作品タイトル不明
あれから一年後の皇国
セリウスが、ラニアの姿を最後に見てから、一年が過ぎていた。
ある日、リリアーナから手紙が届く。
そこには、簡潔にこう書かれていた。
――セリウスの元婚約者、今は妻となった方へ渡したい物があること。それは、ラニアが残したものであること。貴重なものだから、できれば誰かに取りに来てほしいこと。
それだけだった。
セリウスは、手紙を読み終えたまま、しばらく動かなかった。
沈黙の中で、自然と一年前の光景が蘇る。
ローデンが、リリアーナたちを北の領地へ送り届けた後――想像よりもずっと早く、皇国へ戻ってきた日のこと。
そのときの彼の顔を、セリウスは今でも忘れられない。
血の気がなく、暗く、そして険しい。あの男が、あそこまで感情を押し殺した顔をしているのを、初めて見た。
言葉を選びながら、それでも聞かずにはいられなかった。
「……ラニアは?」
一言だけ。
ローデンは、わずかに間を置いて答えた。
「……もう、いない」
それ以上は、何も言わなかった。沈黙のまま、ローデンは「王に会う」とだけ告げる。
セリウスは、無言でそれに同席した。
玉座の前。ローデンは、父である皇国の王を見据えて言った。
「俺が戦える戦場はないか?」
その言葉に、王は最初こそ口元を緩めていたが、ローデンの目を見た瞬間、その表情は険しく、重いのに変わった。
やがて、大きく息を吐く。
「……あるが、どうするのだ」
「行く」
短い返答だった。
そこに迷いはない。ただ――何かをねじ伏せるような硬さだけがあった。王は、しばらくローデンを見つめた後、静かに言った。
「まあいい。小競り合いはいくらでもある。行ってこい」
「感謝する」
それだけ言って、ローデンは踵を返した。
振り返ることは、なかった。
その後のことは、調査員からの報告で知ることになる。
「ラニアという少女は、賊の手により死亡」
セリウスは思わず問い返した。
「……ローデンが、居たのにか?」
「詳細は不明です。ただ、突然の事で、特殊な魔道具が使用された可能性があります」
深く、息を吐いた。
それ以上、言葉は続かなかった。
それから――ローデンの動向は、定期的に報告されるようになった。
敵大将を討ち取った。
戦線を押し上げた。
危険な戦地へ、誰よりも早く向かった。
矢も、刃も、敵の数すらも、彼を止めることはできない。
ただ一つ、報告の端に、時折添えられる言葉があった。
――時折、鞄を静かに見つめている。その様子は、どこか異様である。
そして、こうも書かれていた。
――言葉が悪いのですが、死地を求めているようにも見えます。
セリウスは、その報告書を閉じた。
何も言えなかった。やがて、ローデンは名を持つようになる。敵からは死神、味方からは英雄。
けれど、そのどちらの名も彼自身には何の意味も持たなかった。
その表情は、いつも変わらず険しく。
笑うことは、二度となかった。
セリウスは、皇国の王に進言した。
「ローデンを、休ませるべきです」
玉座の上で、王はわずかに目を細める。
「……休むと、思うか?」
静かな声だった。
セリウスは一拍だけ置いてから、答えた。
「ローデンに、お願いしたいことがあります」
王の眉が、わずかに動く。
「ローデンに、か?」
「はい。彼が最適かと」
真っ直ぐに視線を向ける。王はしばらくセリウスを見つめ、それから小さく息を吐いた。
「……まあ、小競り合いもほとんど片付いた。ローデンにも、休息は必要だろう」
許可は下りた。
「ありがとうございます」
短く頭を下げる。
そして――セリウスは、久しぶりにローデンのもとを訪れた。
セリウスが扉を開けた瞬間、空気が変わった。以前よりも痩せた身体、削ぎ落とされたような輪郭。
そして何より――人を寄せつけない、鋭い圧。
まるで、そこに立っているだけで刃のようだった。
「……邪魔をするな」
ローデンは、振り向きもせずに低く、冷えた声で言った。
セリウスは、それでも一歩踏み込む。
「……どうしても、ローデンに頼みたい」
その言葉に、わずかに沈黙が落ちた。
「リリアーナから手紙が来た」
そこで、ローデンの気配が止まる。
「ラニアの残したものがあるらしい。――それを、取りに行ってほしい」
次の瞬間ローデンが振り向いた。
その目は――まるで、獲物を見る獣のようだった。一瞬だけ殺気が走り、それもすぐに消える。ローデンは、ゆっくりと視線を落とす。
「……俺に、行けと言うのか」
低く、押し殺した声。
「……そうだ」
セリウスは、視線を逸らさずに答えた。
しばらくの沈黙の後、ローデンは小さく首を振った。力のない動きだった。
「……わかった」
かすれるような声で、そう言った。それ以上は、何も聞かなかった。
そうしてローデンは、再び皇国を発った。
今度は、戦場ではなく。
“残されたもの”のもとへ向かうために。