軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

その日が来る前に

昼食の後。

リリアーナは、椅子に深く腰掛けていた。背もたれに体を預け、ゆっくりと息を吐く。

「……少し、疲れたかも」

ぽつりと漏らす。ほんの些細な動きでも、身体が重い。どこかずっと張りつめているような感覚が、抜けない。

その様子を見ていたマルグリットが、静かに近づいてきた。

「無理はしていない?」

穏やかな声だった。

「うん。大丈夫……ですけど」

リリアーナは曖昧に笑う。

「なんだか、ずっと落ち着かなくて」

その言葉に、マルグリットは小さく頷いた。

「そういう時期よ」

隣に腰を下ろし、ゆっくりと続ける。

「身体も、心も、出産に向かって準備をしているの」

リリアーナは、少しだけ目を上げた。

「……そうなの?」

「ええ」

マルグリットは、優しく微笑む。

「怖い?」

問いかけは静かで、決して踏み込まない。

リリアーナは少し考えてから、正直に答えた。

「……少しだけ」

「そうね」

否定はしない。

ただ、受け止めるように頷いた。

「出産はね、とても痛いわ」

はっきりとした言葉だった。

リリアーナは、わずかに息を呑む。

けれどマルグリットは、そのまま穏やかに続けた。

「でもね、自然なことなの。母体は、ちゃんと耐えられるようにできている」

その声音には、経験に裏打ちされた確かさがあった。

「乗り越えられるものよ。必ず」

リリアーナは、ゆっくりと息を吐いた。

その言葉が、すとんと胸に落ちる。

「……はい」

小さく頷く。マルグリットは、少しだけ視線を柔らかくした。

「ただね、本当に大変なのは、産まれてからよ」

「え?」

リリアーナが目を瞬かせる。

「眠れないし、自分のことなんて後回しになる。思った通りには、何もいかない」

少しだけ苦笑が混じる。

「それでも――、この時間は、今しかないの」

マルグリットは、リリアーナのお腹にそっと視線を落とした。

「お腹の中にいるこの子と、一番近くでいられる時間」

リリアーナも、同じように自分の腹に手をあてる。

「……そう」

「だから。今できることを、大切にしなさい」

マルグリットは、そっとリリアーナの手に自分の手を重ねた。

「無理をすることじゃないわ。ただ、感じて、受け止めてあげること」

リリアーナは、静かに頷いた。

その表情は、少しだけやわらいでいた。不安が消えたわけではない。けれどその奥に、確かな安心が生まれていた。

マルグリットは、その様子を見て、満足そうに微笑む。

「少し休みなさい」

「はい。そうします」

リリアーナは目を閉じた。

その手は、ずっとお腹の上にあった。まるで、そこにいる命を、確かめるように。

日が落ちるのが、少しだけ早くなった頃。

リリアーナは、静かに息を吐いた。

「……また」

お腹が、強く張る。石のように固くなり、内側からじわりと圧がかかるような感覚。痛みはあるが、耐えられないほどではない。けれど、それが一度では終わらない。

時間をおいて、何度も。不規則に訪れるそれに、リリアーナはそっと腹に手をあてた。

「まだ、大丈夫……」

自分に言い聞かせるように、小さく呟く。少し前から、こういうことが増えていた。

夜中に目が覚める。そのたびに体を起こし、静かに息を整える。

腰は重く、鈍い痛みが続く。歩けば、恥骨のあたりに違和感が走る。

「……よいしょ」

立ち上がるだけで、少し時間がかかる。

それでもリリアーナは、動いていた。部屋を整え、布をたたみ、道具の位置を確かめる。必要なものを、何度も並べ直す。

「それ、さっきも見てなかったか?」

背後から、エドモンドの声がした。

リリアーナは振り返らないまま答える。

「うん。でも、もう一回」

「……もう十分だろう」

少し呆れたような声。けれど、止めはしない。リリアーナは、小さく首を振った。

「ちゃんと、しておきたいの」

その言葉は、いつもより少しだけ強かった。

エドモンドは何も言わず、しばらくその背を見ていた。

やがて、リリアーナは手を止めた。

「……あれ?」

ふと、お腹に触れる。

「どうした」

エドモンドがすぐに近づく。

「……今日は、あまり動かない」

ぽつりと、そう言った。少し前まで、はっきり感じていた胎動。それが、今日は弱い。

エドモンドの表情が、わずかに引き締まる。

「……大丈夫なのか」

「うん。たぶん……」

言いながらも、リリアーナの手はお腹から離れない。静かに、確かめるように撫でる。

その仕草に、エドモンドはそっと手を重ねた。

「……何かあれば、すぐ言え」

低く、はっきりとした声。

「うん」

短い返事。

けれどその後、リリアーナは少しだけ視線を落とした。

「……不安か?」

エドモンドが聞く。ほんの一瞬の沈黙。

「……うん」

正直な答えだった。

「でも」

リリアーナは、ゆっくりと顔を上げる。

「早く、会いたい」

その言葉に、迷いはなかった。

エドモンドは、わずかに目を細める。

そして、静かに頷いた。

「……ああ」

その一言には、守る覚悟と、迎える覚悟が、確かに込められていた。