作品タイトル不明
14. 死闘
美香は震える足を叱咤して前に進む。魔法の壁は美香を守ってくれているがいつまで持つか分からない。小さな希望なのだ。
「絶対に帰るんだ」
怖くて怖くて涙と鼻水でぐちゃぐちゃだ。でも、そんな事よりダンジョンから、あの男から逃げて秋人に会いたい。会ってお礼を言いたい。守ってくれてありがとうと伝えたい。その一心で美香は亀のようにのろのろとダンジョンを登って行った。
男がそんな美香の後ろを一定の距離をもって追ってくる。
美香はチラリと腕時計を見た。もうすぐ7時だ。あと1時間しかない。男も同じことを思ったのか、腕時計を掲げて見せた。
「ほら、がんばれ。まだ26階層残ってるぞ」
嬲るようにそんな声をかける。まだほとんど登り切れていない現実に打ちのめされながらも、美香は歯を食いしばって前に進む。ブローチの光が弱くなっている気がした。
「あっ」
崖の石に躓いて転んだ。膝から血が流れる。手も擦りむいた。投げだされた紙袋を必死に掻き抱く。まるでそれを無くしたら美香の希望が全て潰えてしまうような気がして、無駄と知りつつ必死に抱えてここまできた。でも、もう限界だ。立ち上がることが出来ない。
光が消えていく。
「如月君…ごめんなさい」
唯一の救いはあの男が誤解していることだ。秋人は美香のことを単なる先輩だと思っている。だって彼が好きなのは、桜子だ。美香ではない。美香が死んでも秋人は魔力暴走などおこしたりしない。
ただ、少しだけ泣いてはくれるだろうか…それなら少しは救われる。美香は迫りくる死を覚悟して目を瞑った。
「美香!!」
遠くで誰かが自分を呼ぶ声がした。慌てて美香は顔を上げる。目の前に飛び込んでくる華奢な体躯。美香が大好きな綺麗で大きな瞳が美香を見た瞬間泣きそうに歪んだ。
「きさらぎくん…」
秋人が両手に顕現させた魔法剣で辺りに群がっていたモンスターを瞬殺した。
「掴まって!」
秋人が美香の抱えている紙袋を無造作に収納魔法に突っ込み、それから美香を抱き上げる。
「何があっても離さないで!」
そう美香に告げると、秋人は美香の腕を己の首に回らせて、以前美香を抱えてビルを跳んだ時とは比べ物にならない速さでダンジョンを駆けだした。
「ありゃ、どうやってここが分かった?」
秋人のスピードに遅れず男が追いかける。秋人は男に構わずダンジョンを駆け抜けた。
とにかくダンジョンから抜け出さなくてはならない。残念ながら、もう美香を抱えて 瞬間移動(テレポート) できるほど魔力が残っていない。魔力回復薬を飲ませてくれる隙もないだろう。
美香が魔力をもっていないことは、彼女を守る大きな障壁なのだ。絶対に彼女を 探索者(シーカー) にしてはならない。
秋人は防御魔法の展開もせずにダンジョンの中を駆け抜ける。途中何度か男やモンスター、それから信者らしき者からの攻撃があったが、紙一重で避け、片手で切り捨て、最小限の動作で交わして前に進む。
階層ボスすら一撃で処理した。そのために、防御魔法は美香にしか掛けておらず魔力の消費量を抑えた。
「流石本家!強い強い!」
男の馬鹿にしたような言葉にもチラリとも視線を送らず、秋人はひたすらに出口を目指す。
「ちっ」
目論見通りにいかずむかついたのか、男が剣を本気で振り下ろす。秋人は片手でそれを弾いたが、相手の剣筋が想定から大きく外れ、秋人の片手を切り飛ばした。
「ぐっ」
空中に赤い血が花びらのよう散る。その血の中を秋人は躊躇わずに駆け抜ける。
ひゅっと男が小馬鹿にしたように、口笛を吹いた。
「如月くん!!もういい!もういいから」
秋人の手首から血が流れる。それでも、秋人の駆ける速さが落ちることはない。美香の悲痛な叫び声を聴いてもなお、彼は足を止めない。美香を手首のない方の腕で支えながら、無事な方の手で剣を振るって攻撃を交わす。
躊躇らわず、信者やモンスターを切り捨てていく。
「あはは、いいぞ。強いな、流石だ。そんじゃこれでどう?」
男の剣筋が今度は足元へ向かう。今度は片足を切り飛ばされた。がくりと体勢が崩れてもなお、秋人は無い足を使ってさらにスピードを上げる。
「バケモンかよ」
男が思わず呟いたのと同時に秋人の手から長いものが猛スピードで投げられ、男の胸を貫通した。
「げっ」
それは薫の杖の試作品だ。デステニーワールドで幸田和美に貸したものである。杖の魔石の威力を使って男を地面に縫い留めた。
「くそ」
悪態をついてそれを抜こうと暴れる男を尻目に、秋人は加速を強めた。
ダンジョンから抜け出した途端、二人は地面に転がった。秋人が美香を支えていられなくなったのだ。肩で息をついて、地面に倒れこむ秋人に美香は縋りついた。
「如月君、如月君、しっかり!!」
美香の声に荒い息の中、秋人が顔を上げる。美香は血まみれでボロボロで酷い有様だった。
それでも、彼女は綺麗だった。
生きて、動いて、声を出してくれている。秋人を気にかけて泣いてくれている。
「よかった。間に合った」
ほっと秋人が息をついた。美香がまだ魔力を帯びてないことに、心底安堵した。
「必ず、家に帰してあげる」
秋人はそう言って立ち上がった。
「やれやれ、酷いことしやがる。全員切り捨てやがった」
男がゆっくりダンジョンから出てきた。
「お嬢さん、こいつ殺人鬼ですよ。人間だって顔色一つ変えず殺せるんです。10歳からそんな生活してんですよ。キリングマシーンですよ」
男がニヤニヤ笑いながらそんなことを言い出した。
「・・・・・っ!」
秋人が唇を噛む。
「なんで、こんな子供がSランクなんてなってんのか考えたことあります?山ほど殺してるんですよ。人もモンスターも関係なく。シリアルキラーっすよ」
男の嘲笑は秋人の心を抉る為のものだ。美香の表情が凍り付くのが視界を掠めた。秋人の心を絶望が浸食していく。
「こんな人殺しの為に怖い目にあいましたねぇ。可哀そうに」
まるで他人事のように男は嘯いた。
「黙れ」
秋人が静かに呟く。秋人の体が燐光を帯びたようにうっすらと緑色に光った。
「怖い怖い」
男は笑いながら剣を構えた。対峙する秋人も片手に剣を構える。その手が疲労と失血によるショックで微かに震えていた。
「そんな腕と足で俺に勝てると思ってるの?如月秋人」
男はふっと笑いながら思い切りよく踏み込んだ。二合、三合と斬り合うも秋人の方が圧倒的に押されている。
「美香!逃げろ!どこかにギルドの職員がいる!」
秋人が叫ぶ。
「逃がさないって。これ今戻ったら続きからカウントされるかな。それともまた一からやり直しかな?まあどっちでもいいけど。お前の前で犯してやろうか。綺麗な子が泣き叫ぶのはサイコーだからね」
男がわざと挑発するも、秋人は冷静だ。男の動きを封じる為の攻撃だった。美香の元へ行かせないように牽制する。
それが分かったのか、男は不快そうに顔を顰めた。
「舐めるなよ」
男が剣ではなく秋人の腹に向かって渾身の蹴りを入れた。もろに食らって秋人が地面を転がる。
「ぐっ」
げほっと咳き込む秋人の口から血が流れた。
「如月君!」
美香が悲鳴を上げた。
「内臓いったんじゃない?」
男がせせら笑う。
秋人は必死に地面から起き上がろうとしたが、上手くバランスが取れずもう一度地面に転がった。
「まーだ起きるか。もうめんどくさいから残りの手と足も切り落としとこ」
男が剣を振りかざす。
「やめて!!!」
男の剣の前に美香が自分の体を投げ出すのと、男が慌てて距離を取るのが同時だった。
「あ、あぶね。何してくれんだよ」
男は思わず美香を切るところだった。すっぱりいってしまうと今の美香ではまだ反射の魔法が効いてしまうのだ。
「死ぬとこだったじゃねーか」
ほんの少し美香を掠ったせいで、男の胸元はざっくりと斜めに切ったような傷が生じていた。
美香は切られた痛みを必死に堪えて秋人の前に両手を広げて立ちふさがった。
「如月君には指一本触れさせないわ」
美香が震えながらそう宣言する。
「すっげえ女だな。おそれいったぜ。流石龍の珠だ!」
男が声を上げて笑った。
美香は自分の宣言が虚勢なのは分かっていた。本当は震えがくるほど怖い。切られたところは熱をもってぐずぐすと痛い。死ぬのは嫌だ。でも、秋人をこれ以上傷つけられるのはもっと嫌だった。頬を涙が伝う。それでも、動こうとは思わなかった。