作品タイトル不明
帰り道①
「何事もなく帰れたな」
北の領地へと続く道を進みながら、エドモンドは隣のリリアーナに声をかけた。張り詰めていた時間が終わった安堵が、その声には滲んでいる。
「そうね」
リリアーナは、ふっと小さく息を吐いた。肩の力が抜けたような、柔らかな表情だった。
「まだ帰っていない。油断し過ぎだ」
ローデンは思わず口を挟んだ。自分でも、少し言い過ぎかもしれないとは思ったが、それでも引っ込める気にはならなかった。
……何だか、嫌な予感がする。
胸の奥に、引っかかるものがある。理由はわからない。ただ、こういう感覚は昔から当たることが多い。しかも決まって、ろくでもない形で。
ローデンは、そっとラニアの方を見た。
ラニアはいつも通りに見えた。表情も、歩く速度も、何も変わらない。けれど――その視線だけが、どこか遠くを見ているようだった。
少し大きな街に差しかかったところで、一行は足を止めた。行きとは違い、緊張の抜けた空気が流れている。
「わあ……」
リリアーナは目を輝かせながら、あちこちの店先を覗いていた。
布、香辛料、細工物、見慣れない道具。行商が並べる品々は、北の領地ではなかなか見られないものばかりだ。
「買い物が好きなんだな」
少し呆れたように、エドモンドが言う。
「だって、こんな機会なかなか無いのよ」
振り返りもせず、リリアーナは答えた。
確かに、領地にも商人は来る。だが、この規模、この品揃えには到底及ばない。
「……それで、やっぱり薬草なのか」
エドモンドは苦笑した。
リリアーナが足を止める店は、ほとんどが薬草屋だった。束ねられた乾燥葉や、瓶に詰められた粉末を、真剣な目で見比べている。
その少し後ろで、ラニアは静かに立ち止まっていた。何も言わずにその背中を眺めている。疲れているのか、表情はいつもよりわずかに淡い。
そして――その姿に、通りすがる人々の視線が自然と集まっていた。
……目立ちすぎだ。
ローデンは小さく息を吐き、さりげなくラニアの前に立った。
「……どうして、前に立つのかな?」
ラニアが首を傾げる。
「いや、虫が飛んできたら危ないかな、と」
「こんな街で、虫なんて飛ばないよ」
「……その虫じゃない」
「んん?」
ラニアは少し考えたように目を細めたが、深く追及はしなかった。
「そうだ、あの店でも見よう」
ローデンは話題を変えるように言い、ラニアの手を引いた。
……視線を下げさせれば、少しは目立たない。そんな半ば強引な理由で選んだのは、雑多な品を並べた行商の店だった。
並んでいるのは、装飾品や小物、用途の分からない道具まで様々だ。
ローデンは時折、視線だけでリリアーナたちの位置を確認しながら、隣にいるラニアを見た。
ラニアは、意外にも真剣に品物を見ていた。小さな指が、並べられた物の上をなぞる。その仕草は、どこか静かで――迷いがあった。
「気になるのか?」
ローデンは声をかけた。ラニアは、伸ばしかけた手をぴたりと止める。
「……少しだけ、ね」
その視線の先にあったのは、小さな髪留めだった。派手ではないが、淡い色合いが美しく、紫の髪に、よく似合いそうだった。
ローデンの胸が、わずかに揺れる。
「買ってやろうか?」
ラニアは、少しだけ間を置いた。
「んー。いらない」
あっさりとした答えだった。そしてそのまま、くるりと背を向ける。
「リリアーナの所に行く」
振り返ることもなく、歩き出す。ローデンは、その背中を黙って見送った。
……やっぱり、いらないか。
ほんのわずかに、胸の奥が沈む。それでも、
ラニアの視線が、あの髪留めに向いていたことは、確かだった。
ローデンはゆっくりと店に近づき、店主に声をかけ、それをさりげなく手に取った。
……意外と高いな。
思わず眉が動くが、迷いはしなかった。
支払いを済ませ、誰にも見られないようにそれを鞄にしまう。
……領地に着いたら、渡そう。
今じゃない。この場で渡せば、きっとまた「いらない」と言われる。
もう少し距離が近くなったら、きっと受け取ってくれる。
……この感じなら。
ローデンは、小さく笑った。