作品タイトル不明
20. 1日は48時間
美香の自宅はしんと静まり返っていた。
娘が誘拐されたのだ。さぞ大変なことになっているだろうと薫は身構えていたが、インターホンを鳴らすと出てきたのは姉だけだった。
「美香!!」
ぎゅっと彼女は美香を抱きしめる。
「お姉ちゃん、心配かけてゴメンね」
と妹が囁くと、姉はうんうんと頷いて大粒の涙を流した。しかし、それだけだった。
「ご両親にも報告を」
と薫が言うと、姉は申し訳なさそうに頭を下げた。
「えっと、サバみそ…じゃなかった」
ぎろりと妹が睨むので姉は慌てて言いなおす。
「神崎先生、ご心配には及びません。両親はもう寝ていますので」
「は?」
薫が大きく目を見開く。
「明日からフランスの個展の準備があるので、今日はもう寝ると」
「それは…」
薫が絶句していると奥から甲高い声がした。
「美香―おかえりー。よかったわー帰ってこれてー。明日から家の事よろしくねー」
という何とも言い難い言葉が投げかけられた。
美香は苦笑を浮かべて、茫然としている薫に向かって一礼した。
「大丈夫です。慣れてますので」
「それは、慣れるべきものではない」
薫が厳しい弁護士の表情を浮かべる。しかし、姉は大きく首を振った。
「私、もうじき就職するんで、その時に美香を連れて行きます。だからあと少しの辛抱です」
覚悟を決めた人の顔だった。薫はため息を一つついた。どうやら、秋人の大事な人も色々と問題があるようだ。
「これを…」
薫が名刺を差し出す。
「何かあればご相談を。私の名前をだしてください。絶対に悪いようにしません。それと、家を出るなら住居の手配をさせてください」
薫の申し出に美香も姉も驚きを隠せなかった。
「ご両親はどうでもよさそうですが、貴方方には護衛をつけてもらう必要があります。セキュリティーの強い住居を用意しますので、そこはもう『如月秋人の恋人』だという事で納得してください」
薫のごまかしのない言葉に「ひや」っと美香は変な声を上げたが、姉は美香をぎろりと睨んだ。
「あんた、後輩君といい感じじゃなかったの?父親みたいな年齢の男となんて姉さんは認めませんからね!」
「ん?」
美香が思わず姉の顔を見る。
「如月君のことだよ?」
「同じ名前なの?」
姉は薫を見あげた。
「あー…、そうですよね。そうなりますよねぇ」
薫は頬を掻く。
「とりあえず今日はもう遅いので後日ゆっくりご説明しますが、妹さんの安全は国防レベルの話になるかと思いますので、そのつもりでいてください」
との薫の言葉に姉は半信半疑だった。けれども、妹が嬉しそうに薫に手を振るので、まあいっかと一つため息を零した。
「ただいまー」
と薫が自宅に戻ると、キッチンに明かりがついていた。
「あ、おれもう寝ますね。おやすみなさい」
と当夜がそそくさと自室に戻る。彼は誰がキッチンにいるか魔力で分かったからだ。
薫はキッチンに向かった。
そして、ダイニングテーブルに突っ伏している桜子を発見した。
「桜子さん?」
「ごめん」
呼びかけに謝罪を返されて薫は首を傾げた。
辺りを見渡すと、シンクにボウルやら泡立て器やらゴムベラが洗い桶に突っ込んである状態で、トレイや砂糖ツボなども出しっぱなしである。桜子はキッチンを使った後はいつもきれいに片付けているのでとても珍しい。
「どうしたんですか?具合でも悪いですか?」
そっと薫が突っ伏したままの桜子の髪を撫でた。
「チョコレート…間に合わなかった」
「え?」
薫が驚きの声をあげる。
「デパートに買いに行ったんだけど、なんかピンと来なくて、お菓子コーナーの手作りキットを買ってきてたんだけど、ごめん…ばたばたしててすっかり忘れてた」
美香の行方不明があって桜子も探索に付き合ってくれていたし、最後はあの男を倒すのまでやってくれたのだ。そりゃあチョコレートなど作ってる暇なんかなかっただろう。
「いや、仕方ないですよ。っていうか、この状況でチョコレート作ってる人がいたらドン引きレベルですよ」
「まあ、そうなんだけどさ。さっき急いで作ったんだけど、固まるのに6時間かかるとか書いてあるんだもん。もー最悪」
時計は12時を回ってしまった。もう今年のバレンタインは終わりだ。
もっと早く作ってたらこんなことにはならなかったのに…と桜子は己の見通しの甘さにがっかりした。自分たちは探索者なのだ。いつ、何時招集がかかるか分からない。期日のあるものは早めに用意しておくべきだった。
ちなみに康子たちはとうの昔に用意している。その辺りは経験値の差が出た形だ。
「薫さんの喜ぶ顔が見たかったのに」
ちぇっと桜子が呟くと、薫はクスリと笑った。
「笑うなんて酷いよ」
桜子が憤慨して顔をあげると、ひどく嬉しそうな薫の柔らかい笑顔があった。
ごほんと、薫は一つ咳払いする。
「桜子さん、俺は2月14日だけ48時間ある運命の元に生まれてきた男です」
「はい?」
思わず聞き返す。
「だからまだ14日です」
「!!」
桜子の目が大きく開かれた。
「すごく楽しみにしてます」
「うん!」
桜子は大きく頷いた。それから、少し考えた後そっと薫の頬に手を添える。
「それじゃこれは、ちょっと遅れるお詫びね」
ちゅっと軽い音がして、桜子の唇が薫のそれから離れる。
「おやすみなさい」
と真っ赤になった桜子が走ってキッチンを後にした。
茫然としていた薫は
「うっわーーーーーーーーーーーーーーーー」
と今度はキッチンテーブルに突っ伏してじたばたする羽目になった。
翌日の早朝、秋人がいつもの稽古をしようとしたら、何やら桜子がごそごそしている。
「師匠?今日の稽古は?」
「あ、ごめん。秋人。今日はちょっとなし。ていうか助けて!これどうやるの?」
ラッピングの紙を半泣きで弄っている桜子を見て、秋人は少し感動した。おそらくこの手の作業が大の苦手の筈の彼女が、頑張って途中までそれなりに仕上げているのだ。大変な努力だろう。
「動画見ながらここまでやったんだけど、あとは工夫次第ですってラストはどうなのさ?お前はカーナビか?駅の標識か?」
と嘆いている。秋人はラッピングの袋についていた説明書きを読み、できるだけ桜子の手で仕上げられるようにアドバイスした。
何とか完成したそれを、桜子はとても大切そうに抱えた。
「ありがと!すごーく、助かった!!」
と彼女が笑う。その笑顔はとても美しかった。
ああ、先輩もこんな風に僕の為に作ってくれたんだ。なのに…僕はそれに気づきもしなかった。
秋人の心に昨日よりずっと重い罪悪感が沸き起こった。