作品タイトル不明
とある集落②
ラディンは、セラフィーネが一人になる瞬間を待っていた。
だが――その機会は、なかなか訪れない。
彼女の周囲には、常に誰かがいた。歌を聴く者、話しかける者、ただ見つめる者。
途切れることがない。
……仕方ない。
そう判断したラディンは、人の輪がまだ残る中で、あえて声をかけた。
「少し、話があるのだが」
セラフィーネは、いつものように微笑む。
「この場所でですか?それとも、席を外して?」
「できれば、二人がいいのだが」
その言葉に、周囲の空気が、ぴたりと止まった。誰もが息を呑む。
「では、あなたの家で?」
セラフィーネは微笑みを崩さない。
「いや」
ラディンは即座に否定して――その瞬間、気づいた。周囲が、異様なほど静まり返っていることに。
視線が、一斉に集まっている。
「……取り敢えず、こい」
それ以上考えるのをやめるように、ラディンはセラフィーネの手を取った。
そして、そのまま森へと歩き出す。
背中に、無数の視線が突き刺さっていた。
痛いほどに。
だがセラフィーネは、振り返ることもなく、微笑みを崩さなかった。
森の中。
人気のない場所まで来て、ラディンはようやく足を止めた。
周囲を慎重に見回し、誰もいないことを何度も確かめる。それから、低く言った。
「……どういうつもりだ」
セラフィーネは、微笑んだまま一歩近づく。
ラディンは、反射的に一歩下がった。
「……逃げるの?」
柔らかな声。
「いや、目的が知りたいんだ」
ラディンは視線を逸らさずに答えた。
セラフィーネは、わずかに笑みを深める。
「……知っているのに?」
「……」
ラディンは、答えなかった。
代わりに、別の問いを投げる。
「……島は?」
「セレナが、送り出してくれたの」
「は?」
思わず、声が漏れる。
「行くべきです、って」
セラフィーネは、じっとラディンを見つめていた。逃げ場を与えないように。そして――ゆっくりと、顔を伏せる。
「……まさか、嘘なんて、言わないわよね?」
その声は、かすかに震えていた。
ラディンの胸の奥が、強く揺れる。
……嘘だろう?
そんなはずがない。あの時の言葉を、ここまで真に受けるなど。ラディンは、何も言えなかった。
沈黙が落ちる。やがてセラフィーネは、とうとう顔を手で覆った。その肩が、わずかに揺れる。
ラディンは――動けない。
何を言えばいいのか、分からなかった。
セラフィーネもまた、動かない。
森の中に、二人きりの静寂が満ちる。
――そのはずだったが。
その光景を遠くから、じっと見つめている複数の視線があった。
「……考える時間が欲しい」
ラディンはそう言い残し、その場を離れた。
残されたセラフィーネは、しばらくその場に立ち尽くしていた。
やがて、強く目元を擦る。一度だけ、深く息を吸い、何事もなかったかのように、集落へと戻っていった。
けれど、人々は見ていた。
彼女の瞳が、赤く染まっていることを。そして、いつも以上に儚げな雰囲気を纏っていることを。
誰も、口には出さない。
「ラディンと何があった?」
その問いを投げかけるには、あまりにも空気が重かった。
セラフィーネは、ただ静かにリュートを手に取り、歌う。
どこか、悲しげな旋律、胸の奥に、ひどく残る声で。
その夜、ラディンの元を弟が訪れた。
「……相手が、兄さんだったとはね」
低く、押し殺した声。
「お幸せに」
それだけ言って――弟は背を向けた。
落胆を隠しきれないまま、振り返ることもなく去っていく。
「……」
ラディンは、何も言えなかった。
翌日、今度は母親がやって来た。
「あんな綺麗な女性を泣かすなんて……」
声は震えていた。
「何をしてるの。一体、何をしたの」
言いながら、その場でさめざめと泣き出す。
ラディンは、言葉を失った。
何もしていない。本当に、手も足も出していない。
それでも、現実はそうは見えない。
セラフィーネの涙、赤くなった瞳、あの日の出来事、それらすべてが、勝手に繋がり――ひとつの“物語”として、人々の中に出来上がっていた。
そしてその中心にいるのは、ラディンだった。
……違う。
そう思っても、誰にも届かない。
気づけば、周囲の視線ははっきりと変わっていた。
責めるようなもの、探るようなもの、そしてどこか、距離を置くようなもの。
ラディンは、そのすべてを真正面から突きつけられていた。