作品タイトル不明
熊の混乱
次の瞬間。
ラニアの剣が、熊の額の魔石に突き刺さった。
それを見て、ロキはすぐに熊から離れた。
地面に軽く着地し、距離を取る。
同時に、ラニアも剣から手を離していた。
熊の額に突き刺さったままの剣を残し、そのまま後ろへ大きく飛び退く。
着地したラニアは、熊から目を離さなかった。
「……どうだ」
ローデンが低く呟いた。
その場にいる者は、誰一人として動かなかった。
熊が、突然、暴れ始めた。ぐおおおお、と低い唸り声を上げながら、巨体を振り回す。まるで、理性を失ったように。
人も、木も、関係ない。目に入るものすべてを破壊する。そんな狂乱だった。
最初に狙われたのは、ラニアだった。
熊の腕が振り上がる。巨大な影が落ちた。
その瞬間、ロキが跳んだ。ラニアへ体当たりするように飛びつく。そのままラニアを押し倒した。
熊の爪が、すぐ横を薙ぐ。土が抉れる。
次に、熊は近くの木に爪を振るった。太い幹がぼきり、と裂ける。木片が飛び散る。
そして、熊の目に入ったのは、少し離れた木陰にいた男だった。
熊は腕を振るう。男の体が、激しく弾き飛ばされた。
悲鳴が森に響く。
誰も、近づけない。誰も、止められない。
狂った熊が、森の中で暴れ続けていた。
「どうする?」
「あれ、だぞ?」
「まだ、使えるのか?」
「あいつが」
男達は口々に言った。
その視線が、一斉にラニアへ向く。
「……」
男の一人が、憎々しげにラニアを睨んだ。
ラニアは地面から体を起こし、熊を見ていた。
「……厄介だね」
小さく呟く。熊はまだ暴れている。
「使うか?」
男の一人が言った。
「待て」
別の男が止める。
「様子がおかしいぞ」
その言葉通りだった。
熊の動きが、少しずつ鈍くなっていく。荒く振り回していた腕が、重くなる。足取りも不安定になっていく。
周囲の木々はすでに破壊し尽くされていた。
折れた幹、砕けた枝、抉れた地面。
熊はその中心に立っていた。
そして、ふっと、大きく息を吐いた。
瞬間。熊の額に埋まっていた魔石が、ゆっくりと形を崩した。どろり、と。
濁った液体のように溶け始める。そして熊の額から滑り落ち、地面へと滴った。
ぽたり。黒く濁った液体が土に染み込む。
剣も、地面に落ちた。
「何がおきた?」
「魔石が?」
「あり得ん」
男達の声が震えた。
その場にいた者は、誰も動けなかった。
リリアーナとラディンも、ただ熊を見ていた。
額にぽっかりと穴の空いた熊は、ゆっくりと頭を上げた。その視線が、男達へ向く。
瞳が、一人の男を捉えた。
次の瞬間。熊は地面を蹴った。
一直線に、その男へ向かって走る。
「うわぁ!」
男は悲鳴を上げた。慌てて鞄をまさぐり、何かを取り出す。
それは、あの魔道具だった。
かつてロキとラニアを縛った、魔道具。
男はそれを熊へ向かって投げつけた。
刹那、縄が生き物のように広がる。
次の瞬間には、熊の体へ絡みついていた。
刃のついた黒い光の縄が幾重にも巻きつき、巨体を縛り上げる。
熊が激しくもがいた。
しかし、その魔道具は強力だった。
締め付ける縄はびくともせず、逆に熊の動きを封じていく。やがて熊の動きが止まった。
巨大な体が、地面に倒れる。
「……あいつは」
「使っちまった」
男達が低く言った。
熊はまだ唸っているが、動けない。
「逃げるぞ」
一人が言った。
「いいのか?」
「……あれでは、どうしようにもならん」
男達の視線は、熊の額に向いていた。
そこにはもう、魔石はない。ただ黒い穴が空いているだけだった。
「……戻れ、ねぇぞ」
男が小さく呟いた。
そして、ゆっくりと、ラニアを見る。
「手ぶらは、いけねぇ」
その言葉と同時に、男がラニアへ向かって走った。
しかし、ローデンはすでに動いていた。
男二人の前に立ち、剣を構える。行く手を塞ぐように。
その後ろでは、ラニアの前に、ロキが立っていた。小さな体を低く構え、牙を剥く。
唸り声が漏れる。ロキの魔力の圧力が、高まった。
男は立ち止まり、ロキを睨んだ。
「最後だ」
低く言う。
そして、再び、あの魔道具を取り出した。
ロキへ向かって投げる。刃のついた縄が空中で広がる。その瞬間。
「させない」
ラニアが、静かに呟き、腕を突き出した。
ローデンの目には、それしか見えなかった。
ただ、ラニアが腕を前に出しただけ。
しかし、空中で広がった魔道具の縄は、ロキに届く前に止まった。
ぴたり、と。
そして次の瞬間。ばたり、と地面に落ちる。
まるで、見えない何かに押さえつけられたかのように。縄は地面へと叩きつけられ、そのまま動かなくなった。
男は、顔色を変えた。
「化け物か……」
思わず吐き捨てる。すぐに仲間へ叫んだ。
「引け!」
男達は、それ以上戦うことなく、森の中へ散った。
枝葉をかき分ける音が遠ざかっていく。
その場には、静けさが戻った。
残されたのは。熊。リリアーナ。ラディン。
ラニア。そしてローデン。
誰もが、動かなかった。
視線はすべて、熊に向いている。
黒い刃のついた縄に縛られたまま、巨体は地面に伏している。
その様子を、ただ見つめていた。
その時、森の奥から、人の気配が近づく。
姿を現したのは、エドモンドだった。
矢が止まり、戦いの音も消え、気配が静かだったからだ。
エドモンドは足を止めた。目の前の光景を見た。黒い縄に縛られた、巨大な熊。倒れた木々。荒れた地面。そして仲間達。
「これ、は?」
エドモンドが問いかける。
その言葉に、ラニアは肩をすくめ、つまらなさそうに、言った。
「そのまま、だよ」