作品タイトル不明
魔鳥襲来7日目②
ローデンの声が、鋭く響いた。
「早く、矢を拾うんだ」
そう言い放つと同時に、彼は剣を抜き、前に出た。視線は空――旋回する魔鳥を捉えている。奴らはすぐには来ない。ただ、じっと隙を窺っている。
地上では、別の魔鳥たちが家畜小屋を荒らしていた。だが、追う余裕はない。今、ここを離れれば、確実に狙われる。
ラニアとリリアーナは、ほぼ同時に地面に散った矢へと手を伸ばした。
その瞬間だった。風を裂く音がし、ローデンの背後へ、魔鳥が急降下する。鋭い鉤爪が、一直線に振り下ろされた。
「ちっ……!」
ローデンは振り返りざまに剣を構え、その一撃を真正面から受け止めた。金属と硬質な爪がぶつかり、鈍い音が響く。
そのまま、力任せに弾き返した。魔鳥の身体が、わずかに空中で体勢を崩す。
「……凄い」
思わず、リリアーナが呟いた。だが、見惚れている暇はない。すぐに矢をつがえ、狙いを定める。
しかし。その気配を察したのか、魔鳥は一瞬で高度を上げた。弓の射程の外へと逃れるように、空へと舞い戻る。
上空では、他の魔鳥たちがすでに獲物を掴んでいた。そして、そのまま遠くへと飛び去っていく。
一羽、また一羽と、黒い影が空の彼方へ消えていった。静寂が戻る。それは、長く感じられたが、実際には、ほんの一瞬の出来事だった。
リリアーナの膝が、力を失ったように崩れ落ちた。張り詰めていたものが、一気に解けたのだ。
ローデンは、ゆっくりと息を吐いた。胸の奥に溜まっていた重い空気を吐き出すように。
「ありがとう。助かった」
ラニアが、ようやく言葉をこぼした。その声は、いつもの軽さが少しだけ薄れていた。
ふと見ると、ラニアの弓は無残に折れていた。先ほどの衝撃で耐えきれなかったのだろう。
「ロキ、兵士達を助けよう」
ラニアはすぐに言った。状況は、まだ終わっていない。
その言葉で、リリアーナははっと我に返る。
……そうだ、まだやることがある。
ローデンも頷き、すぐに動いた。三人と一匹は、崩れた家畜小屋へと駆け寄る。屋根の下敷きになった兵士達を、必死に引きずり出していく。
木材をどけ、声をかけ、生死を確かめる。
ロキは、兵士の存在をいち速く知らせた。
その間も、誰もが無意識に空を警戒していた。
――また来るかもしれない。
その緊張は、消えない。けれど空にはもう魔鳥の影はなく、風が静かに流れているだけだった。
やがて、最後の兵士が引き出される。幸運にも、全員が命を取り止めていた。
その事実に、誰もが深く息をついた。
こうして――魔鳥の襲来は、終わった。
けれど、その代償は決して小さくはなかった。崩れた家畜小屋。散らばった藁と血の跡。
前回よりも、明らかに被害は大きい。生き残った家畜の鳴き声が、どこか弱々しく響いていた。
オルフェウスは腕を組み、険しい表情のまま現場を見つめていた。エドモンドもまた、何も言わず、その隣で静かに状況を見渡している。
リリアーナは、その様子を少し離れた場所から見ていた。
そして、自分の手を見つめる。
……今回、自分は戦った。確かに魔鳥を落とした。けれど、守れなかったものの方が、目に焼き付いて離れない。
「……どうしたら、いいんだろう」
ぽつりと、誰に聞かせるでもなく呟く。
せっかく作った魔鳥避け。皆が信じて身につけてくれたもの。それが、今回は意味を持たなかった。
静かな無力感が、胸の奥に広がっていく。
風が吹いた。壊れた柵が、ぎしりと小さく音を立てた。
マルグリットは、その報告を聞き、ただ一人人、別の思考を巡らせていた。
不安は、当然ある。それでも彼女は視線を落とし、頭の中で計算を続けていた。
今回の討伐数。そして昨年の甘甘草の売上。備蓄。補填可能な範囲。
どこまで、持ちこたえられるか。
感情を押し殺し、現実を積み上げるように。
その夜――。
食卓には、温かな料理が並んでいるにもかかわらず、空気は重く沈んでいた。誰もが手を動かしてはいるが、味を感じている者は少ない。その沈黙を破ったのは、マルグリットだった。
「受けた被害は、仕方ないわ。これからが、大事なのよ」
静かで、それでいてはっきりとした声だった。場を立て直そうとする、領主夫人としての強さが滲んでいる。
だが同時に、それは現場に立っていない者だからこそ言える言葉でもあった。
「……そうだな」
オルフェウスが低く応じる。その声には、重さがあった。理解はしているが、割り切れるものでもない、そんな響き。
「俺も、何か考えます」
エドモンドも続いた。表情は硬いままだが、視線は前を向いている。領主として、次を見据えようとしていた。
けれど、リリアーナは何も言えなかった。
手元の食事を見つめたまま、指先がわずかに震えている。
あの光景が、離れない。空を裂くような羽音、連携して襲いかかる魔鳥、狙いを定めたように、弱い場所を抉る動き。
思い出すだけで、胸の奥がざわつく。
その感情を、言葉にすることすら出来なかった。
ラニアも、黙っていた。いつもなら何かしら軽口を挟むはずなのに、今日は違う。ただ静かに食事を口に運び、何かを考えているようだった。
ローデンもまた、口を閉ざしている。
あの場にいたからこそ、わかる。あれは、正面からどうにか出来るものではない。
剣では届かず、矢も通じない。
自分の無力さを、嫌というほど思い知らされた。
誰もが、それぞれの思いを抱えたまま。
食卓には、再び静かな沈黙が落ちた。