作品タイトル不明
54話(番外編 信頼)
国境からほど近いところに開けた平地が見える。
そこには、仮設の会談場が設けられていた。
天幕が張られ、中央には長い机がひとつだけ置かれていた。
その左右に、それぞれの国の使節団が控えている。
護衛の兵は互いに距離を保ち、じっと様子を窺っていた。
一歩間違えば、そのまま戦になる、そんな張り詰めた空気の中で、若き王ライナーは、静かに席に着いた。
その一歩後ろには、エミー。そして、さらに後方には、北の国境を守り続けてきた彼女の父、辺境伯エリックが立っている。
彼がそこにいるだけで、その場の空気が引き締まる。その存在こそが味方に安心感を与えていた。
ーーーー
先に、隣国の使節が口を開いた。
「王都の混乱、こちらにも伝わっている」
それはまるで、こちらを探るような声だった。
そのまま訳せば、明らかな圧力となる言葉。
しかし、エミーは一瞬だけ思考を巡らせ、言葉を選び、訳した。
「国内の変動を受け、国境の安定について少々懸念されている、とのことです」
彼女の言葉が場の空気を少しだけ和らげた。
余計な火種を生まない、絶妙な言い回しだった。
ライナーは黙ったまま頷いた。そして一瞬考えやはり、言葉を選ぶ。
「懸念は理解している。しかし、安心してもらいたい。王都は寧ろ以前より安定している。我々は貴国との無用な衝突は望んでいない」
その言葉を、エミーが丁寧に伝えた。
相手の使節は、じっとライナーを見つめた。
「では、どう示す」
言葉は短いが、鋭い問いだった。試されているのは明らかだ。
エミーは冷静に考えを巡らせる。
その間、ライナーと視線が交差する。彼の穏やかな眼差しが自分を信頼していると確信し、エミーは口を開いた。
「……こちらから提案がございます」
ライナーの意を汲み、その決意を代弁するように言葉を伝える。
「国境線は現状のまま維持する。その上で、互いに自由に行き来して、交易ができる関係を目指しましょう」
ざわり、と空気が揺れた。
「交易だと?」
「はい」
エミーは続ける。
「貴国の豊富な鉱物資源と、我が国の穀物および加工品を交換する形にございます」
エミーは視線をまっすぐに向けた。
「互いの不足を補うことで、争う理由そのものを減らす。そのような関係を築きたいと考えております」
沈黙が落ちる。
その時、後方で、わずかに人が動く気配がした。辺境伯エリックだった。
ただ立っているだけだが、その存在そのものが、この一触即発の空気に安心感を与えてくれる。
相手の使節の視線が、ほんの一瞬だけそちらへ流れた。
そして、再びライナーへと戻る。
「……面白い。争わずに互いが利益を得る、か」
ライナーは、また、言葉を選ぶ。
「誤解しないでいただきたい。我が国が戦うのは守るためだ。他国を侵してまで奪うことに、価値など感じていない。ここで手を取り合うことこそが、互いの国にとって最善の道だと信じている」
その言葉は、静かでありながら、揺るぎがなかった。
相手の使節は、しばらく考えていたが、やがて、微かな笑みを浮かべた。
「……確かに悪くない」
その一言で、場の空気が、大きく変わった。
張り詰めていた緊張が、ゆっくりとほどけていく。
エミーは、胸の内でそっと息を吐いた。
伝わった。言葉も、意志も。そのすべてが、確かに相手へ届いたのだ。
そんな中、ふと視線が交わった。ライナーがわずかにこちらを見ていた。ほんの一瞬だったけれど、その瞳に、揺るぎない信頼を、感じとった。
エミーは彼から確かに受け取った。信頼を、そして、誰かに必要とされる喜びも。
そして何より、わたくしの言葉が、両国の和平にほんの少しでも役立ったのだとしたら、そのことが、何よりも嬉しい。
これまでの努力が決して無駄ではなかったのだと、今なら自分で自分を褒めてあげたいような気がした。
エミーはライナーの眼差しに応えるように、そっと目を伏せた。
伏せられた瞳の先に、天幕の隙間から柔らかな光を感じた。
それは、まるで新しい時代を照らすような穏やかな光だった。