軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

熊は、消えた

その時――

森の奥から、圧が来た。重い。息が詰まるほどの、魔力の奔流。

「遅い」

男が、鋭く言い放つ。木々の間を押し分けるように現れたのは――巨大な熊。

常軌を逸した体躯。額には、禍々しい色の魔石が埋め込まれている。

一瞬。エドモンドの意識が、そちらへ逸れた。その隙に、転がっていた男は体勢を立て直した。

ローデンの相手も、熊の背後へと素早く退く。

「やれ」

低い命令。次の瞬間、熊が地を蹴った。

一直線に、エドモンドへ。あまりにも、力の差がある。受け止める暇もない。

エドモンドは剣を握ったまま弾き飛ばされた。

巨体に叩きつけられ、背後の木へ激突する。

鈍い衝撃音。そのまま、ずるりと崩れ落ちた。

「……っ!」

ローデンは剣を構える。ロキの圧で多少は慣れたはずの魔力。だが、これは質が違う。

全身が叫ぶ。

――逃げろ。

熊が、ローデンへ襲いかかる。巨大な腕。

振り下ろされる鋭い爪。

一度目。ローデンは歯を食いしばり、受け止めた。腕が軋む。

二度目。衝撃に耐えきれず、剣が弾き飛ばされた。遠くへ転がる。終わりだ。

ローデンは、死を覚悟した。

だが――熊は、振り下ろしかけた腕を止めた。そして、ゆっくりと方向を変える。

森の奥へ。

いつの間にか、男達の姿はない。気配すら、消えている。熊はそのまま木々の間に溶け込むように消えた。

静寂。

ローデンは、その場に立ち尽くしたまま動けなかった。耳の奥で、心臓の音だけが異様に大きく響いている。

速く。嫌な音だった。

熊の巨体が森の奥へ完全に消えてから、ようやくローデンは息を吸い込んだ。

足の震えを押さえ込み、すぐにエドモンドのもとへ駆け寄る。

「エドモンド!」

膝をつき、素早く全身を確認する。

血は出ていない。骨が不自然に曲がってもいない。だが、あの衝撃だ。内側は分からない。肩を掴み、強く揺する。

「……うっ」

低い呻き声。エドモンドが顔をしかめ、ゆっくりと目を開けた。焦点の合わない視線が、やがてローデンを捉える。

「……」

周囲を見回す。木々。折れた枝。静まり返った森。ローデンしか、いない。

「……追わない、と……」

掠れた声で呟き、無理に立ち上がろうとする。だが足がもつれ、身体が大きく揺れた。

ローデンが即座に支える。

「今は、無理だ」

低く、押し殺した声。戦力が足りない。

体勢も万全ではない。今追えば、同じ結果になるだけだ。

「まずは、手当てだ」

「だが、リリアーナが……」

悲痛な声だった。

「……ラニア、も、だ」

ローデンの喉から、呻くような言葉が落ちる。エドモンドは唇を強く噛んだ。

血が滲む。拳が震える。

ローデンは地面に転がった剣を拾い上げた。

そして――激しく、強く。それを地面へ突き刺した。鈍い音が森に響く。

ローデンはそのまま動かなかった。うつむいたまま、肩が震えている。

怒りか。悔しさか。あるいは、その両方か。

やがて、長い沈黙の後。ローデンは剣を引き抜き、エドモンドに肩を貸した。

「戻るぞ」

低く言う。

一歩ずつ、城へ向かって歩き出す。

森の入口近く。ロキは、まだその場に伏せていた。

動かない。ただ、じっと。体力を回復させるかのように、呼吸を整えている。

弱々しい瞳が、二人を捉えた。エドモンドとローデン。

「まずは、退くぞ」

ローデンが言う。ロキは、かすかに鳴いた。

弱い声。

それでも確かに、生きている証だった。

「……一人で、歩ける」

エドモンドはそう言って、ゆっくりと顔を上げた。

血の気は薄い。呼吸も浅い。だが、その足取りは確かだった。

一歩。また一歩。痛みを押し殺しながら、確実に前へ進む。ローデンは何も言わず、ただ横で見守った。そして、地に伏せたままのロキへ視線を落とす。

「悪いな」

低く呟き、そっと抱き上げた。

ロキは抵抗しない。ぐったりとしているが、意識はある。弱く、喉が鳴る。

その体を支えながら、ローデンは違和感に気づいた。

――血の量に比べて、傷が浅い。

裂かれていたはずの箇所は、すでに塞がりかけている。完全ではないが、明らかに回復が早い。

魔獣の、能力か。常の獣とは違う。

だが――弱っているのは事実だ。

腕の中の体温は高く、呼吸も不安定。

ローデンは森を振り返った。静まり返る木々。その奥に、あの巨大な影。

……熊の魔獣か。正面からぶつかって、勝てる気がしねぇ。本音が、胸を過る。

ローデンは小さく舌打ちし、頭を振った。

弱気を追い払うように。再び前を向く。

その瞳には、先ほどとは違う光が宿っていた。

悔しさでも、焦りでもない。

――決意。

必ず、取り戻す。

その無言の誓いを胸に、ローデンは歩き出した。