作品タイトル不明
水面下での動き
ラディンは、ある噂を耳にした。
――あの民族の動きが、水面下に潜った。
表立った動きはなくなり、示威も止んだという。だが、それは沈静化を意味するのだろうか。
いや、とラディンは思う。静かになったということは、目的が定まったということだ。
余計な波を立てる必要がなくなった――そういうことではないのか。
そして浮かぶ、ひとつの可能性。魔獣使いを、本気で探し始めた。そう考えても、おかしくはない。もしそうなら。胸の奥に、嫌な予感が沈んだ。
……一応、ラニアには伝えておくべきだな。
独り言のように呟き、ラディンは立ち上がった。
部落を出る頃には、季節はすでに移ろい始めている。あれほど深く積もっていた雪も、ほとんどが溶け、地面は湿り気を帯びた土を覗かせていた。
冷たい風の中にも、わずかな春の匂いが混じる。
ラディンは外套を翻し、振り返ることなく歩き出した。静けさの裏に潜むものを確かめるために。そして、ひとりの少女へ忠告を届けるために。
城に赴いたラディンを、最初に見つけたのはエドモンドだった。廊下の向こうから歩いてくる姿に気づいた瞬間、エドモンドはわずかに眉を寄せる。ほんの少しだけ、苦い顔。
「どうした?」
短く問いかける。
「いや、ラニアに少し話があって」
ラディンはそう答えながら、なぜだか居心地の悪さを覚えていた。視線が落ち着かない。自分でも理由はわからない。
そのとき――
「ラディンじゃないの。どうしたの?」
明るい声が響く。
振り向けば、リリアーナがこちらを見ていた。心なしか、その瞳はきらりと輝いている。
彼女は迷いなく駆け寄ってきた。
「……元気そうだな」
ラディンは少し眩しそうに目を細める。
「いつもと、同じよ?」
くすりと笑うリリアーナ。
その間に、すっとエドモンドが割って入った。さりげないが、確実に二人の間を遮る位置取り。
「ラニア、だよな。案内するよ」
エドモンドはラディンに言いながら、ちらりとリリアーナへ視線を向ける。
「リリアーナは、まだ調合の途中だっただろう?」
「あ……そうだけど……」
言葉に詰まるリリアーナ。
エドモンドの無言の圧を感じ取り、視線を泳がせた。
「……続き、してきます」
肩を落とし、名残惜しそうにその場を離れていく。その背を見送りながら、ラディンは小さく息を吐いた。
城の空気は、外よりも少しだけ、緊張を孕んでいる気がした。
エドモンドに案内され、中庭へ足を踏み入れたラディンは、そこで思わず足を止めた。
乾いた剣戟の音が、春の気配を帯びた空気を震わせている。
視線の先――ローデンとラニアが、向かい合って剣を交えていた。
「……」
ラディンは目を見開く。
軽やかに踏み込み、無駄の少ない軌道で振るわれる刃。ラニアの剣筋は、想像していたよりもずっと良かった。
「……いつも、しているのか?」
低く問う。
「いや、始めたのは最近だな」
隣でエドモンドが答える。
「ローデンはかなり強いから、俺も時々相手をしてもらう」
その声音には、素直な信頼が滲んでいた。実力を認め、頼りにしている響き。
そのとき。カン、と乾いた音が響き、ラニアの剣が弾かれた。次の瞬間、彼女の手から剣が離れ、芝の上に転がる。
「あー。やっぱり、まだ無理だね」
悔しさよりも、どこか楽しげな声でラニアは言った。しゃがみ込み、剣を拾い上げる。その動作の途中で――ふと顔を上げた。
そして、視線が止まる。
「……ラディン?」
少し驚いたように、金色の瞳がわずかに見開かれた。
「いつ、来たのさ」
剣を手にしたまま、ラニアはぱっと顔を輝かせ、ラディンへと駆け寄った。
その途中で、くるりとローデンを振り返る。
「ありがと。練習は、また今度ね」
軽くそう言い残し、きびすを返して再びラディンのもとへ。
中庭には、ローデンだけが取り残された。剣を持ったまま立ち尽くすその姿を、エドモンドはそっと横目で見る。
視線の先では、すでにラニアがラディンに親しげに話しかけていた。距離も近い。声も、どこか弾んでいる。
エドモンドは小さく息をつき、ローデンの方へ歩み寄った。
「……俺と、剣の練習でもするか」
さりげなく声をかける。
「……しない」
短く返し、ローデンは剣を地面に突き立て、その場にどさりと座り込んだ。
しばらく黙ったまま、視線は二人に向けられている。
やがて、ぽつりと尋ねた。
「ラニアとラディンは、血縁なのか?」
目は逸らさない。じっと、二人の背中を見つめたまま。エドモンドは一瞬だけ言葉を選ぶ。
「……血縁、といえば、そうなるか」
慎重な答えだった。
ラニアの出自は、軽々しく口にできるものではない。ローデンは黙り込む。
……人外なのに、血縁、ねぇ。
胸の内で呟く。謎が多すぎる。
だが、それを本人に問いただすこともできない。
ただ、笑い合う二人の姿を見つめることしかできなかった。