作品タイトル不明
城の外にて
セラフィーネはリリアーナを起こし、台所の場所と使ってよい食材を教えてもらった。二人で温かい飲み物とパン、果物を用意し、ラディンの部屋へ戻る。
だが、ラディンはすでに再び眠りに落ちていた。
それを見て、セラフィーネはリリアーナに小声で言った。
「昨日は夜遅くまで大変だったでしょう。疲れた顔をしているわ。もう休んでいいのよ」
瞬きを繰り返していたリリアーナは、その言葉に甘えることにした。実際、身体は限界だった。
部屋を出る前、リリアーナはもう一度ラディンの顔を見つめる。泉から引き上げた時よりも、わずかだが血色が戻っているように見えた。
「……お願いします」
小さくそう呟き、リリアーナは静かに扉を閉めた。
意識を取り戻したラディンだったが、翌日になってもベッドから起き上がることはできなかった。
セラフィーネは調合師であるアグネッタに頼み、ラディンの診察をしてもらった。しかし、アグネッタにもはっきりとした原因は掴めなかった。
……もしリリアーナの言う通り貧血であれば、食事をきちんと摂り、安静にしていれば、時間とともに回復するはずだ。
「栄養と、あとは時間ね。それがいちばんの薬よ」
アグネッタはそう言うのが精一杯だった。
ラディンは、食事の時以外はほとんどベッドから起きられない状態が続いた。その様子を見て、セラフィーネは島へ戻る予定を一日、また一日と延ばしていった。
オルフェウスも、エドモンドも、リリアーナも、ただ経過を見守ることしか出ない日々が続いていた。
ラディンが泉から救い出されて、一週間が過ぎた。空はよく晴れ、春の陽射しがやわらかく城の外を照らしている。
その日、リリアーナはエドモンドと共に、城の外で甘甘草の苗の様子を確認していた。葉の色や土の湿り具合を見て回っている最中、リリアーナはふと、胸の奥をかすめるような違和感を覚え、顔を上げた。
――何か、いる。
視線の先、遠くの森の木立の中に、人影が見えた。木陰だが、髪の色が紫だとわかった。
「……?」
リリアーナは思わず目を凝らした。
紫――?
見覚えのある色だ。しかし、知っている姿とは何か違う。……背は少し高くなり、髪が長い?
――まさか。でも。……もしかして、ラニアなの?
リリアーナは、その場に立ち尽くしたまま動けなくなった。その様子に気づき、エドモンドも彼女の視線の先を追う。
しばらく黙って見つめた後、低く呟くように言った。
「……あれは、ラニアじゃないのか?」
二人の視線の先で、紫の髪の人物は、確かにこちらを見つめ返していた。
この辺りでは、紫色の髪はあまりにも珍しい。ラニアなのか、それとも別人なのか――どちらにしても、確かめずにはいられなかった。
「待って——」
リリアーナが呼び止めるより早く、エドモンドの足は地を蹴っていた。人物は、こちらへ一直線に向かってくるエドモンドの姿を認めると、低く、地を這うような声で呟いた。
「……久しぶりだね、エドモンド」
エドモンドは、距離を詰めるにつれ、否応なく確信が迫ってきた。どう見ても、ラニア以外には思えない。
「……ラニア、なのか?」
震えを隠せない声で問いかけると、その人物はゆっくりと口元を歪めた。
「……そうだよ」
にやりと笑って、ラニアは答えた。
エドモンドは、その場に立ち尽くしたまま、言葉を失っていた。喉の奥がひくりと鳴ったが、声にはならない。
少し遅れて、リリアーナが走ってくる。エドモンドの隣に並び、その人物を見上げた瞬間、はっと息を呑んだ。
「……ラニア?」
呼びかけると、紫の髪の少女はにっこりと微笑んだ。
「そうだよ、リリアーナ。僕を置いていくなんて、ひどいな。とっても寂しかったんだけど?」
――無理やり泉に沈めておいて、何を言っているの。
そう言い返したかったのに、リリアーナの喉からはヒュッという音しか出なかった。
エドモンドが一歩前に出て、庇うようにリリアーナの前に立つ。
「皆がリリアーナを心配していたんだ。何の相談もなく、突然消えるほうが悪い」
低く、鋭い声だった。
ラニアは肩をすくめる。
「だって、言ったら反対するでしょ?」
「当たり前だ」
エドモンドは噛みつくように言い返した。
しばしの沈黙の後、ラニアは細く目を細め、じっとエドモンドを見据えた。
「……まあ、過ぎたことは水に流そうよ。お互いにさ」
その笑みは、どこか湿り気を帯びていて、リリアーナの背筋に冷たいものを走らせた。
「……これから、どうするつもりだ」
エドモンドは警戒を隠さず、低い声で問いかけた。
「リリアーナと、前みたいに一緒に暮らしたいんだけど。駄目かな?」
ラニアはこてん、と無邪気に首を傾げる。その言葉に、エドモンドとリリアーナは同時に言葉を失った。だが、だからといって、このままラニアを放置するわけにもいかない。
「……もうすぐ暗くなるわ」
意を決したように、リリアーナが口を開いた。
「ラニア。人を心配させるようなことはしないって、約束できる?」
「リリアーナが望むなら」
ラニアはあっさりと答えた。
……私を傷つけたわけではない。おそらく、理由があったのだと、思いたい。
リリアーナの考えは、甘かった。
「……とりあえず、一緒に城へ行く?」
リリアーナはそう言って、ラニアに手を差し出した。
だが、その前に、エドモンドが一歩踏み出す。
「待て」
鋭い声が空気を切った。
――ラニアを、信じることはできない。
「俺は反対だ」
エドモンドは睨みつけるようにラニアを見据えた。
するとラニアは、視線をリリアーナへ向け、ふと尋ねた。
「ねえ、ラディンはどうなってるの?」
その言葉に、エドモンドとリリアーナは思わず目を見開いた。
「僕とリリアーナがいれば、ラディンはすぐ元気になるよ?」
ラニアは、楽しそうに――あまりにも無邪気に、そう言った。