作品タイトル不明
出産
それは、夜中に始まった。
深い静寂の中だった。外では風が、低く森を揺らしている。城の中も灯りは落とされ、人の気配はほとんどない。その静けさの中で。
「……っ」
リリアーナは、目を覚ました。
下腹の奥が、ぎゅっと締めつけられる。今までの張りとは違う、はっきりとした、痛み。
「……これ……」
息を詰めると一度、治まった。
けれど間を置いて、また来る。さっきより、深く。リリアーナはゆっくりと体を起こした。
「……エドモンド様」
小さく呼ぶ。すぐに、隣が動いた。
「どうした」
眠りの浅い声。けれどリリアーナの様子を見た瞬間、完全に目が覚めた。
「……来たか?」
短く、確かめるように問う。リリアーナは、わずかに頷いた。その瞬間、エドモンドの空気が変わる。
「動くな。すぐ呼ぶ」
それだけ言って、立ち上がる。扉が開き、足音が遠ざかる。残されたリリアーナは、静かに息を整えた。
「……大丈夫」
自分に言い聞かせる。けれど、次の波はすぐに来た。強く、長く。思わず、シーツを握る。
「っ……」
声を押し殺す。逃げ場のない痛みを、ただ耐える。やがて扉が開く音がして、助産婦とマルグリットが入ってきた。
「リリアーナ」
マルグリットの声だった。その一言で、少しだけ力が抜ける。助産婦は手際よく準備を始めた。無駄のない動き。何度もこの場に立ってきた者の落ち着きだった。
「間隔は?」
「……さっきから、何度か……」
言葉の合間にも、呼吸が乱れる。マルグリットはすぐに理解した。
「始まっているわね」
落ち着いた声で、慌てる様子は一切ない。それだけで、場の空気が安定する。
「安心して。ちゃんと進んでいるわ」
そっと背を撫でる。
「痛みが来たら、息を止めないで。ゆっくり吐いて」
リリアーナは頷く。次の波が来る。
「……っ、は……っ」
言われた通り、息を吐く。苦しい。けれど、さっきより少しだけ耐えられる。
「エドモンド様は、外で待っていただきましょう」
助産婦が静かに言った。男は立ち入らない。それがこの場の決まりだった。
やがて扉の外で、足音が止まる気配がした。
時間の感覚は、すぐに曖昧になった。どれくらい経ったのか、分からない。痛みは、確実に強くなっていく。間隔は短くなり、逃げる時間は減っていく。
「……いいわ」
マルグリットの声が、はっきりと響く。
「ここからよ」
リリアーナは、うっすらと目を開けた。
額には汗。呼吸は荒い。それでも、意識ははっきりしていた。
「……はい」
「身体に任せなさい」
マルグリットは静かに言う。
「この子も、出てこようとしているわ」
その言葉に、リリアーナは息を吸った。
痛みが来る。これまでで、一番強い。
「――っ!」
思わず声が漏れる。
「いいわ、そのまま」
マルグリットの声が導く。
「力を、下へ」
リリアーナは、歯を食いしばる。それからは、ただ必死だった。痛みと、呼吸と、力。何度も、何度も繰り返す。。やがて
「……見えてるわ」
助産婦の声が、はっきりと告げる。
「あと少しよ」
リリアーナは、最後の力を振り絞った。
「――っ!!」
その瞬間。
空気が、変わる。張り詰めていたものがふっとほどけ、小さな声が響いた。
弱く、けれど確かに、新しい命の声が。
リリアーナは、力を抜いた。涙が、静かに流れる。
「……頑張ったわね」
マルグリットの声が、優しく落ちる。
その声が外へ届いたのか、ほどなくして、扉の向こうで慌ただしい気配がした。少しして、扉が開く。
「……入っても?」
低く抑えた声はエドモンドだった。助産婦が一度だけ頷く。エドモンドは、静かに中へ入った。その顔には、言葉にならないものが浮かんでいる。
少しして、柔らかな重みがリリアーナの腕に乗せられる。
「……この子が」
震える声。小さな体は温かく、確かに、ここにいる。エドモンドは、ゆっくりと近づいた。その視線は、まっすぐにその小さな命へ向けられている。
リリアーナは、その顔を見て、少しだけ笑った。
「……会えたね」
その夜、北の静かな地に。
新しい命が、確かに生まれたのだった。