作品タイトル不明
18. 代償
秋人は美香を抱えながら、新潟のダンジョンへ向かった。
樹の女性にもらった珠を使ったので、万能薬のあるフロアに直接移動できたのでほっとした。
「もう、薫が失礼なこと言ってごめんなさい」
と秋人は美香に謝った。秋人の言葉を聞いて、美香は思わず声を出して笑った。
「?」
「ごめんなさい。でもなんだかあんまりにも神崎さんが普通でおかしくって…」
と美香が笑いをかみ殺しながら説明を続けた。
「大変な夜で、すごく怖くて、とんでもなかったのに…あんな時に『節度を持ったお付き合いをしなさい』なんて、お母さんみたいな事言い出すんだもの」
「確かに」
秋人も苦笑を零す。
馬鹿と罵ってしまった事を秋人はちょっと後悔した。
薫はいつだって自分を当たり前の少年のように扱ってくれる。それが、どれほど貴重な事か分からない秋人ではなかった。
秋人は美香を抱えているので慎重に歩いた。例の美しい桜のような花のところにたどり着くと、美香が大きな感嘆の声をあげた。
「綺麗!!」
「うん」
しばらく二人で黙って眺めていると、
【ごほん、ごほん】
と咳払いの声が聞こえた。
「あ、お姉さん。こんばんわです」
秋人は美香をおろして、礼儀正しく頭を下げる。美香も秋人に倣った。
樹の女性は呆れたような顔で秋人を見る。
【童よ。確かにいつ来てもいいとは言ったが、いきなり女連れとはどういう了見じゃ】
「だめでした?」
きょとんとした顔で秋人が尋ねると、ふうっと女性は大きくため息をついた。
【まあ、よい。それで今日は何用じゃ?】
女性はふんと鼻を鳴らし、樹の幹にあるくぼみに腰をかけた。秋人はその場で両ひざをついた。
「万能薬をください。先輩の傷を治したいです」
土下座のような恰好になり頭を下げる。美香も慌てて横で倣った。
「あの、それは如月君の怪我も治りますか?」
【治る】
「じゃあ、私も。お願いします!!」
美香も深々と頭を下げた。
【ふむ…】
女性はちらりと二人の後頭部を見る。
【やるのはやってもいいが、普通に渡してもその傷は治りきらぬ】
「え?」
秋人が思わず顔を上げた。
金子の弟の瘴気中毒だけでなくモンスターに食われた足まで復活したと聞いていたので、万能薬というのは何にでも効くのだと思っていたのだ。
【そこな娘は酷く魂が傷ついている。表面上の傷を治すことは可能だが、心の奥深いところは難しかろう。悪夢にうなされ、暗闇に怯え、正気を失う可能性すらある】
女性の言葉に秋人は愕然とした。元気そうに振舞っているが、美香が精神的に参っている事にようやく気が付いた。
【童もな。自分で無理やり治した傷も含めて、外傷的なものは治すことが可能じゃ。しかし、娘を救うために本来ならあり得ない条件で瞬間移動を行った。魔力回路に多大なる負荷をかけすぎた。そなたの回路は広大で複雑じゃ。魔力を隅々まで通す必要があるが、今はほとんど枯渇している状態。このままでは回路のあちこちが腐り落ちて、半年ほど動けなくなるだろう】
女性の言葉に美香は真っ青になった。やはり秋人は相当な無茶をしたのだ。
「ど、どうすればいいのでしょうか?」
美香が尋ねると、女性はくふんと笑った。
【貢物を所望する】
と。
「みつぎもの?」
秋人が復唱すると、女はうむと頷いた。
【そなたの収納魔法の中に『ちょこれーと』があるじゃろう。それを寄越せ】
と女性は宣言した。秋人と美香は複雑な表情を浮かべた。そんなものでいいのだろうかと。
言われるままに秋人は買い込んだチョコレートを収納から取り出して並べた。綺麗な包装紙に包まれた数々のチョコレートだ。その量に若干美香は引いている。
「えっと、これですか?」
と秋人が尋ねると、女性は容赦なく首を振った。
【もう一つあるじゃろう。そこな娘が持っていたのが】
との言葉に秋人は眉を寄せた。
「あれはダメです。先輩のものです」
美香がダンジョンで必死に抱えていた紙袋は秋人が収納魔法に入れておいたのだ。
【それが欲しい】
女性の言葉に秋人は困った顔で美香を見た。
秋人としては、特別性の万能薬がほしい。美香の精神的な傷まで癒えるならそれに越したことはないのだ。
「如月君、出して」
美香はぎゅっと拳を握って秋人に告げた。秋人は少しほっとしてそれを取り出して美香に渡した。美香は少しだけそれを切なそうに見つめたが、そっと女性に手渡した。
「これで如月君は治りますか?」
と美香が尋ねると女性は鷹揚に頷いた。
【うむ、そなたの真心の価値は計り知れぬからのう】
と嘯いた。
「先輩…あれ」
不安になって秋人が美香に尋ねるも、彼女は静かに首を振る。
「部活のみんなで食べようと思ってたの。今度また焼けばいいわ」
と小さく微笑んだ。しかし、何かじわりと秋人の心に嫌なものが染み出した。
「待って!やっぱり返して!!」
秋人が女性に手を伸ばすも、彼女はさらりとかわして木の上にふわりと浮かぶ。
【ほほほ。この愚か者め】
女性は鬼の形相で秋人の頭に拳骨を振り下ろした。
「如月君!!」
美香が慌てて秋人に駆け寄る。秋人は涙目で蹲っていた。
【童よ。そなたまったく女心が分かっておらぬ!そこな娘があれほど恐ろしい目にあっても手放さなかったものぞ。それがどれほどのものか想像もつかぬか!?】
秋人は言葉に詰まった。
【これはその娘のそなたへの想いそのものじゃ】
女性はもはや潰れて原型を留め居ていないチョコレートケーキを包みから取り出した。
【『ばれんたいん』というのはな、 女子(おなご) が 男子(おのこ) に対して『愛している』と告白するのが主目的の催しじゃ。その娘はお前の為にこの『ちょこれーとけーき』を必死で作り、届ける途上で拐されたのじゃ】
「え?」
秋人が思わず美香を見つめる。美香は黙って俯いた。
「そんな…」
秋人は慌てて女性に手を伸ばした。
「だめ、それ返して!僕のだ!!」
「如月君、いいの」
「ダメ!そんな酷いよ、お姉さん。なんでそんな意地悪するんだよ!!」
秋人が珍しいくらい激高して女性に詰め寄るも、彼女はふんと鼻を鳴らすだけだ。
【意地悪でも何でもない。それくらいのものでなければ意味がないということだ】
女性はきらきらとした金色の腕時計を取り出した。
「それ、金子さんの…」
冬休みの頭にここにやってきた時に、お礼替わりに置いてきてしまった金時計だ。
【あの薬はよく効いたであろう?】
「うん」
不承不承に秋人は頷く。瘴気中毒だけでなく弟の足を治し、さらには巌の腕も問題なく復活したらしい。
【この時計はあの男の父親の形見の品じゃ。何かと金がかかる弟の治療の中で、何度も何度も手放そうかと葛藤し、質に入れては魂を売るような真似をして金を稼いでは取り戻していた、あの男の矜持そのもののような品物じゃ】
秋人は驚いて声もでなかった。金子はそんなそぶりは欠片も見せなかったからだ。
【言わなんだかえ?】
「うん」
きゅっと秋人が唇を噛む。
【万能薬の効能は捧げられた想いに比例する】
ほれ…と女性は金色の瓶を二本、二人に投げ渡した。
【代償とはそういうもの。簡単に譲り渡していいものでは、とうてい贖えぬ】
飲みなさいと女性は静かに囁く。
がっくりと膝をついて動けない秋人の傍に美香はそっと寄り添った。
「いいの。あれはただのモノだもの。如月くんへの気持ちではないのよ」
「でも…ごめんなさい。僕、知っていなくちゃいけなかった」
ぼろぼろと秋人の頬に涙が零れた。
万能薬の為に譲ってもいいと思ったのは秋人だ。しかし、美香があんなに恐ろしい目にあっても手放そうとしなかったのだから、大事なものだと理解するべきだった。
自分はなんて至らないんだろう。
大好きな人を傷つけてしまった。師匠にも気をつけなさいと言われていたのに。
「いいの。如月君が治る方が全然大事。私の気持ちがあなたの役に立つのはむしろ嬉しいの。私は何も力がないから、あなたを助けてあげられないって思ってた。だから嬉しいの」
美香は綺麗に微笑んでそっと秋人の頬に口づけた。
それから、二人で苦い薬を飲み干した。