作品タイトル不明
帰り道③
この森を抜ければ、もう北の領地だ。
長く続いた道のりも、ようやく終わりが見え始めていた。誰もがどこか気を緩め、足取りもわずかに軽くなっている。そんな中で――ローデンは、ひとつだけ別の理由で落ち着かなかった。
ラニアの近くに、こうして当然のようにいられるのも、あと少し。
そう思った瞬間、胸の奥が妙に騒がしくなる。言うなら今しかない。逃せば、きっと次はない。
ローデンは、意を決して歩幅を速めた。ラニアの隣へと並ぶ。
「……俺のこと、どう思う?」
口にした瞬間、自分でも何を言っているのか分からなくなった。もっと他に言い方はあったはずだ、と遅れて後悔が押し寄せる。
ラニアは少しだけ驚いたように目を瞬かせ、それからほんの少し考えた。
「とても、強いよね」
……やった。思わずそう思った。だが、すぐに首を傾げる。
……いや、普通か?強い、というのは事実だ。だが、それは評価というより、ただの説明に近い気もする。
ローデンは、引き下がれなかった。
「……他には?」
さらに踏み込む。ラニアは今度こそ困ったように眉を寄せ、しばらく迷ってから、じっとローデンを見つめた。
金色の瞳が、わずかに光を宿す。
「……ローデンって、眩しいよね」
……眩しい?
ローデンは思わず眉をひそめた。おでこは普通だし、禿げてもいない。光を反射するようなものは何もないはずだ。
「……どういう、意味だ?」
素直に問い返すと、ラニアはくすりと笑った。
「ふふっ。秘密」
それだけ言って、くるりと身体を翻す。ふわりと紫の髪が舞い、陽の光を受けて柔らかく揺れた。その背を見ながら、ローデンはぽつりと胸の内で呟く。
……眩しいのは、ラニアだ。
そう思いながらも、それを言葉にすることは、できなかった。
「じゃあ、俺が隣にいるのは駄目か?」
ローデンは、少しだけ声を低くして、さらに踏み込んだ。
ラニアは足を止め、再びローデンを見上げる。
「駄目? どうして?」
不思議そうな顔だった。まるで、そんな発想自体が分からないと言うように。
「いや、その……」
ローデンは言葉に詰まった。自分でも、なぜそんなことを聞いたのか。ただ、拒まれるかもしれないという考えが、先に立ってしまったのだ。ラニアは、少しだけ首を傾げ、それから柔らかく言った。
「悪くないよ」
……悪くない。
その言葉が、胸の中でゆっくりと広がる。
……それは、つまり。
肯定、なのか?少なくとも、否定ではない。追い払われてもいない。ローデンの鼓動が、わずかに速くなる。視線を逸らしながらも、隣を歩く距離は、そのままだった。
「……だったら」
逃げるな、と自分に言い聞かせる。
「俺が望んだら、叶えてくれるのか?」
言った瞬間、自分でも踏み込みすぎたと分かった。だが、引き返す気はなかった。
ラニアは、ほんの一瞬だけ目を見開いた。それから、静かにローデンを見つめ返す。
「……本当に、本気?」
試すような声。ローデンは逸らさない。真っ直ぐに、見返した。言葉はなかったが、それで十分だった。ラニアは、わずかに目を細める。
「……応えても、いいよ」
その声は、軽くも、重くもなかった。ただ、確かに“選んでいる”響きだった。ローデンの心臓が、強く打つ。
「……俺は」
ローデンが言いかけた、その瞬間だった。
森の茂みの奥で、何かが鋭く光った。
「伏せろ!」
叫ぶと同時に、ローデンはラニアの肩を掴み、地へと引き倒す。自分も覆いかぶさるように伏せた。
遅れて、風を裂く音。矢が、飛んできた。
地面に突き立つ鈍い音が、連続する。
……罠だ。
矢の角度、間隔、狙い――ただの乱射ではない。
ローデンは歯を食いしばった。動けない。少しでも体を起こせば、次の矢が確実に貫く。
そのときだった。
「お前のせいだ!」
声が、森の奥から響いた。視線を向けると、そこにいたのは、男だった。片目は潰れ、もう片方だけがぎらついている。片腕は不自然に垂れ、体は骨ばり、傷跡がまだ生々しい。
男は、何かを手にしていた。
――投げる気だ。
ローデンが気づいた、その瞬間。ラニアが、それを見た。その顔が強張り、目が大きく見開かれる。
「――!」
次の瞬間、ラニアは走り出していた。矢がまだ飛び交う中を、一直線に。
「行くな!」
ローデンの叫びが響く。
だが、届かない。男の腕が振られる。
「おまえか」
低く、濁った声。
「でもいい――終わりだ」
放たれたそれは、空中でわずかに歪みながら、一直線にリリアーナたちへと向かう。
ラニアは、迷いなくその軌道へ踏み込んだ。
「させない」
その一言とともに、身体を盾のように差し出す。次の瞬間、男の投げたそれは、空中でほどけた。黒い縄のように見えた。
だが違う、一本ではなく、無数だ。
細い糸のような黒が、空中で広がり、網のように展開する。その一本一本が、鈍く光っていた。刃のように、鋭く。
「それは、熊殺しだ」
男が嗤う。
「この日のために待ってた。罠を作り、ずっとな」
ローデンは、見ていた。
それは、生き物のように動いた。ラニアの周囲を囲むように、黒い糸が一斉に収束する。逃げ場を塞ぐのではない。
“閉じる”。
空間そのものを縫い縮めるように、内側へ、内側へと締まる。ギチ、と嫌な音がした。
糸が触れた地面が、削れた。石が、紙のように裂ける。空気が押し潰され、逃げ場を失い、内側に圧が溜まる。
爆ぜるように、圧が走った。
見えない刃が、四方から同時に叩きつけられる。
黒い糸は、ただ締めるだけではない。締めながら、削る。触れたものを削ぎ落としながら、さらに内側へ押し込む。
逃げれば裂かれる。止まれば潰される。
どちらにしても、死ぬ。
それが、“熊殺し”だった。
ラニアは、目を逸らさずに、それを見た。