作品タイトル不明
魔鳥襲来を前にして
リリアーナに、大きな変化は見られなかった。
調合室に通い、薬草の本を読み、時折ため息をつく。それでも、外から見ればいつも通りの彼女だった。
そして、そのまま、魔鳥の襲来の時が目前になった。
領地に緊張が走る。兵が動き、弓が整えられ、空を警戒する者たちが増えた。
執務室では、重い空気が流れていた。
「リリアーナを現場に出すのは反対だ」
エドモンドは、はっきりとそう言った。
「しかし」
オルフェウスが静かに口を開く。
「魔力をのせられる射手は、昨年から増えていない」
その言葉は、現実だった。戦力として考えれば、リリアーナを出すのが、最も確実。
それは、誰もが理解している。マルグリットも、表情を曇らせたまま黙っていた。
感情と、理性。
どちらを選ぶべきか、答えは出ているのに、簡単には口にできない。その沈黙を破ったのは、リリアーナ自身だった。
「私、出ます」
静かで、けれどはっきりとした声。
「皆の、役に立てるなら。練習も、してきました」
迷いはなかった。エドモンドが、強く眉を寄せる。
「危険だ」
短く、しかし強い言葉。けれどリリアーナは、視線を逸らさない。
「わかっています」
それでも、引かなかった。その意志の強さに、誰もすぐには言葉を返せなかった。
やがて、重い沈黙の中で。オルフェウスは言った。
「……リリアーナは、射手として現場に出す」
その言葉に、エドモンドは、何も言わなかった。ただ、拳を握りしめた。
その時、少し離れたところで話を聞いていたラニアが、軽い調子で口を開いた。
「リリアーナが出るなら、やっぱり、僕もか」
あまりにも、あっさりと。場の緊張とはまるで関係ないように。エドモンドの視線が鋭く向けられる。
「……本気なのか」
低い声。だがラニアは、特に気にした様子もなく肩をすくめた。
「わかってるよ」
そして、ちらりとリリアーナを見る。
「一人にする方が、危ないでしょ?」
その言葉に、誰も、すぐには否定できなかった。ラニアの実力は、前回のでオルフェウスは判っていた。
ローデンは、静かにオルフェウスの前に立った。
「頼みがあります」
低く、はっきりとした声。オルフェウスは視線を上げる。
「何かあった時に、彼女達を守れる場所に立ちたい」
僅かな迷いすらない言葉だった。オルフェウスは、しばしローデンを見つめた後、口を開く。
「……私も射手として立つ。だが、自分のことで手一杯になるだろう」
淡々とした声音。
「君が危険に陥っても、助けられない。それでも、覚悟の上か?」
試すような問いだった。ローデンは、間を置かずに答えた。
「騎士は、女と子供を守る立場。覚悟は、当然にあります」
その声には、揺らぎがない。オルフェウスは、わずかに眉を上げる。ローデンはさらに続けた。
「問題だと思うのなら、宣誓書を書いても構いません。自分の身に何が起ころうと、それは自己責任であると」
静かながらも、重い言葉。オルフェウスはふっと息を吐いた。
「……思ったより、真面目なのだな」
ぽつりと零す。ローデンの眉がわずかに動いた。
「……それは?」
問い返す。
「いや、独り言だ」
オルフェウスは軽く首を振った。そして、改めてローデンを見る。
「そこまで言うのなら、止めはしない」
ローデンは小さく頷いた。その目には、揺るがない決意があった。
こうして、ローデンもまた、戦場に立つことになった。表には出ないが、最も危険な場所に近い位置で。
執務室を出た瞬間、張り詰めていた空気がふっとほどけた。重たい議論の余韻が、まだ胸の奥に残っている。
その中で、ラニアだけがいつも通りの足取りで歩いていた。
「ねえ、ローデン。本気なの」
振り返りもせず、軽い声で言う。
「……本気だ」
短く答える。迷いはなかった。だからこそ、言葉もそれ以上は必要なかった。
「そう」
ラニアは、それ以上何も言わなかった。まるで、本当に他人事のように。そして、そのまま視線を落として、足元のロキに話しかける。
「ロキは、今回は隠れていてね。危ないから」
「おん」
短く返すロキの声。
ラニアはしゃがみ込み、その頭を優しく撫でた。その仕草は、魔鳥の話をしていた直後とは思えないほど、穏やかだった。少しして、ラニアがふと顔を上げる。そして、今度はまっすぐローデンを見た。
「ローデンも、だよ」
その口元は、わずかに柔らかく、ほんの少しだけ、目元が優しい。
「……わかってる」
ローデンはそう答えた。
……ロキと同じ扱いでも、構わない。あの視線が、自分にも向けられているのなら。
それだけで、満たされると、ローデンは思った。