作品タイトル不明
シルヴァルナ島④
その夜。
シルヴァルナ島は静まり返り、波の音だけが遠くに響いていた。
セレナ王女は、一人、窓辺に立っていた。
胸の内に渦巻くものを、どう処理すればいいのか分からないまま――静かに目を閉じる。
「……ねえ。お姉様は……どうするのが、一番いいのかしら」
小さく、呼びかける。
応えるように、精霊の気配が寄り添った。セレナは、その言葉を聞いていた。そして。
「……え?」
思わず声が漏れる。
頬が、みるみる赤くなる。かと思えば、次の瞬間には青ざめる。
「そ、そんなこと……言えないわ」
慌てて首を振る、けれど精霊の声は、容赦なく続いた。
「で、でも……それなら……」
言葉が途切れ、視線が泳ぐ。やがて、長い沈黙のあと、セレナはその場に座り込んだ。
「……無理よ……」
ぐったりと力を失った身体。けれども、その瞳だけは、異様なほどに輝いていた。
翌日、セレナは意を決して声をかけた。
「お姉様、少し話があるのです」
セラフィーネは、わずかに肩を揺らした。
視線を合わせることができない。けれど、セレナの声音があまりに真剣で、逃げることもできなかった。
「……話、って何かしら?」
何事もなかったかのように、覚えていないふりをして、言う。
セレナは、まっすぐに見つめた。
「お姉様は――きちんと、自分の気持ちを伝えたのですか?」
一切の遠慮のない、正論だった。
「……もし、私があなたの所に行ったら、では……駄目なのかしら?」
セラフィーネは、努めて平静を装う。
だがその言葉には、かすかな揺らぎがあった。
「駄目です」
間髪入れず、切り捨てる。
「男は、好意を直接向けないと分からない生き物らしいです」
言い切るその様子は、妙に自信に満ちていた。
「……そうなのかしら?」
セラフィーネは、戸惑う。
これまで、相手から寄ってくるのが当たり前だった。自分から何かを示す必要など、なかった。――だからこそ、分からない。
「それに」
セレナは続ける。
「庇護欲、というものを刺激するべきなのです」
「……庇護欲?」
聞き慣れない言葉に、セラフィーネは眉をひそめた。セレナ自身も、完全に理解しているわけではない。けれど――必要だと、精霊は言った。
「……難しいわ」
正直な言葉だった。
「まだ、間に合うはずです。外堀から、埋めるのです」
セレナの声は、強かった。その言葉に、セラフィーネはわずかに目を見開く。
「……セレナ、いつの間に」
驚きを隠せない声音。
「聞いただけです」
少しだけ視線を逸らしながら、セレナは言った。
「でも……。今のお姉様は、私の好きなお姉様じゃないのです」
再び、姉を見る。セレナの目から、涙がこぼれた。
「島を出るべきです」
震える声で、それでもはっきりと言う。
「ちゃんと伝えて……それで駄目だったら、帰ってきてください」
本当は、ずっと、ここにいてほしい。離れてほしくなんて、ない。けれど。
「……」
セレナは、言葉を飲み込む。揺れる気持ちのまま、それでも前を向いていた。
セラフィーネは、何も言えなかった。ただ、目の前の妹を見つめる。
その小さな背に、どれだけの覚悟があるのか。ようやく――理解した気がした。
「……でも……」
セラフィーネは、言葉を濁した。
決意しかけた心に、ためらいが影を落とす。
その様子を見たセレナは、静かに彼女の隣へ腰を下ろした。そして、そっと身を寄せる。
「……お姉様」
周囲には聞こえないほどの小さな声で、セレナは、耳元で何かを告げた。
セラフィーネの目が、大きく見開かれる。
驚き、戸惑い、そして、わずかな――動揺。
やがて沈黙が落ちた。長く、重い時間。そして、ようやく――
「……わかったわ……」
低く、重々しい声で言う。
「でも……きっと、無理だと思う」
そう続けて、ゆっくりと首を振った。
「それは、実行する前に言うことでは、ないです。お姉様」
その瞳は、まっすぐで、揺らがない。
セラフィーネは、その視線を受け止めた。逃げ場は、もうない。
ほんの一瞬目を閉じ、そして、静かに息を吐いた。決めたのだ。
そうして、シルヴァルナ島を出る日が来た。
セラフィーネは、リュートを手にしていた。
旅の装いは軽く、それでも迷いはなかった。
風が吹く。長い髪が、やわらかく揺れた。
背後には、島。守るべきもの、捨てられないもの。それでも彼女は、一歩を踏み出す。
胸の奥にある想いを、今度こそ伝えるために。