作品タイトル不明
生後一ヶ月
生後一ヶ月が過ぎた頃、ラニアはすっかり“赤ちゃんらしい”姿になっていた。
頬はふっくらと丸くなり、腕や脚にも柔らかな肉がついている。抱き上げると、以前よりもわずかに重みを感じた。
「……大きくなったね」
リリアーナはそう呟きながら、腕の中のラニアを見つめた。
ラニアは小さな手をぱたぱたと動かし、何かを掴もうとするように空を泳ぐ。その動きが可笑しくて、リリアーナはふっと微笑んだ。
「あー……うー……」
機嫌がいいのか、ラニアは小さな声を漏らす。その視線は、じっとリリアーナの顔を追っていた。
「……見えてるのかな」
顔を少し近づけると、ラニアの瞳がゆっくりと動く。まだぼんやりとしか見えていないはずなのに、それでも確かに“見ようとしている”のが分かった。
「ラニア」
優しく名前を呼ぶ。すると、小さな口がわずかに開いて、また声が漏れた。
それだけで、胸が満たされるようだった。
生活は、相変わらず単調だった。眠って、起きて、飲んで、また眠る。それを一日に何度も繰り返す。夜も関係ない。
ラニアが目を覚ませば、リリアーナも起きる。泣けば抱き上げ、あやし、飲ませる。
また眠れば、リリアーナもそのまま横になる。
「……よく、そんなに起きられるな」
ある夜、エドモンドがぽつりと呟いた。リリアーナは少しだけ笑う。
「慣れた、かな」
「……無理はするな」
「してないよ」
そう言いながらも、目の下にはうっすらと影があった。それでも――腕の中の温もりが、それを上回る。
……それでも、愛しい。
リリアーナは、そう思った。
ラニアの小さな手が、自分の指をふいに掴む。あまりにも弱く、頼りないはずなのに――確かにそこにある力。
リリアーナは、その手をそっと握り返す。
その瞬間、胸の奥がじわりと熱くなった。
「……あ……」
気づけば、涙が溢れていた。
――自分も、こんなふうに小さくて。こうして、誰かに守られてきたのだと。
今になって、ようやく分かる。
ラニアの温もりを感じながら、リリアーナは静かに目を閉じた。
一方で、エドモンドはというと――。
リリアーナが少し離れた時だった。ラニアは小さな顔をくしゃくしゃにして泣いていた。
「……どうした」
泣き声に気づいて、慌てて部屋に入る。
とりあえず抱き上げてみるが、泣き止まない。少し揺らしてみるが、それでも泣き止まない。
「……おむつか?」
そこへ、マルグリットが静かに入ってくる。
「そうよ」
言われて、ぎこちない手つきで確認しようとして――
「貸しなさい」
あっさり取り上げられた。
「……」
エドモンドは一歩下がる。マルグリットは手慣れた様子で世話をし、あっという間にラニアを落ち着かせた。泣き声はぴたりと止まる。
「ほら」
そう言って、再びエドモンドに渡す。エドモンドは慎重に受け取った。
「……難しいな」
「慣れよ。最初から出来る人なんていないわ」
マルグリットは淡々と言う。
エドモンドはラニアを見つめた。
小さく、温かく、壊れそうなほど柔らかい。
「……そうか」
短く呟く。
本来なら、彼がここまで関わる必要はなかった。世話のほとんどは、リリアーナとマルグリットで足りている。
それでも――気づけば、足が向いていた。泣き声がすれば立ち上がり、気配がすれば、様子を見に行く。
何をすればいいのか分からないまま、それでも側にいる。不器用な関わり方だった。
ある日。
ラニアはエドモンドの腕の中で、じっと彼を見つめていた。
「……俺か?」
小さく問いかける。ラニアは、何も分かっていないはずなのに――微かに、ふわりと笑った。
エドモンドは、わずかに目を見開く。それから、ほんの少しだけ表情を緩めた。
「……そうか」
その声は、驚くほど優しかった。
リリアーナは、その光景を静かに見ていた。
何も言わずに、ただ微笑む。
ラニアと共に生きる日々。その一つ一つが、確かに積み重なっていく。失ったものは、戻らない。けれど――ここにあるものも、また確かなのだと。
そう、思えた。