作品タイトル不明
7. 麗美
「おばあさんは?」
秋人が尋ねると、彼女は困ったように小さく頷いた。
「秋人くんが薫と暮らすようになった頃に、ちょっと具合が悪くなってね。今は施設にいるの」
「僕、あの後何回か行ったんだけど。お店、無くなってたから」
最初に行った時は閉店していただけだったが、3度目に訪問した時は店自体が無くなって駐車場になっていた。薫は調べてくれようとしたが、秋人は断った。彼女が死んだのではないかと思って怖かったのだ。
「お見舞いに行ってもいい?」
と秋人がおずおず尋ねると、ママは「もちろん」と笑って住所をコースターの裏に書き込んだ。
「お義母は貴方がしっかりした保護者の元に引き取られて、とても安心してたわ」
彼女は慈愛の籠った瞳で秋人を見つめた。
「大きくなったわねぇ」
しみじみと呟く。秋人は頬が赤くなった。
「それから…」
ママはテーブルの上に置いてあるピッチャーを掴むと、薫の頭の上にぶちまけた。秋人と後藤がぎょっとする前に
「つめてっ」
と薫が跳びあがる。
「とっくに起きてたでしょ。狸寝入り止めなさい」
ママの冷たい声音にしぶしぶ薫が起き上がった。
「いくらなんでも、これはなくない?俺一応客だよ」
薫がぼやきながら髪を掻き上げた。見慣れている秋人でさえ、思わずどきりとするような色気駄々洩れの仕草だった。
「・・・・・・・・・・・・・おおお、カメラあったらなぁ。今の写真なら万の単位の値段がつくのに」
というママの言葉にうんざりと薫が首を振る。
「麗美さん、いい加減その副業やめてください。迷惑です。俺もう婚約者がいるんで」
「だってスナックの運転資金足りないんだもん」
と悪気無く答える彼女にがっくりと肩を落とす。
「薫、おば…ねえさんと知り合いなの?」
ぎりぎり言い直した秋人をジロリと麗美が睨む。
「ああ、うちの先生の愛人3号」
「失礼ね。5号よ」
麗美が胸を反らす。秋人の目に言い知れない不安が浮かんだ。
「そうよ。秋人くん。私は加藤に頼まれてあなたの様子を見に行ってたの」
と彼女は申し訳なさそうに囁いた。
古賀麗美は薫にタオルを渡しながら、秋人にカウンターに座るように促した。
後藤は席を外した方がいいのか悩んだが、結局帰れと言われなかったので一緒に彼女の話を聞くことにした。どうにも薫と秋人は秘密が多すぎる。ギルドマスターとしてSランク 探索者(シーカー) の二人の事情を捨て置けなかったのだ。
「でも、義母は関係ないからね。彼女はまったくの善意で秋人くんにお菓子を食べさせてたからね。そこは誤解しないでね」
と麗美は秋人の目を見て強く言った。秋人は少し躊躇った後、こくりと頷いた。それを見てほっとしたように麗美は笑った。
「ほんと、たまたまね。夫の母の店が秋人くんのアパートの近くだったから、様子見がてら訪ねたのよ。まさか、彼女が秋人くんとやりとりしてるとはまったく思ってなかったのよね。いきなりあなたが入って来た時は顔に出さないようにするのが精一杯だったわ」
ふうっと麗美はため息をついた。
「私の名前は古賀麗美。よろしくね」
「麗美さんは、どうして僕の様子を見に来てたのですか?」
秋人が尋ねると、彼女は少し困った顔をした。
「加藤が直接あなたのことを引き取ったりできなかった理由は知ってる?」
「だいたい」
秋人が答えると麗美はうんと頷いた。
「加藤は 救世来神教(エルミネイト) を出し抜くために直接秋人くんとコンタクトを取れない状況だったから、私が代わりに様子を見に行ってたの。小学生の頃は食べ物や服をこっそり用意してたんだけど、中学校になってからは赤城が直接生活費のやりとりをするようになったから誤魔化せなくなってしまってね」
「ああ、秋人が小学生の時の衣食住は麗美さんの世話だったんですね。おかしいと思ったんですよ。あの連中が秋人が小学生だからって容赦するとは思えなかったのでね」
薫が眉を寄せる。麗美は小さく頷いた。
「中学生になった頃に秋人くんが糖分欠乏症のままダンジョンに入ってるのを見て、悲鳴をあげそうになったわよ」
麗美は当時の事を思い出して拳を握った。
「あの頃はもう加藤がいなかったので、私はどこまで秋人くんに関わっていいか分からなかったの。それで、義母にあなたの事を頼もうかと思って向かった時が、初対面の時ね」
麗美は何とか秋人がちゃんと食事がとれるようにアドバイスすることが出来てほっとした。
「麗美さん、もしかして 探索者(シーカー) の能登麗美さんですか?」
不意に後藤が尋ねると彼女は切なそうに笑った。
「あら、懐かしい苗字ね。夫が生きていた頃のものだわ」
後藤は棒を飲んだような顔になった。彼女の夫がダンジョンで死んだことを思い出したのだ。薫が呆れたように後藤を見つめている。
「私ね、秋人くんのお父さんとお母さんに命を助けてもらったの」
突然の爆弾発言に、それを聞いていた三人は絶句した。
「で、でも麗美さん?は、魔力がないです」
秋人が魔力を察知できない薫にも分かるようにそう告げると、彼女は頷く。
「そうなの。命は助けてもらったんだけどね。それ以外は全部間に合わなかったの」
麗美は遠くを見る目で続ける。
「夫は私を庇って死んでたし、私は魔力回路を失ったし、お腹の子供もダメだった」
瀕死の状態でダンジョンに倒れていた麗美を救ったのが秋人の両親だった。正直言うと当時は死んだ方がよかったと思っていた。何もかもなくしたのだ。そのまま死なせてほしかった。
愛する人も、お腹にいることを知らなかったその人との子供も、生涯の仕事だった 探索者(シーカー) としての力もなくした麗美は絶望し、秋人の両親を恨んだこともあった。直接「あのまま捨て置いてくれた方がよかった」と言ったことさえある。
「私、秋人くんがこーんな小さい頃、一緒に暮らしてたことあるのよ」
麗美は両手で50センチくらいの長さを作った。
「このビルで」
との麗美の言葉に、
「地下ですか?」
恐る恐る薫が尋ねる。彼女は首を振った。
「最上階の一個下ね。あそこに如月さんたち住んでたのよ。て言っても赤ちゃんだったから覚えてないわね。ご両親が依頼で遠征する時、私がシッターしてたの」
「あ、なるほど」
薫は思わず手を打った。
少し考えれば分かることだ。秋人の両親は加藤と親交があったのだから、あの住居型フロアは夫婦の為のものだったのだ。
「全然覚えてないです、ごめんなさい」
と秋人が俯くと、彼女はあははと笑って秋人の背中を叩いた。
「やだ、新生児が覚えてたら怖いわよ」
秋人はこの人の事を覚えていない。もしも、彼女にその頃魔力回路があればもしかしたら覚えていたかもしれないが。
「私があまりにも自暴自棄だったからね、あなたのお母さんは『帰ってくるまでよろしくぅ!』って私にあなたを預けて行ったの」
すごい度胸よね…と麗美は笑った。
「まあ、だから立ち直るしかなかったわね。ワンオペでの新生児のお世話よ。嘆いている暇なんてこれっぽっちもなかったわ。加藤に泣きながら手伝ってもらったわよ」
麗美は肩を竦めた。
「あなたのご両親が亡くなって、加藤が必死に何かをやってたのは分かったんだけど…魔力のない私では正直足手纏いだった」
昔の自分なら加藤を手伝うことが出来ただろう。不甲斐ない己が悔しかった。
「加藤が死んだ時も何もできなかったわ」
恐ろしい組織が噛んでいることを薫に伝えることも憚られた。下手に首を突っ込んで加藤が命がけで施した仕掛けが破綻するのが怖ったのだ。
「でも、僕が中学生の頃にダンジョンで死ななかったのは麗美さんとおばあさんのおかげです」
秋人はにこりと笑った。
「出世払いがまだ沢山残ってます」
秋人の言葉に麗美は「うん」と笑って涙を零した。