軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

■9.あまりに聖女が喜ぶので

縋るような目で服の裾をきゅっと掴まれ、ヴァルディは硬直する。

うっかり「可愛い」という感想で頭が占められ、すぐに「いや可哀想の間違いだから、格下の存在への憐憫だから」と理性が訂正してきて、それから「さっきまで幸福そうだったくせに急に怯えてどうしたんだ」という疑問が追いついて、最後に「頭痛か。腹痛か。まさか俺の尻尾が重くて太腿を痛めたのか」と心配が募って、おろおろと再び隣に腰を下ろす。

「ど、どうしたシェリネ?」

「もう……ヴァルディさんの上司さんが、来る時間なんですね……」

「え? 上司?」

「捕虜にした私を、ギャン泣きするまで虐めるために……」

そういえば全て架空の上司のせいにしたんだった。

「聖女絶対泣かす宣言の上で、私の身柄を要求した方なんですよね……」

「うっ」

「私、どんな目に遭うのかな……」

膝の上できゅっと拳を握るシェリネの顔は、すっかり蒼褪めている。

「素手で固い地面のタケノコ掘りをさせられたり、死ぬ気で泳げばギリギリ逃げ切れる絶妙な塩梅でワニと遊泳競争させられたり、雪が降る屋外で裸足のまま空気椅子を命じられた私を温かいココアを飲みつつ眺められたりするのかな……」

「なんで分かった!?」

どうやって聖女を泣かせてやろうかなと知恵を振り絞って紙に書き出しておいた「人間を死なない程度に痛めつける虐め方十選」を、次々と言い当てられてしまったヴァルディは狼狽えた。狼狽えついでに正直な反応をしてしまったせいで、シェリネは「やっぱり……!」と戦慄している。

「そうですか……今から私、タケノコを掘るんですね……」

シェリネは諦めたように言った。

「私が魔界を攻めた首謀者になっているから、恨まれるのは当然ですよね……」

「いや、その」

「でも、たとえ私が真実を話して、それを上司さんに信じてもらえたとしても……」

「し、しても……?」

「それで、じゃあこの捕虜いらないって返品になったら……賠償金代わりにすらならなかったと分かれば、それこそ私の末路は決まっていますから。魔界でさえ用なしの存在になったら……のこのこ国に帰ったところで、もう居場所なんて……」

今にも泣き出しそうな気配に、ヴァルディは焦った。しかし何を言えばいいのか分からない。

「それなら捕虜の役目を全うするほうが、ずっとマシですよね。魔界に喧嘩を売ったフロギア王国を、この身一つで許してもらえるのなら、本当にありがたいことですから。神殿のあの連中はともかく、真面目な神官さんや信者の皆さんに迷惑をかけずに済む」

予想に反し、シェリネは涙を零すことはなく、笑みさえ浮かべてみせた。だが、それは決してヴァルディが嬉しくなるような笑顔ではなかった。

「だから、タケノコ掘りも、ワニとの競争も、雪中空気椅子も、甘んじて受けないと、いけないんですよね。もうそれくらいしか、私には役目がないですから……」

シェリネの目が、牢屋で最初に対面した時と同じ、死んだ目に戻ってしまった。

あんなにきらきらして、宝石みたいで綺麗だったのに。

こちらが何かするたびに、まるで磨いたみたいに輝いてくれたのに。

「大丈夫だ」

多大な喪失感に動揺したヴァルディは、消えたものを取り戻したい一心で、シェリネの肩をガシッと掴んだ。

「えっ?」

驚いた彼女が顔を上げる。ヴァルディは見切り発車で口を開いた。

「俺の上司は、今日は来ない。なぜなら……えっと、あー、あれだ、そう、出張中だからだ!」

「出張」

ぽかんとオウム返しするシェリネに、ヴァルディは力強く頷く。

「言い忘れていたが、俺の上司は急用で魔界の端っこまで出張に行ったんだ。たぶんしばらく帰ってこない」

今日一日で対シェリネ用の嘘の達人になったヴァルディは、堂々とホラを吹く。

「いいかシェリネ。お前にどんな事情があろうが、実は戦争の責任者じゃなかろうが、俺……の上司は、知ったこっちゃない。お前が捕虜から解放されることは二度とない。用なしだって言って王国に突き返したりしない。今さら手放すとかあり得ない。いらないなんて、絶対に言わない」

架空の上司のせいにして、堂々と本音を漏らす。

「だってお前、聖女だろ。それだけで捕虜の資格は充分だ。聖女ってだけで、なんか生意気だから。喧嘩売ってきた国が差し出す賠償金代わりとして適切過ぎる人材だ。誰が返品なんかするか。って、上司は言うはずだ」

そうだ。もうお前に用はないから帰っていいなどと、誰が言ってやるものか。

「つまりお前が用なしになることは今後も永遠にないし、でも上司は出張中で捕虜いびりも延期だから、お前が酷い目に遭う日はしばらく来ない。だから安心しろ。あと上司の留守中に捕虜を餓死させるわけにはいかないから、今日に引き続き、当面の間は俺がシェリネの面倒を見てやる。分かったな?」

肩を掴まれたまま固まっていたシェリネは、ヴァルディが怒濤の勢いで放った言葉をすぐには受け止め切れないのか、何度も瞬きをして。

「えっと……」

瞬きのたびに、死んだ目に生気を取り戻していって。

「私が返品されることはなくて……」

「そうだ」

「上司さんは出張中だから、まだ素手でタケノコを掘らなくてよくて……」

「そうだ」

「当面の間、ヴァルディさんが……」

最後の情報に追いついたシェリネの瞳が、一気に輝いた。

ただ純粋な喜びに彩られていく表情に、ヴァルディは目を奪われる。

「明日も、ヴァルディさんがいてくれるんですか?」

単にそれだけのことを。

ヴァルディがいるだけのことを、彼女があまりにも嬉しそうに訊くものだから。

「……そうだ。ずっと一緒にいる」

彼女に目だけでなく、重要な何かしらも奪われたような気がしたけれど、それはヴァルディにとって本日何度目かの未知の感情だったので、深く考えるのは早々に放棄した。

分からないことを考えて立ち止まるより、今はシェリネの喜びを確定してやりたい気持ちのほうが勝ったので。

「見張り番の俺は、捕虜のお前を見てやるのが仕事だから」

そう答える自分が、どれほど優しく笑っているか、ヴァルディは知らない。