作品タイトル不明
アグネッタからの手紙
落ち着きを取り戻したころ、リリアーナはぽつりと言った。
「あのね……師匠が、皇国へ行ったの」
エドモンドは、言葉を失った。
「皇国から人が来て……私には、来なくていいって」
リリアーナは視線を落とす。
「師匠に、たくさん薬を作ってもらったのに……お礼も、何も言えてない……」
声が震え、表情が歪む。
「リリアーナのせいじゃない」
エドモンドは静かに言った。
「でも……」
言い募ろうとしたその唇を、エドモンドはそっと塞いだ。
短い口づけのあと、彼は額を寄せるようにして言う。
「今は、何も出来ない。でも……俺も考える。必ずだ」
リリアーナは、何も言わずに頷いた。
――戦場に出てから、エドモンドはずっと焦燥を抱えていた。
人が死ぬことは、あまりにも容易い。だが、終わりの見えない戦場の日々は、それ以上に心を蝕む。
生きている間に、守れるものは守りたい。
後悔を、これ以上増やしたくない。
エドモンドは、もう躊躇わないと決めた。
リリアーナは、何も出来ないまま数日を過ごしていた。魔鳥襲来も、戦争も終わったはずなのに、胸の奥に残った不安だけが消えない。
ある日、城に一通の手紙が届いた。
オルフェウスは封を改め、苦笑しながら言った。
「俺宛になってはいるが……どう見ても、リリアーナ宛だな」
そう言って、手紙を差し出す。そこには、見慣れた筆跡でこう記されていた。
――先日は急ぎ出立したため、秘蔵の薬を持ち出せなかった。
願わくは、一番奥の棚の一番上にある薬を、一列すべて送ってほしい。
送り先の住所を同封する。
年齢のせいか、時折心臓が痛むことがあるが、馬車にはゆっくり進んでもらっている。
心配は、しなくていい。
……確かに、一番奥の棚の一番上。
そこには、師匠が長年かけて調合した、特別な薬ばかりが並んでいる。
「どういう意味……?」
胸の奥が、ざわりとした。
手紙を読み終えたエドモンドは、しばらく黙り込み、それから静かに言った。
「リリアーナ。これは……アグネッタに会う手立てになる」
リリアーナは顔を上げた。
「でも、この住所……皇国ですよね?行くのは、あまりにも危険です」
「確かに危険だ。でも――」
エドモンドは言葉を選びながら続けた。
「これを逃したら、もう二度と会えないかもしれない」
沈黙が落ちる。
「……薬の量は、そんなに多くなかったな?」
「はい」
「なら、馬で行くのはどうだろう。移動時間も短いし、いざとなれば逃げ足も速い」
最後に残された道。それが、再会への唯一の可能性だとしたら。そして――これが、最後になるかもしれない。
そう思うほど、リリアーナの心は揺れていた。答えが出せないまま、彼女は手紙を胸に抱きしめた。
「リリアーナ、薬を持って行ってあげたら?」
不意に、ラニアが口を開いた。
その声は幼いながらも、驚くほど落ち着いていた。
「ずっと心配してたでしょ。今しか、ないよ」
リリアーナはラニアを見つめた。胸の奥に押し込めていた不安が、言葉にされて浮かび上がる。――その通りだ。皇国へ行く機会など、これを逃せば二度とないかもしれない。
「……薬を届けに、行く」
そう告げると、エドモンドはすぐに頷いた。
「なら、早い方がいいな」
「僕も、行くよ」
ラニアの言葉に、エドモンドとリリアーナは同時に彼女を見た。
「馬に乗れるのか?」とエドモンドが尋ねる。
「多分、大丈夫」
即答だった。
「子ども連れは、不審がられるんじゃ……」とリリアーナが言うと、ラニアは首を傾げて笑った。
「僕とリリアーナがアグネッタの弟子。エドモンドは護衛。薬が貴重だから、弟子が直接運びたいって言えばいいでしょ?」
「皇国は危険だ」
とエドモンドが言う。
「だからこそ、だよ。僕はリリアーナを守るって、言ったはずだよね」
それ以上、誰も反論できなかった。
行動が決まると、三人はオルフェウスのもとへ向かった。
「俺とリリアーナ、そしてラニアの三人で、馬で皇国へ向かいます」
エドモンドは一息置き、続けた。
「その前に、リリアーナと入籍しておきます」
リリアーナは、言葉を失った。
――聞いていません、それは。
「三人で皇国へ行く、までは理解した」
オルフェウスは言った。
「後半が、よく聞こえなかったのだが」
「リリアーナと、籍を入れます」
きっぱりとした声だった。オルフェウスはリリアーナを見る。どう見ても、動揺している。
「……リリアーナも、同意しているのか?」
「勿論です」
エドモンドは即答し、彼女を見た。
「そうだろ、リリアーナ」
――同意を求められた記憶はありません。
だが、反対する理由もなかった。
リリアーナは、かろうじて頷いた。
そのとき、静かにマルグリットが口を挟んだ。
「……籍を入れても、男女の仲はいけませんからね」
「なぜですか?」
とエドモンドが尋ねる。
「女性の身体に負担がかかるものです。馬での長旅の前にすることではありません」
きっぱりとした言葉だった。
オルフェウスは顔を赤くしたり、青くしたりしながら、視線を彷徨わせていた。