作品タイトル不明
3. 住居問題
薫は気を取り直して、ぐいっと湯飲みのお茶を飲み干した。
「とにかく秋人も後藤さんも、その能力については、あまりおおっぴらにしない方がいいという見識で一致しているんだよな?」
と薫が尋ねると秋人は大きく頷く。
「わかった。じゃあとりあえず『神崎家エリクサー大好き作戦』は続行しよう」
「それ、効果あるの?」
半信半疑の秋人の返答に薫は酷く悪い顔で笑った。
「秋人、エリクサーっていくらか知ってる?」
「知らない」
「1本500万円」
「えっ」
秋人は天文学的な資産を持っているがほとんど使わないので、金銭感覚はどちらかというと庶民寄りだ。だから、そんな高価なものを湯水のごとく使っているとは思いもよらなかった。
「だから、集中してこんなに消費する馬鹿はいない」
「まあ、しないだろうね、普通」
秋人が思わず呟く。
「なので、エリクサーをこんなに沢山使ってたらいつの間にか再生能力が強くなって治りが良くなりましたって、俺たちが言ったとしても実証する人はいない。言ったもの勝ちだ」
「そうかなぁ…」
と秋人は首を傾げた。しかし、薫はちっちっちっと指を振った。
「家裁の前で桜子さんも納得してただろう?」
「ああ、まあ。そうだねぇ」
記憶を手繰って秋人は薫の暴論に渋々頷く。薫はにっこりと大きく微笑んだ。
「まあ、そういう事でこの話は解決だな」
「そうなのかなぁ」
と秋人は首を捻った。
11歳の時に発覚して以来、後ろめたく恐ろしかった秘密が、なんだかどうでもいいようなことに思えた。
少しだけ心が軽くなった気がした。
「それから、工藤さんはお姉さんとこのビルに引っ越してくることになった」
「え?」
秋人は仰天して思わず腰を浮かした。
「ここの一つ下の階はマンションみたいな作りになってるんだよ。今は誰も使ってないからエレベーターは止まらないように設定してるけどね」
「え、でもなんで?」
秋人は美香が身近に暮らすことより、彼女が両親と離れて暮らすことの方がショックだった。もしかして、これも自分の所為なのだろうかと思うと泣きそうになる。
「ああ、いや。落ち着いて聞いてくれよ」
と薫は前置きをしてから語り出した。
美香の姉の佐紀はうかうかしていなかった。
翌日すぐにアポを申し込んできたのだ。薫は無理やり予定を空けて彼女に対応した。
そこで、如月秋人が少年であること、美香といい感じになった事、その所為でテロリストの標的になって今回の誘拐事件が起こったこと、今後はしっかりした護衛をつける必要がある事をかいつまんで説明した。
佐紀はもちろん絶句である。妹がそんな状況になっているとは思いもしなかった。
「そんな危険な相手との交際は認めるわけにいきません」
と言いたいところだったが、相手は3S 探索者(シーカー) だ。おまけに美香とは両想いなのだ。
妹はあんなに怖い目に合ったというのに、あの後徹夜でチョコレートケーキを焼いていた。曰く
「秋人くんが私のケーキを食べられなくてすごく凹んでたから、作ってあげたいの」
だとか。
駆け落ちでもされたら、佐紀にはどうしようもない。
佐紀はしばし躊躇った後に、渋々頷いた。そういう事なら美香への処遇は受け入れるしかない。
「工藤さんは、ご就職を機にご実家を出られるそうですが、もう住居はお決まりですか?」
と薫が尋ねると、佐紀は小さく首を振った。
「いえ、今探しているところです。新卒ですので、さほど給料がいいわけでもないですし」
それでも、妹を連れて家を出ることに躊躇いはなかった。
「両親は別に私や美香を嫌っている訳ではないのです。無関心というほどでもない。ただ、常に芸術の次なんです」
佐紀の声はひたすら苦い。
両親は著名な画家だ。ニコイチのようにぴたりと寄り添い、二人で一つの作品を仕上げる不世出のアーティストだ。
姉妹の人生は常に芸術の次に置かれていた。
たとえば入学式や卒業式などの行事に個展が重なれば、両親が来ることはなかった。創作に突入すれば食事や掃除などの世話もおざなりになる。流石に幼児の頃は放っておかれることはなかったが、佐紀がそれなりにできるようになると、完全に家事は姉妹の負担となった。
「父と母は、おそらく私が美香を連れて出て行っても1か月と気が付かないでしょう。家が汚くなったことで初めて『あれ?』と思うくらいじゃないでしょうか」
佐紀は小さく笑った。その笑顔には言い知れない諦念が宿っていた。
「両親がもしも悪意の元にそういう行為を行っているのであれば、改善することは可能かもしれません。でも、彼らに悪意はないのです。ただ、『そういうものだ』と思っている。それは矯正できる思考ではないでしょう」
佐紀の言葉に薫は頷くしかない。そういう夫婦、親子関係は職業柄人より多く見ている方だ。
「まあ、ですのでセキュリティが高い住居となると、私の財力では厳しいんです」
佐紀がため息をつく。妹の安全の為にとはいえ無い袖は振れない。
「それでしたら、うちのビルはいかがでしょうか?」
と薫が言った時、佐紀は「は?」と思わず聞き返してしまった。
「この事務所の入っているビルは私の所有物件です。最上階に我々の住居があります。ただ、そちらはもう部屋がないので住んでいただく訳にいかないのですが、幸い住居の一階下がマンション仕様になってまして、2LDKですが。セキュリティ的にはおそらく最上級です。いかがでしょうか?」
佐紀はぽかんと口を開いた。
「えっと…ここが神崎先生の所有ってことですか?」
浅草はダンジョンがまだ顕現していない都内でも有数の一等地だ。そこにこの若さで1棟ビルを所有しているということが理解できない。
「ここは前所長の持ち物だったんですが、彼が亡くなった時に相続したんです。色々とややこしい店子がいたりするので、法務関係者に引き継いだ方がいいということで。固定資産税などはまあ…私Sランクなので」
「あ、そうデスよね」
佐紀はとりあえず頷いた。そういえば、この人はかなりの資産家だ。
ついでのように、秋人はその上をいくのだということを思い出した。あれ?あのブローチもしかしてホンモノの宝石だった?と一瞬脳裏をよぎった。
「ただ、このマンション仕様の階は現在使っていないので早急にリフォームを入れますが、入居は少し待っていただかなくてはいけないのです」
との薫の言葉に佐紀は大きく頷いた。
「どうせ、家を出るのは3月のつもりでしたので問題ないです」
「では、3月を目途にとのことで」
と二人は合意したのだった。
「というわけで、工藤さん姉妹がこの下にくるから、急いでリフォームをする予定」
「ふうん」
秋人は精一杯気のない返事をしてみたが、薫にはお見通しらしい。ソワソワしている若者に、ジャブを打って来た。
「節度あるお付き合いをするように」
「分かってるよ!」
秋人が拗ねた顔をするのがおかしかったのか、薫は小さく笑った。