作品タイトル不明
自由を得た熊
「どうするの?」
ラニアは、リリアーナに静かに尋ねた。
リリアーナはびくりと身体を震わせた後、ラニアに問い返した。
「どうする、て?」
「このままに、するの?」
「……本当に、私たちには、危害を加えないのよね?」
リリアーナは聞いた。ラニアは黙って熊を見つめる。金色の瞳が、巨体の熊を捉えていた。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「……そう、だね」
はっきりとした声だった。確信に満ちている。リリアーナはその言葉を聞き、恐る恐る熊に近づく。
黒い光の縄は消えているが、熊の傷口からはまだ血が流れていた。額の穴も生々しく、見ているだけで痛みが伝わってくる。
リリアーナはそっと熊の巨体に手を触れた。
そして、治癒の力を発動させる。
その瞬間、エドモンドは思わず口を開きかけた。
「待て」
だが、リリアーナの真剣な瞳を見て、言葉は喉の奥に押し込められた。
ラディンもまた、何も言わず見守るだけだった。
……一体、何をしているんだ?
ローデンだけが、その場で困惑を深めていた。
ローデンは、熊の傷口が徐々に塞がっていくのを見つめていた。額の穴も、次第に消えていく。
――リリアーナは、治癒の能力を持っているのか?しかも、これほどの強さを……異常だ。
他国の話で、聖女や治癒の能力を持つ者がいると聞いたことがあったが、それは作り話だと教えられてきた。しかし、目の前の光景は現実だ。ローデンの混乱は深まるばかりだった。
やがて、熊の傷口は完全に消え、額の穴も跡形もなくなった。時間はさほど経っていない。ローデンは、まばたきすら忘れていた。
熊はゆっくりとリリアーナを見つめ、次にラニアを見た。しばらく動かず、静かに巨体を起こす。そして頭を振った後、森の中へと消えていった。
「……行ったの?」
リリアーナは小さく息を吐いた。
エドモンドも、ラディンも、ローデンも、警戒体制を崩さない。ラニアだけは、いつも通り落ち着いていた。
突然、どこからか「ギャああアァ」という男の叫び声が響いた。
「……あれは?」
エドモンドが声を上げる。
「熊、でしょ?」
ラニアは当然のように答えた。
「知ってる?熊って意外と賢いよ」
ラニアはそう付け加えた。誰も反論せず、場には静寂が流れた。
ラニアはリリアーナをちらりと見て、ぽつりと言った。
「魔獣使いは、リリアーナだよね」
誰にも聞こえないように。
そして、ラニアは微笑んだ。
「疲れた。帰ろう」
遠くの森から、再び男の叫び声が聞こえた。
「鼻も、いいのか……」
エドモンドが低く呟く。
「まあ、ロキと同じ位には?」
ラニアはそう言ってロキを見た。ロキは特に気にする様子もなく、ただ耳を少しだけ動かしただけだった。
「急ぐか」
ラディンが短く言った。だが。
「待って」
リリアーナが声を上げた。そして、そのままエドモンドの方へ駆け寄る。
「顔色が……もしかして、熱?」
リリアーナはエドモンドの額にそっと触れた。その瞬間、表情が変わる。
「……無理を、して」
リリアーナは少し泣きそうな顔をして、エドモンドの手を握った。
そのまま、治癒の力を発動させる。
リリアーナには分かった。エドモンドは、骨を傷めている。
しばらくして、エドモンドは深呼吸をした。
「ありがとう」
エドモンドが静かに言った。
リリアーナはふわりと笑った。
「来てくれて、ありがとう」
エドモンドの顔色はすっかり元に戻り、表情も柔らかくなっていた。そして、エドモンドはじっとリリアーナを見つめる。
「酷いことは、されていないか?」
その声は、低く、慎重だった。
リリアーナは少し視線を逸らした。
「……心配かけるほど、ではないかな?」
どこか居心地が悪そうに答える。
ローデンは、その二人を黙って見ていた。
……あの二人の間には、入れんな。自然にそう思った。そして、リリアーナの能力。
ローデンはじっと、二人を見つめ続けていた。
ラニアは、ふらりとローデンの前まで歩いてきた。そして、そっと顔をのぞき込むようにして言った。
「ねぇ、ローデン」
金色の瞳が、まっすぐに向けられる。
「僕と、リリアーナのこと。内緒にしてくれないかな?」
首を少しだけ傾げる。まるで、おねだりをするような仕草だった。
ローデンは一瞬、言葉を失った。
けれど、気づけば、口を開いていた。
「……条件が、ある」
ラニアの眉がわずかに動く。
「条件?」
金色の瞳が、ゆらりと光った。ローデンは一度、息を吸う。そして言った。
「……ああ。それは、ラニア。もう一度、俺の国に来ることだ」
言葉が落ちた瞬間。ローデン自身が、固まった。
……俺は、今。一体、何を言ったんだ?
自分の口から出た言葉が信じられない。
まるで、勝手に口が動いたようだった。
ローデンはただ呆然と、自分の言葉の意味を考えていた。