作品タイトル不明
■22.不可解な感情の名前を知った
ヴァルディに屈伸運動だと言い張られ、素直に納得したらしきシェリネは、今度は気づかわしそうにヴァルディの膝を注視した。
「屈伸……膝が痛んだのですか? あ、そういえば神殿常連のおじいさんが、『天気によって関節が痛みよるんじゃあ』と言っていた気が。それでは聞いてください。曲名、『膝に水が溜まっ……』」
「だから歌わなくていい! ちょっと気になる曲名だから一回聞きたい気もするがこんなどうでもいい局面で聖女の力を使わなくていい! 俺の膝は健康だ!」
「そ、そうですか……?」
ヴァルディはシェリネを強引に居間へ連れて行き、強引に長椅子へ座らせ、自分も隣に腰掛けた。
まだシェリネがちらちらとヴァルディの膝を気にしているので、「魔族には唐突に屈伸する文化があるんだ、気にするな」と、使い放題の切り札で場を収める。
「なるほど、そういう文化なんですね。ヴァルディさんが健康でよかったです」
心から安堵している様子のシェリネに、ヴァルディはそんな場合ではないが嬉しくなり、そんな場合ではないことを思い出し、おずおずと切り出してみた。
「あのさ、シェリネは、その……お前を捕虜にした魔族に会うのは嫌か?」
「はい」
「うっ」
「できれば未来永劫会いたくないです」
「ぐぅっ」
即答二連撃の拒絶にヴァルディは再び崩れ落ちかけたが、今回はすでに着席状態なので呻いただけで済んだ。
その呻きもシェリネに聞こえないように噛み潰し、努めて平静を装って「そ、そうか」と相槌を打つ。
「ヴァルディさんの上司さんは悪くないって、分かってはいるんです。攻めてきた相手を返り討ちにするのは、魔界を守るための当然の行動ですから」
シェリネは悲しげな様子で続ける。
「でも、もしも何千人を殺して何も感じない、笑いながら返り血を浴びて死体の山を築ける系の無慈悲な方だったらと思うと、正直めちゃくちゃ怖くて……」
あまりにも的確に図星だったので、ヴァルディは息を呑んだ。
戦場で大勢の人間を殺したことについて、今も良心の呵責など感じていない。
笑っていたのも事実だ。戦うのは好きだから。戦いにすらなっていないと分かってからは楽しくなくなったけれど。
それでも外敵を処理する手を緩めることはしなかったから、無慈悲というのも正解だと思う。
「聖女絶対泣かす宣言もされてしまいましたし……」
した。なんなら高らかに宣言した。そのせいで実情との落差が激しい。全く宣言通りではないことを魔王や他の魔族たちに知られないよう、どうにか見栄を張る日々である。
「だから会いたくないです……」
シェリネが思い描く「シェリネを捕虜にした魔族像」は、そのままヴァルディの事実で相違なかった。
ヴァルディは三度目の衝撃に、じっくりと胸を潰される。
魔族をみんないい人だと断言するシェリネに、唯一忌避される魔族が、自分。
本当のことを知られたら、シェリネに嫌われる。
「……それに、上司さんが帰ってきたら、もうヴァルディさんと……」
ヴァルディがだらだらと冷や汗を流して押し黙っていたら、何か言いかけていたシェリネがぎょっとした顔になり、慌てて頭を下げてきた。
「す、すみません! ヴァルディさんの上司さんを悪く言って!」
「え? あ、ああ、別に気にするな。そんなに敬ってる上司じゃないし、うん」
「えっ。ヴァルディさんは敬ってない人からの命令なのに、毎日ものすごく真面目に捕虜の監視業務に励んでいたんですか?」
「そ、そうだ。上司への尊敬度合いなど関係なく業務を完璧にこなしてこそ、できる見張り番だからな。手抜き仕事はしないんだ」
「意識が高い……!」
再びシェリネの背後にでかでかと幻視される「尊敬!」の文字。そんな彼女の様子に、ヴァルディはこっそり安堵の溜め息を吐いた。今はバレていない。まだ。
このまま嘘を突き通せば、これまで通りの日々を送れる。
これからも、一緒にいるだけで喜ばれる存在でいられる。
「あと、上司のことなら安心しろ。言い忘れていたが、出張が長引きそうだって連絡が来てるから。まだまだ帰ってこないと思う」
「本当ですか?」
「ああ。嘘じゃない」
ヴァルディはいつものように、躊躇なく嘘を重ねた。
だが、自分が嘘を吐く動機は「シェリネに嫌われたくないから」だったのだと明確に自覚して嘘を吐いたのは、これが初めてだった。
そしてそれを自覚できたヴァルディは、連鎖的に理解する。
今まで幾度も追及を棚上げしてきた、シェリネに抱く不可解な感情、その名称を。