作品タイトル不明
70.エントール国 タルレスタ女伯爵
ー伯爵家女当主 タルレスタ視点ー
部下からの報告に、苛立ちが抑えられず机の上にあったコップを投げつける。
「ひっ!」
怯えた部下の姿に、より一層苛立ちが増す。
コップがぶつかったぐらいで声を上げるなんて!
それにしても、どうしたらいいのかしら?
まさか、森の神の張った結界が私達の計画を阻む事になるなんて、想像もしなかった。
「タルレスタ女伯爵、少し落ち着きましょう」
オルトル男爵の言葉に、大きく息を吐き出す。
少し冷静にならないと駄目よね。
「確認だが、全ての魔道具を本当に確かめたのか?」
「はい。集めてくださった全ての魔道具で確認しましたが、どれも結界に小さな傷すらつけられませんでした」
いったい、どんな強力な結界が張られているのかしら。
小さな傷すらつかないなんて、おかしいじゃない!
「魔物を使って攻撃してみたか?」
「それはまだしておりません」
「えっ?」
部下の言葉に、落ちつき始めた苛立ちがぶり返しそうだわ。
どうして、確かめていないのよ、
「確かめてないのか?」
オルトル男爵の声にも、少し険が含まれる。
「魔物が結界を攻撃すれば、かなりの攻撃音が予想されます。魔道具の場合は、小さな音なので問題ありませんでしたが、大きな攻撃音となると門番に気付かれてしまいます」
オルトル男爵の苛立ちを感じた部下が、慌てて説明する。
「確かに、そうだな」
オルトル男爵が、納得したように頷く。
そうね、攻撃音が響いて門番に動かれると厄介な事になるわね。
音か……どうにかならないかしら?
「結果が出せず、申し訳ありません」
頭を深く下げる部下をちらりと見て、ため息を吐く。
話を聞く限り、出来る事は全てしたみたいだししょうがないわよね。
「下がっていいわ」
「はい」
部下が部屋から出ていくのを見送り、酒を一気に煽る。
喉の奥がカッと熱くなるけれど、気分は晴れてくれない。
「森の神が邪魔でしょうがないわ」
ガゴッ。
「えっ? 何?」
不意に聞こえた音が気になり部屋の隅に視線を向けるが、特に気になるような物は無い。
「本でも倒れたのかしら?」
それにしては、何かが壊れるような音だった気がするのだけど。
聞き間違いかしら?
まぁ、今はそんな事を気にしている暇はないわね。
「オルトル男爵、攻撃音の問題だけど何かいい方法は思いつかないかしら?」
聞いてはみたけど、攻撃音を消す方法なんて無いわよね。
森の神が結界さえ張らなければ、簡単に事を進められたのに。
あ~、本当に厄介な存在だわ。
「音の問題なのですが、音が鳴ってもいいように、こちら側の門番が当番の日に実行しましょう」
オルトル男爵の言葉に首を傾げる。
こちら側の門番?
「森に最も近い東門の門番達の弱みを、ようやく掴む事が出来たのです。なので彼らが門番の時に、門から魔物が入れるか試してみましょう。そして無理だと分かったら、門を魔物に攻撃させてみましょう。彼らが門番になっている時なら、少し大きな音が鳴り響いても問題ありません」
さすが、オルトル男爵ね。
まさか、門番の弱みを握ってしまうなんて。
「えぇ、そうしましょうか。それにしても、門番達の弱みを、どうやって握ったの?」
「東門は最も王都から離れていて、娯楽が少ない。そういう者達は、駄目だと分かっていてもつい手を出してしまうものなのですよ」
「あぁ、賭博ね」
私の言葉に、にこりと笑うオルトル男爵。
この男は、法律で禁止されている賭博場を運営している。
彼の頭がいいと思うのは、賭博場を金を稼ぐ場所ではなく、情報を集める場所にしている事よね。
多くの者に賭博場を利用させ大金を稼ぐ事も出来るのに、彼は限られた者達しか招待しない。
そして、相手が気を許すまで、賭けに勝たせ酒に酔わせ、ゆっくり懐柔していく。
何度も賭博場でうまい汁を吸わせてから、ゆっくり、ゆっくり情報を聞き出し弱みを掴んでいく。
この方法で、オルトル男爵は静かに貴族達に手を伸ばしている。
男爵という地位だけど、いったいどれだけの貴族がこの男に逆らえない事か。
ふふっ、あとで訊いてみようかしら?
「門番達にも賭博場を開放しているのは知らなかったわ。でも、彼らを引き入れて問題ないの?」
門番達は、それほど口が堅くないから。
すぐに、噂になりそうなんだけど。
「気になる者達は審査して、問題ないと判断したら仲介者が接触します。仲介者には、それぞれテストをするように言っています。そしてテストに合格すれば、招待状を届けます。招待する者達を、厳選しているので今のところ問題は起きていないですね」
凄い手間をかけているのね。
さすがだわ。
「しかしタルレスタ女伯爵。もし、魔物が国内に入れなかった時はどうしますか?」
あぁ、そういう可能性はあるわよね。
森の神の結界は、異常なほど強固みたいだから。
「魔物は、諦めるしかないわね」
ヌースル魔導師が見つけた、国内に大打撃を与える方法が使えないのは残念だけど。
でも、いつまでもそれに拘っていては時間を無駄にしてしまう。
「そうですね」
何か、国内を大混乱させる方法は無いかしら?
そういえば、森の神が張った結界のせいで仲間達が戻って来られないと分かったのは、仲間達が商人に託した手紙に書かれてあったからよね。
もしかしたら、私達と関係のない商人だったら、エルフから買った大量の魔道具を国内に持ち込めるのではないかしら?
「信用できる商人を――」
「バッチュからの、先触れをお届けに参りました」
オルトル男爵に信用できる商人がいるか聞こうとすると、知らない声が重なった。
「「えっ?」」
聞きなれない声に、慌てて視線を向け目を見張った。
「アルメアレニエ?」
書物で読んだ特徴的な6つの目と体の形状。
そして、これまで感じた事が無いような強く濃い魔力に体が自然と震えるのが分かった。
「先触れです」
さっ、先触れ?
アルメアレニエが差し出す、小さな紙に視線を向ける。
あぁ、誰かが私に会いに来ると……待って。
アルメアレニエを使いに出す知り合いなんていないわ。
そういえば、バッチュという名前だったかしら?
誰なのかしら?
アルメアレニエは森の神の……まさか、さっき私が言った言葉を聞かれたなんて事は……無いわよね?
先ほど音がした場所を見る。
大丈夫、誰もいないし何もないわ。
そう、聞かれるはずがない。
「どうぞ」
「ひっ」
アルメアレニエの迫力に、体がぶるぶると震えてしまう。
正直、受け取りたくない。
でも、受け取らなければアルメアレニエは帰ってくれない気がする。
受け取るだけよ。
大丈夫。
震える手でなんとか紙を掴むと、アルメアレニエが私からすっと距離を取った。
アルメアレニエが離れた事で、体から力が抜ける。
良かった。
あれ?
どうして帰らないのかしら。
……もしかして、中を確かめるまで帰らないとか?
二つ折りになっている先触れの紙を見る。
アルメアレニエを窺うと、じっと私を見ているのが分かる。
小さく息を吐いて、そっと紙を開いて内容を確かめる。
「ひっ!」
先触れの紙が、手からはらりと落ちる。
私は今、何を見たのかしら?
いや、あれはきっと見間違い。
そう、見間違いのはずよ。
だって、「首を洗って待っていろ」なんて、そんな……。
「では、バッチュからの先触れは渡しましたので、この場所でお待ち下さい」
アルメアレニエが扉から出ていくのを見送ると、慌てて重要な書類などをバッグに詰め込む。
「逃げるわよ」
「タルレスタ女伯爵? どうしたのですか? 先触れにはなんと書いてあったのですか?」
「オルトル男爵、逃げないと駄目なのよ。ここは危険なのよ」
一刻も早くここから離れないと。
「いったい何が?」
オルトル男爵が、私が落としてしまった先触れを拾って中身を確認する。
そして一気に顔色を悪くした。
「タルレスタ女伯爵、これ。いえ、すぐに移動を始めましょう」
「えぇ」
早く、早く逃げないと。
あぁ、どうしてこんな事になるの?
あと少しで、この国を牛耳る事が出来たのに!