作品タイトル不明
帰り道⑤
リリアーナは、その後のことを、あまり覚えていない。
気がつけば、すべてが終わっていた。
誰も口を開かなかった。帰路はただ静かで、足音だけが続く。風の音すら遠く、誰もラニアの名を呼ばない。
呼べば、何かが壊れてしまうと知っているかのように。城に着いたことすら、はっきりとは思い出せない。
ただ、ラニアがいなかった。それだけが、確かな現実だった。ロキの姿も、どこにもなかった。
エドモンドが、オルフェウスたちに何かを話していた。低く、押し殺した声で。でも、それも、どこか遠くの出来事のように見えた。
言葉は届かない。意味も、分からない。ただ、音だけが流れていく。
ローデンは、ひどい顔をしていた。血の気のない顔で、何も言わずに、ただ立っていた。
やがて、ふらりと背を向け、この地を離れていった。
引き止める者はいなかった。引き止める言葉も、誰も持っていなかった。
それから、どれくらい経ったのか、分からない。ふとした瞬間に、リリアーナは視線を上げる。
人影が揺れ、紫の髪が見えた気がする。
胸が強く鳴る。……けれど、そこには誰もいない。それでも、無意識に目は探してしまう。
もういないと分かっている、ラニアの姿を。
それでも、時は容赦なく流れていった。
皇国から、織物が届いた。以前に約束されていた量を、明らかに上回るものだった。色も質も、申し分ない。むしろ、気遣いすら感じられるほどだった。
けれど、それを前にして、誰も素直に喜ぶことはできなかった。荷を運び入れる音だけが、やけに響く。
言葉は少なく、笑顔もない。ただ、淡々と受け取るだけだった。リリアーナもまた、その一人だった。
手を伸ばせば、確かにそこにある。
触れれば、柔らかく、温もりすら感じるほどの織物。それなのに心は、動かなかった。
……ラニアが、いない。その事実だけが、静かに重く沈んでいる。
エドモンドは、ただ静かにリリアーナを見守っていた。
ラニアが消えてから、彼女の表情は、目に見えて変わった。笑わなくなったわけではない。泣き崩れるわけでもない。けれど、どこかが決定的に抜け落ちている。
甘甘草に魔力を注ぐ手つきも、以前と変わらず正確だった。リュートを手に取れば、音も狂わない。誰が見ても、いつも通りのリリアーナだ。
それでも、その心は、どこか遠い届かない場所へ、置き去りにされているようだった。
エドモンドは、ゆっくりと近づいた。そして、そっとリリアーナの身体を引き寄せる。
強くはない。ただ、逃がさない程度の力で。
言葉は、なかった。
何を言っても、届かない気がしたからだ。けれど、こうしていなければ、何かが崩れてしまう。
そんな、言いようのない不安だけが、胸の奥にあった。
「……何?」
リリアーナは、わずかに顔を上げて言った。
その声もまた、どこか遠い。
「こうしていたい、だけだ」
エドモンドは、短く答えた。それ以上の言葉は、続かなかった。ただ、静かな時間だけが流れる。
エドモンドは、何も言わずに、ただリリアーナを抱き寄せ続けていた。
そんな中で。ある朝、リリアーナはふとした違和感に気づいた。
「……あれ」
小さく呟く。日を、指折りで数えてみる。
……来るはずのものが、来ていない。
一度、目を閉じた。
胸の奥が、わずかに揺れる。
……こんな時だから。悲しみや疲れで、乱れることはある。そう、自分に言い聞かせる。
「……でも」
言葉が、続かない。
もしも、本当に、もしも。新しい命が――
そこまで考えて、息を呑んだ。
期待が、わずかに胸に灯る。同時に、それを打ち消すように、不安が押し寄せる。
違っていたら。ただの思い違いだったら。
それとも、本当にそうだったとして、今、この状況で、それをどう受け止めればいいのか。
分からない。誰かに言うべきか。それとも、まだ胸の内に留めておくべきか。
……言えない。
まだ、何も確かではない。
それに、今は、誰もが、それぞれの痛みを抱えている。
朝が来るたびに、同じことを考える。
そして、同じところで止まる。期待と、不安。安堵と、恐れ。言葉にすべきか、沈めるべきか。ぐるぐると、思考が巡る。
答えは、出ないまま。
それでも、朝はまた訪れるのだった。
リリアーナはそんな日々の中、ふとお腹に手をあてた。
……きっと、ここには新しい生命がある。
どうしてかは分からない。でも、そうだと思った。