作品タイトル不明
リリアーナ、皇国に着く
手紙の包みの中には、一枚の金属板が入っていた。
刻まれているのは、見覚えのない紋章。薬草の小包には、その金属板を必ず添えるよう、指示が記されていた。
エドモンド、リリアーナ、ラニアの三人は、薬草と金属板、そしてアグネッタの手紙を携え、馬で記された住所へと向かった。道中、リリアーナはふとラニアに声をかけた。
「ねぇ、ラニア。いつの間に馬に乗れるようになったの?」
リリアーナが乗っているのは、以前、矢の職人のもとへ行ったときと同じ馬だった。この馬にだけ、ようやく一人で乗れるようになったのだ。
……やっぱり、馬って少し怖い。
リリアーナは内心、そう思っていた。
「練習は、してないよ」
ラニアはあっさりと言う。
「だって、『乗せて?』ってお願いするだけでしょ?」
……そんな簡単な話ではないと思うのだけど。
リリアーナは、思わず口をつぐんだ。
それでも現実に、ラニアの馬は落ち着いて歩いている。ラニアの姿勢も崩れていない。背筋を伸ばし、手綱を正しく取り、まるで長年乗り慣れているかのようだった。
リリアーナはちらりとエドモンドを見る。
……もしかして、エドモンド様も、最初は馬に乗るのに苦労したのかしら?
その考えは、すぐに否定された。
エドモンドは心底、馬が好きらしく、楽しげに乗りこなしている。苦労の影など、微塵もない。
リリアーナは、じとりとした視線をエドモンドに向けた。
……なんだか、不公平だわ。
隣国では、金属の板を示すだけで、何事もなく通過することができた。しかし皇国に入ると、検問で馬を止められた。
「手紙には“送る”とあるが……」
憲兵は訝しげに三人を見回す。
「運び屋には見えんな」
胸の奥がきゅっと縮む。
リリアーナは、何度も心の中で繰り返し練習した言葉を口にした。
「これは、師匠のとても大切な薬草です。弟子として、責任をもって運びたいのです」
憲兵はじろじろと、リリアーナ、エドモンド、ラニアの順に視線を走らせた。
「本当にか?他に、何か目的があるのではないか?」
リリアーナの身体が、無意識に強張る。
エドモンドが口を開こうとした、その瞬間だった。
すっと、ラニアが一歩前に出た。
「あのさぁ。とっても大事だから、わざわざ僕たちが運んでるんだよ」
ラニアは、ひょいと金属の板を掲げる。
「それとも、代わりに運んでくれるの?渡してもいいけどさ、途中で失くしたら……どうなるか、知らないよ?」
そして、憲兵を見上げて言った。
「通すの。通さないの。どっち?」
一瞬の沈黙のあと、憲兵は視線を逸らした。
「……まあ、いいだろう。通れ」
門が開く。
リリアーナは、こらえていた息を小さく吐いた。そして、そっとラニアを見る。
ラニアは、何事もなかったかのように平然としていた。
……明らかに、助けてくれた。
「ラニア、ありがとう」
小さな声でそう言うと、ラニアは少しだけ照れたように笑った。
「どうってこと、ないよ」
手紙に記されていた住所に辿り着いたとき、リリアーナは思わず息をのんだ。
非常に立派な屋敷だった。
高くそびえ立つ壁と、重厚な門。
ここが、皇国の中枢に近い場所であることは、周りを見ただけで分かる。
胸の鼓動を落ち着かせるように息を整え、リリアーナは門番に名乗り出た。
「此方に滞在しているアグネッタ様に、薬草をお届けに参りました」
しばらくして、門の向こうから足音が響く。
現れたのは、見慣れた師の姿と、付き人らしき人物だった。
「憲兵から連絡が来たけれど……本当に、リリアーナなのね」
アグネッタの声は驚きを含みながらも、確かに本人だと判った安堵が滲んでいた。
リリアーナは一歩前に出て、薬草の包みを抱き直す。
「師匠の、とても大切な薬草です。……他人には、任せられませんでした」
その言葉を聞いたアグネッタは、ふっと表情を緩めた。その眼差しは、懐かしく、そして優しかった。
「……そう。苦労をかけたわね」
アグネッタは一度、屋敷の奥へ視線を向ける。
「少し休めるかどうか、確認してくるわ」
そう言って踵を返す背中を見送りながら、リリアーナはふと気づいた。
——この屋敷、薬草の匂いが濃い。
空気そのものに染みついたような、長く使われてきた匂いだ。
……もしかして。ここには、病人がいるのだろうか。リリアーナの胸に、静かな不安が広がっていった。
リリアーナたちは、屋敷の客室へと案内された。重厚な調度品に囲まれた静かな部屋だったが、どこか落ち着かない。
用意された飲み物に手を伸ばす前に、リリアーナは意を決して口を開いた。
「……もしかして、こちらには病人がいらっしゃるのですか?」
アグネッタは、ほんの一瞬だけ目を細めた。
「どうして、そう思ったのかしら?」
「薬草の匂いがします。ほんの僅かですが……しかも、一種類ではありません」
その瞬間、扉が開いた。
「どうやら、弟子も優秀なようだな」
落ち着いた声とともに現れたのは、身なりの整った男だった。
仕立ての良い衣服、無駄のない動作。ただの貴族ではないと、一目で分かる佇まいだった。
「盗み聞きとは、不愉快です」
アグネッタは、はっきりとした声で言った。
「申し訳ない。つい、気になってしまってね」
男は肩をすくめるようにしてから、リリアーナへと視線を向けた。
その視線は、値踏みするようでもあり、同時に興味を隠そうともしないものだった。