「はあ……セラフィーネさん……」
「男共、しゃきっとしな!」
あちこちで、ため息と叱咤が入り混じる。
さらに追い打ちのように、別の問いが飛ぶ。
「どうして、ラディンなのさ?」
セラフィーネは、少しだけ視線を伏せてから答えた。
「……彼は、優しくて……勇気があり、私を助けてくれたのです」
恥じらうような声音。
その言葉に、誰もが納得した。いや、納得させられた。
……そりゃあ、応援するしかないだろう。
そう思わせるだけの説得力が、あった。
……女は、恐ろしい。
ラディンは、集落にすっかり馴染んでいるセラフィーネの姿を見ながら、心の底からそう思った。
確かに、彼女に、可愛いところがあるのは分かる。ふとした仕草や、わずかな表情の揺れ。そういうものに、目が留まることもあった。
それでも、だ。
ラディンは、知らない。
もしあの時、あの森で、話が拗れていたなら。今とは比べ物にならないほど厄介で、逃げ場のない状況が待っていたことを。
そして、セラフィーネ自身もまた、最後の手段に至らずに済んだことに、内心で安堵していたことを。
互いに「好き」と、一言も言っていない。
それなのに、すべては決着し、流れに押し流されるように、二人は“夫婦”としての生活へと踏み込んでいた。
奇妙で、強引で、それでも、集落の人々はその関係を疑わなかった。
むしろ、温かく受け入れた。
祝福と、期待と、少しの羨望を込めて。
そのような事件があり、ラディンはリリアーナの出産後に、全てを知る事になる。
そして、セラフィーネからの結婚したという手紙を読んだセレナは思った。
……お姉様、幸せになってください。
あの薬、リリアーナが作った物の再現であり、口にさせた事は絶対に言えない、と誓いつつ。