作品タイトル不明
21. 阿鼻叫喚
秋人はとぼとぼと学校に向かった。早めに出たのは美術室に行くためだ。やはり昨日の事をもう一度ちゃんと謝りたかった。
「おはようございます」
秋人はひっそりと静まり返った美術室に足を運んだ。扉を開けると美香だけがキャンバスの前に座っていた。
「おはよう、 秋(・) 人(・) くん」
美香は綺麗な笑顔で挨拶の言葉を紡いだ。眼鏡の奥の目が優しそうにキラキラしている。
秋人にはそれが眩しい。
この綺麗で優しい女性は秋人の恋人なのだと思うと、幸せな気持ちでいっぱいになった。
昨日新潟からの帰りに「秋人と呼んでほしい」とお願いしたのだ。その呼び名に慣れないのか美香はほんの少し照れた様子で笑った。
「一日遅れちゃったけど、はい」
美香が小さな包みを秋人に手渡した。
「これ…」
「材料がもうあんまりなかったらこんな小さいのしか作れなかったんだけどね」
美香的にはちょっと残念な出来だったのだが、秋人があまりにもしょげていたので、どうしても今日渡したかったのだ。
「僕、すごく嬉しいです」
秋人は震える手でそれを掲げ持った。
「一生大事にします」
「いや、食べ物だからね。食べてね」
「でも、勿体ないし。収納に入れてたら腐らないから」
秋人の言葉に美香はぷはっと噴出した。
「来年も、再来年も作ってあげるから。それは食べて。感想聞かせてね」
来年も、再来年も彼女は自分の傍にいてくれるつもりらしい。秋人の心にじわりと温かいものが込み上げてきた。
「美香…僕のお嫁さんになってくれる?」
「えっ?」
いきなりの求婚にさすがの美香も驚いた。
「ダメ?」
しょんぼりとした顔の秋人に美香は慌てる。
「ダメじゃない。うん。私、秋人くんのお嫁さんになるよ」
との返事をあまり深く考えずしてしまったのだが、不思議とストンと何か落ち着くところに落ち着いた感じがした。
「よかった」
ぱあっと秋人の顔が輝いた。
その笑顔を見て、美香は今度は間違えなかったのだと心の底から安堵した。
秋人は始業ぎりぎりまで美術室で粘っていたが、美香に言われて渋々教室に向かった。
「おはようー」
教室の扉を開けるとクラスの全員がなにやら恐ろしい形相で秋人を凝視した。
「え?何?」
びくびくして秋人が思わず一歩下がる。
「如月くん、早く教室に入りなさい」
と秋人の背後から担任の声がする。慌てて秋人は席に着いた。
しかし、この殺気はなんだろう。自分は3S 探索者(シーカー) の筈なんだけど、こんなぴりぴりした空気はあまり感じたことがないと、秋人は若干震えた。
ホームルームが終わって次の授業までの短いインターバルの合間に、智輝が鬼の形相でスマホを取り出した。
「お前、バレンタイン当日に欠席するとはいい度胸だな」
「え?」
「こんなにRINE送ってるのに、未読だし」
「えっと、なんかゴメン」
昨日は美香のことを探し回っていて一度もスマホを見なかった。夜に美香から「無事に家につきました」のRINEだけ読んで、疲れて寝てしまったのだ。
「ちょっと、事件があって。大変だったんだよ」
秋人の言葉に智輝が渋い顔をした。
「高速に点々と死体が落ちてたアレか?」
「うん」
秋人の首肯に智輝はがしがしと頭を掻いた。
「だーーーーっ。無事なら無事って返せ。みんな心配してたんだぞ」
「ごめんなさい」
ぺこりと秋人は頭を下げた。
「んで、もう解決?」
「一応。当面はね」
あの男は居なくなったけど、 救世来神教(エルミネイト) が無くなった訳ではない。
いずれケリをつけなくてはならない時がくるだろう。とかなりシリアスな顔で秋人が考えていると、背後から忍び寄る人影が。
「如月くん!これ、よかったら貰ってくれない?」
笹川和音だった。ピンク色の綺麗な包装紙に包まれた大きな箱である。
「笹川さん、勇者だな」
と誰かが呟くのと同時に、クラスの女子の大半が秋人の机に群がった。
「ひえっ」
秋人が短く悲鳴をあげる。
「言っとくけど、お前が昨日欠席だった所為で、俺たちは他教室の女子や上の学年の女子からも、散々な目にあった」
委員長の作原がじと目で秋人を見つめる。
「如月くんをどこへやった?とかどこに隠した?とかまで言われたんだぜ?ありえなくない?」
と町田が嘆く。
「お前ね、いくらなんでも他校の生徒とかまで誑し込んでんじゃねーよ」
という文句は織田。
「お前の机とロッカーと靴箱にチョコレートが突っ込まれなかったのは、俺たちが阻止したからだからな。感謝しろよ」
と智輝が嘯く。彼はおそらく秋人がちゃんとバレンタインの本当の意味が分かったら、美香からのものしか受け取らないだろうと思ったので、本人に直接渡すようにと言い続けたのだ。
「あ、そうだ!智輝酷いよ!僕がバレンタインの意味間違って覚えてたの訂正してくれなかったでしょ!おかげで僕大変なことしでかしちゃったんだよ!」
秋人が女子の圧力から逃げながら智輝に文句をつける。彼は肩を竦めた。
「いや、説明しようとしたけどお前が聞かなかったじゃん」
短い時間なのに、他教室からの女子が流入してきて大変な騒ぎである。
「如月君!チョコレート貰ってください!」
女子の圧力が激しくて、秋人は途方に暮れた。しかしである。師匠の言葉が不意に脳裏によみがえった。
『秋人がチョコレートが好きなのは知ってるけど、好きな子が悲しむような真似はしないように』
あれはこういう事態を想定した忠告だったのだと今更ながらに気が付いた。
そして、このチョコレートは、全部美香や師匠のように真心をこめたモノなのだ。でも、だからこそ、秋人は受け取ることはできない。
秋人はすうっと一つ大きく深呼吸して言い放った。
「ごめんなさい。貰えません!!僕、好きな人がいます!!」
秋人の言葉が浸透するまで、数分がかかった。女子のほとんどが凍り付いた。
そんな爆発寸前の空気の中、
「んで、その好きな人からはもらったの?」
と智輝が呑気に聞き返す。秋人は嬉しそうに頷いた。
「うん」
「そっか。よかったな」
と智輝は笑った。秋人の生い立ちを知っている智輝は、秋人が幸せな恋をしていることを喜んだ。
しかし、そんな男の友情など今の教室に思いやる余地はない。
「てめえ、知ってたな」
笹川和音のどすの効いた声と共に智輝が引っ張られる。
「いや、片思いだってのは知ってたぜ?まあ両片想いじゃねーかなとは思ってたけど」
と智輝が慌てて言い訳するも、女子の行き場のない怒りが智輝に向かってしまった。
「ちょ、理不尽!俺何も悪くないよね?」
という智輝の悲鳴が教室に木霊する。秋人は親友の尊い犠牲に手を合わせた。
2月14日が48時間ある薫は、無事桜子から本命チョコを受け取った。手が震えるくらい感激していた。
「嬉しいです。一生大事にします」
「いや、食べてね。腐っちゃうから」
と桜子が苦笑する。
「収納に入れておけば腐らないので」
と薫が言うと、桜子は呆れたように笑った。
因みに後で秋人も同じことを美香に言ったと彼女から聞いて「似た者親子め」と爆笑した。
「来年は、もっとちゃんと準備しておくから楽しみにしててね」
という桜子の言葉に薫は無言で何度も頷く。
「来年も、再来年もずっと皆で幸せに暮らしたいですね」
薫の言葉に桜子も真剣な顔で頷く。
薫の手には、その日届いた一通の令状があった。
国際探索者連盟からの招集状だった。