作品タイトル不明
リリアーナは、一人思う
執務室には、静かな空気が満ちていた。
机の上に積まれた書類を、リリアーナは一枚一枚丁寧に整えていく。
エドモンドの向かいに座り、手伝うことも、もうすっかり日常になっていた。さらり、と紙をめくったその時にリリアーナの手が、ふと止まった。
目に留まったのは、領地の出生記録だった。
並ぶ名前と日付。新しく生まれた命の記録。
それを見つめながら、リリアーナは小さく呟いた。
「……どうして、赤ちゃんが出来ないのかな」
あまりにも自然に零れた言葉だった。
けれど、その一言で、エドモンドの手が止まった。静かに顔を上げる。
「……あれは、授かり物だ」
ゆっくりと、言葉を選ぶように。
「望んで、どうにかなるものじゃない」
リリアーナは、何も言わなかった。ただ、視線を落とす。
……両親は、結婚して一年過ぎる前には、出来ていた。だから、自分も。当たり前のように、そうなるのだと思っていた。
なのに、何も、変わらない。何の兆しも、ない。
その様子を見て、エドモンドは少しだけ表情を緩める。
「まだ、一年だ」
穏やかな声。
「気にすることはない」
……まだ、じゃない。もう、一年だよ。
リリアーナの中で、言葉にならない思いが静かに沈んでいく。俯いたまま、何も言えない。エドモンドは続けた。
「父上達も、遅かったと聞いている。だから、大丈夫だ」
優しく、安心させるように。けれど、その言葉は、リリアーナの心には届かなかった。
リリアーナは、指先で書類の端をなぞった。視界が、少しだけ滲んだ気がした。それでも、顔は上げない。そして、ただ静かに、書類を揃え続けた。
執務室には再び紙の擦れる音だけが戻った。
けれど、その空気は先ほどよりも、ほんの少しだけ重くなっていた。
執務室を出たあと、リリアーナは足早に廊下を進んだ。向かう先は、調合室。
扉を開けると、乾いた薬草の香りがふわりと広がった。
棚には、瓶に詰められた様々な薬草が整然と並んでいる。リリアーナはその光景を見渡しながら、ゆっくりと息を吐いた。
……確か、効果がある薬草があったはず。本にも、書いてあった。その時は、気にも留めなかったけれど。
リリアーナは小さく首を振る。
「……まずは、自分が出来ることから」
ぽつりと呟いた。
……マルグリットに聞けば、きっとすぐに色々と教えてくれる。でも……なんだか、恥ずかしくて聞けない。こんなことで悩むことになるなんて。
リリアーナは棚から一冊の本を取り出した。
薬草について記された分厚い本。机の上に広げ、ページをめくる。
真剣な眼差しで、文字を追っていく。どんな効能があるのか。どう使えばいいのか。一つも見落とさないように。
その表情は、いつになく真剣だった。
……出来ることは、きっとある。そう信じて。
リリアーナは、ページをめくり続けた。
数日後、リリアーナは静かに薬草の本を閉じた。ぱたり、と小さな音が調合室に響く。
そして、そのまま小さくため息をついた。
「……薬草は、わかったけど」
呟きは、どこか頼りない。本に書かれていたものは理解できた。効能も、使い方も。
けれど。
「ここには、ないのよね……」
棚に並ぶ瓶を見渡しても、目的のものは見当たらない。探しに行くしかない。行くとなると。
……エドモンド様が、着いてくる。
その光景が、容易に思い浮かぶ。
「……無理」
ぽつりと、即座に結論が出た。こっそり注文することも考えた。けれど、きっと、見つかる。彼の目を誤魔化せる気がしなかった。
リリアーナは、そっと窓の外に目を向けた。
庭の一角。そこでは、ローデンとラニアが剣を交えていた。
金属がぶつかる乾いた音。
それでもどこか、軽やかで。ラニアは楽しそうに動き、ローデンもそれに応じる。
真剣なはずなのに、どこか、余裕がある。
「……何だか、楽しそう」
思わず、呟いた。
……あの二人には悩みなんて、あるのだろうか。
ふと、そんなことを考える。けれど、すぐに小さく首を振った。
「……でも」
あの二人では、相談相手にはならない。そう、わかっている。リリアーナは視線を戻し、別の本を手に取った。ページを開く。
「もう少し、探してみようか」
静かに、そう言った。
これまでずっと、不安と期待と落胆を、一人で抱えてきた。でも、ただ待っているだけでは、何も変わらない。――そんな気がした。
指先でページをなぞりながら、リリアーナは再び文字を追い始める。
決意を胸に、一人で秘めて。