作品タイトル不明
とある集落①
それは、ラディンが部族の集落へ戻ってから、しばらく経ったある日のことだった。
風に乗って、リュートの音色が流れてきた。
どこか懐かしく、耳に残る旋律。
一人の弾き語りが、ふらりと集落へ姿を現した。
長い髪を揺らし、静かに微笑むその女性に、何人かはすぐに気づいた。
「……ああ、あの時の」
かつて、紫の髪の少女と共に訪れたことのある、美しい旅の音楽家。
「今回は、一人なのですね」
「いつまで此方にいるのですか?」
興味を隠さず、次々に問いが向けられる。
だが女性は、曖昧に微笑むだけだった。
「さあ……どうかしら」
答えを濁すように、軽く首を傾げる。
そのやり取りを、少し離れた場所から見ていたラディンは、その姿を捉えた瞬間動きを止めた。
息が詰まる、セラフィーネ、間違いない。
……本当に、来たのか。
胸の奥で、何かがざわめく。
思い出す、あの時の言葉。
「来たのなら、いいぞ」
軽く言ったつもりだった。それがこんな形で返ってくるとは、思っていなかった。
ラディンは、無意識に一歩、踏み出しかけて止まった。
その時、セラフィーネの視線がわずかにこちらを捉えた。一瞬、確かに、目が合う。
けれど、彼女は、ふいと視線を逸らした。
何事もなかったかのように。
そのまま、別の者たちの輪へと加わる。
ラディンは、動けなかった。
……どういうことだ。
来たのなら――会いに来るはずだ。
少なくとも、言葉のひとつくらいは。
それなのに、彼女は、近寄ろうともしない。
目的が、違うのか……?
それとも?考えが、まとまらない。
ただ一つ確かなのは、セラフィーネはそこにいるのに。決して、ラディンのもとへは来ないということだった。
彼女は集落での日を、重ねていった。
ある日、ラディンのもとへ、ひとりの青年が息を切らして駆け込んできた。彼の弟だった。
「兄さん!」
勢いよく声を上げる。
「俺、セラフィーネに告白しようと思う!」
「……」
ラディンは、言葉を失った。
あまりにも唐突で――あまりにも、軽率に聞こえたからだ。
「……どうして、そうなる?」
ようやく絞り出したのは、それだけだった。
弟は迷いなく答える。
「だって、彼女は俺の事、他の奴よりずっと見てる。これは気のせいじゃない!」
頬を染め、どこか浮かれた様子だった。
ラディンは、無言のまま弟を見つめる。
確かに、二人は兄弟だ。似ていないはずがない。だが――それでも。
……あいつの“それ”を、見誤るか?
セラフィーネがどれほどの存在か、弟も知っているはずだった。
その強さも、距離の取り方も。それなのに、なぜこうなる。弟はなおも続けた。
「彼女、言ってたんだ。もう若くないから、そろそろと思ってるのです……って」
少し声を落とし、思い出すように言う。
「とっても恥じらいつつ。俺の前で」
だが――それは、事実とは限らない。その場には、弟以外にも独身の男がいたはずだ。
おそらく誰もが同じように、その言葉を自分に向けられたものだと思っただろう。
そして、あの微笑み。あれに、勘違いしない者の方が少ない。
「……少し、待ってくれないか」
ラディンは低く言った。弟は、ぴたりと動きを止める。
「兄さん、後から入るのは許さないからね」
じろりと、疑うような目を向けてくる。
「……入る気はない」
ラディンは即座に否定した。それは偽りではない。けれど、このまま放っておける話でもなかった。
「いや、本人に少し確認したいだけだ」
その言葉に、弟はさらに眉をひそめる。
「確認、ねぇ……」
納得している様子ではなかった。
だが、ほんの少しだけ熱が冷めたのか、
「まあ、何の確認かは知らないけど……」
そう言い残し、弟はその場を離れていった。
足音が遠ざかる。
「……」
ラディンは、その場に立ち尽くしたまま、深く息を吐いた。
こめかみの奥が、じわりと重い。
……何をしているんだ、あいつは。
放っておけば、確実に面倒なことになる。
ラディンは、頭痛を覚えずにはいられなかった。