作品タイトル不明
小さな生命は動く
季節はゆっくりと巡り、気づけば風はやわらかくなっていた。
リリアーナの身体もまた、大きく変わっていた。ふくらみはもう隠しようもなく、丸く、しっかりと命を抱いている。
歩く速度は自然と落ち、立ち上がるだけでも、少し息を整える時間が必要になった。
それでもリリアーナは、できることをやめなかった。調合室に座り、薬草を選び、ゆっくりと手を動かす。
以前のような素早さはない。けれど、その分ひとつひとつが丁寧だった。
「無理はするな」
背後から、低く落ち着いた声がかかる。振り返らなくても分かる。
「してないよ」
リリアーナは小さく笑った。
「……しているように見える」
エドモンドはそう言いながら、自然な動作でリリアーナの手元にあった籠を持ち上げた。
大した重さではない。それでも、彼は迷いなく自分の役目のように引き受ける。
「それくらい、大丈夫なのに」
「大丈夫でも、持たなくていい」
きっぱりとした言葉だった。
リリアーナは少しだけ頬を緩める。
「過保護だね」
「そうだな」
否定はしなかった。
むしろ当然のように言い切るその様子に、リリアーナはくすりと笑った。
その日の午後。日差しの入る部屋で、リリアーナは椅子に腰掛けていた。少し疲れたのか、手を止めて目を閉じる。その様子に気づいたエドモンドが、静かに近づいた。
「横になるか?」
「……少しだけ」
エドモンドは何も言わず、そっとリリアーナの身体を支える。無理のないように、ゆっくりと。
ベッドに横になると、リリアーナは自然とお腹に手をあてた。その仕草を見て、エドモンドは一瞬だけ目を細める。
「……動くのか?」
「うん。さっきも、少し」
その言葉に、エドモンドはためらいながら手を伸ばした。触れていいのか、ほんのわずかに迷う。
けれどリリアーナは、何も言わずにその手を受け入れた。大きくなった腹に、エドモンドの手がそっと触れる。温かい。そして――
「……」
微かに、内側から応えるような動きがあった。エドモンドの手が、わずかに止まる。
「……今、動いたな」
「うん」
リリアーナは、嬉しそうに目を細めた。
エドモンドはしばらく何も言わず、その感触を確かめるように手を置いていた。やがて、ぽつりと呟く。
「……ちゃんと、生きているな」
当たり前のことのはずなのに。その言葉には、どこか確かめるような響きがあった。リリアーナは、そっとエドモンドの手に自分の手を重ねる。
「生きてるね」
静かに、そう言った。その声を聞いて、エドモンドは小さく息を吐く。
「……ああ」
短い返事。
けれどその中には、言葉にしきれないほどの想いが込められていた。
――少しの沈黙。
リリアーナは、お腹に手をあてたまま、ふと視線を落とす。そして、静かに口を開いた。
「あのね」
エドモンドが、わずかに視線を向ける。
「もし女の子だったら――ラニアって名前にしたいの」
その言葉は、静かだったけれど、迷いはなかった。エドモンドは、何も言わなかった。ただ、その名を受け止めるように、沈黙する。
「男の子だったら、エドモンド様が決めていいから」
続けてそう言うリリアーナの目は、まっすぐだった。冗談でも、軽い思いつきでもない。
エドモンドは、何かを言いかけて、口を閉じた。わずかに視線を落とし、ゆるやかに首を振る。
そして、
「……わかった」
それだけを、短く答えた。
それ以上は、何も言わなかった。けれどその一言には、過去も、想いも、すべてを飲み込んだような重さがあった。
リリアーナは、そっと目を細める。
再び、お腹に手をあてた。
まるで――その名前に、触れるように。
守るべきものが、ここにある。そして、それを抱えているリリアーナがいる。
だから――エドモンドは、これまで以上に静かに、強く、彼女の傍に立ち続けていた。
ある時だった。
リリアーナは、ふと違和感に気づいた。
「……あれ?」
無意識に、お腹へ手をあてる。その瞬間――内側から、ぽこり、と押し返された。柔らかさの中に、確かな“形”がある。
「……なに、これ」
思わず呟く。驚きと、不安が混ざる。その様子に気づいたマルグリットが、すぐに近づいてきた。
「どうしたの?」
穏やかな声だけれど、わずかに緊張が滲んでいる。
「……あの、これ……」
リリアーナは戸惑いながら、自分の腹に手を添えた。
「ここが、なんだか……」
言い終える前に、マルグリットの手がそっと重なり、慎重に確かめるように触れる。
そして――
「ああ。手か、足ね」
小さく息をついた。その言葉は、やわらかく、安心を含んでいた。
リリアーナは、はっと目を見開く。
「……え?」
「動いてるのよ」
マルグリットは微笑みながら言った。
そのまま、少しだけ出ている部分を、優しく押す。ぐに、と内側に戻る感触。
「……引っ込んだ?」
リリアーナは、驚きを隠せなかった。
「ふふ。元気な証拠よ」
マルグリットは、穏やかにそう言った。リリアーナはもう一度、自分のお腹に手をあてる。
さっきまでの不安は、もうなかった。
代わりにあるのは――確かにここにいる、という実感。
小さな命が、内側から応えている。
その事実に、リリアーナは静かに息をついた。