作品タイトル不明
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「では、俺たちはこれで」
言いたい事を言い終えたルキアンは、小刻みに震えているサリュードの横を抜けると、シシール令嬢たちに「さ、今のうちに」と声を掛けて促し、一緒に劇場を後にした。
「有難うございました」
男が礼を述べる隣でシシール子爵令嬢も深々と頭を下げた。
「いえいえ、お気になさらず」
なぜかアステルが対応する。
「あのボンクラが出てくる前にさっさと帰ったほうがいい」
ルキアンが言えば、再びサリュードに絡まれるのを恐れた彼らは、再度ルキアンに頭を下げながら去っていった。
「さて、俺らもボンクラに探される前に食事に行こうか」
「ルキアン、ボンクラって…… あ(・) れ(・) 、一応公爵令息だよね」
「アステルだって〈あれ〉扱いじゃないか」
「……いいじゃん、 あ(・) れ(・) で。ボンクラってより暴君っぽい」
「ボンクラだよ。各国の賓客を招いての夜会に見知らぬ女性がいれば、どこかの国の大使か外交官の奥方だと思うじゃないか。いくら酔っていてもそれを考えないで、休憩室に連れ込もうと声を掛けて腕を引っ張ったんだ。ただの馬鹿だよ」
「うわー、それは平手打ちですんでよかったと思わなきゃ」
「アステルなら回し蹴りくらい追加しそうだよな」
「うーん、平手じゃなくゲンコツでやる!」
「自分の手を骨折する危険があるよ」
「それは嫌。……やっぱり平手打ちからの回し蹴りか」
サリュードは不摂生な生活をしているのだろうか。やや太めの体型に吹き出物の浮き出た顔の、不潔っぽい青年だった。あれと比べたらルキアンのほうがよっぽど高級貴族だ。美醜より清潔感が大事だと思う。
「あっちが絡んでこないから、ずっと話す事もなかったんだけどなあ」
ルキアンが嫌そうに吐き捨てる。
サリュードの方が、よりルキアンを苦手にしているので、学生の頃から避けてくれていた。就職後に参加する夜会や祝賀会で見かけるくらいで、うっかり目が合ってしまえば仕方なく会釈はするものの、言葉は交わさない。最小限の礼儀だ。
彼は親のコネで金融省に入って、名ばかり役職の閑職に回されている。魔法省の事務局次長イグラス魔法伯爵と同類だ。仕事は出来ないのに態度だけは大きく、金融省でも持て余しているとか。
これが次期マルエッジ公爵なのだから先が思いやられる。公爵にとっても悩みの種だろうが我儘に育てすぎたのは親のせいだ。いっそサリュードの年の離れた妹に優秀な婿を迎えて継がせる方がいいのではないか。親戚筋から貰えば血筋も守られるだろう。
「見た目もだらしないのに、性格も悪いなんてね、ほんと最悪! あいつ、結婚出来てるの?」
嫁に同情する気満々のアステルに「いや、婚約者もいない」と、ルキアンは否定する。
「身分の釣り合う令嬢は全て逃げたらしい。あれだけ下級貴族を馬鹿にしているくせに、今は子爵家や男爵家にも婚約の打診をしてるぞ。しかも持参金は不要、多額の花嫁代を渡すってよ」
「……玉の輿とは言えないよね。身分の低いおまえをもらってやった、って虐待しそう」
「結局、どこかの訳あり貴族が、大金欲しさに娘を差し出すんじゃないかな」
「不幸が確定している政略結婚ぽい」
他人事(ひとごと) ながら、アステルは現在存在しない令嬢が気の毒だった。
「なんなんだ! なんなんだ! 憎らしいグラキエスめ!!」
サリュードは歌劇鑑賞したあとすぐに帰宅して、自室で物を投げて荒れていた。
馴染みの高級娼婦が観たいと言ったから、新作歌劇〈魔法使いの結婚〉に初日公演連れて行ってやった。奮発して借りたボックス席で散々飲み食いした挙句、劇が終わると彼女は「あっ、大物のお客様の予約が入ってた!」と急いで席を立った。
彼女の一夜を買うつもりだったサリュードの思惑は外れた。女のいる娼館に乗り込んで文句を言おうものなら、社交界で笑い者になる。
うわさでは王族の誰かが経営しているとかで、貴族の利用も多い店だ。娼婦に相手にされなくて、みっともなく喚いていたなどと言われたら大変である。見栄を張って女を黙って見送ったが、女に逃げられてしまったら一人で劇場を出なくてはならない。みじめだ。女性同士、男性同士のグループもあるけれど、大抵はカップルで来ている。
娼婦に馬鹿にされたと屈辱に感じているところに、配下のグソック・フレメンツの元婚約者を見掛けたものだから呼び止めた。シシール子爵令嬢の容姿が多少劣っていても婚約破棄はするべきではなかった。あの男爵令嬢を選んで廃嫡されたのはグソックの自業自得だが、苛立っていたサリュードはシシール子爵令嬢を罵倒して鬱憤を晴らそうとしたのだ。彼女の身分は低いから、反撃はされないのでいい気味だ。
ところが、ところが!
シシール子爵令嬢とその従兄弟とやらに口撃していると、背後から水を差された。
「グラキエスめ! 俺を恐れて近寄らなかったくせに、正義感を掲げやがって! 婚約者にいいところでも見せたかったか! 今日の屈辱は忘れんぞ!」
自身が終学年の時、初学年のいる場所を極力避けていた事を忘れている、おめでたい頭の持ち主だ。魔法省に入ったルキアンと懇親会などで会うと奴が頭を下げていたから、あの生意気な男は身分差を思い知ったのだと考えた。
ルキアンの大人な態度を、公爵家嫡男の権力を恐れていると捉えていたと知れば、ルキアンは鼻で笑っただろう。自惚れも甚だしい。
「一代限りの“魔法爵”にどれだけの価値がある! おのれ、潰してやる!」
暴れるおぼっちゃまの部屋には誰も近づかない。物に当たり散らすだけで人間に被害が及ばない。なので不穏な叫び声も誰にも聞かれなかった。
「父上、魔法士が失脚した例とかありますか?」
今日は帰らない、と言っていた息子が家にいたが、マルエッジ公爵は予定変更したのだなと思っただけで気に留めてもいなかった。妻は友人の侯爵夫人のサロンの音楽会に出かけており、娘と息子と三人で夕食を取っていた。突然の質問に公爵は「どうした、急に」と訝しがる。「失脚させるにはどんな方法がありますか」と本心を晒せないサリュードが言葉を選んだ結果、妙な質問になってしまった。魔法士なんて言葉は知らない十歳の妹はきょとんとしている。
「魔法省か。あそこは汚職も賄賂も効かないらしいから、そんな例は少なくとも私の代では知らん。何か不審な点でも?」
いかにも金融大臣の返答らしい。
魔法省に廉潔な人物が揃っているわけではない。金銭では動かしにくい連中が多いだけで、賄賂などバレたらあとが大変だとリスク管理意識が高いだけである。「金品を寄越すな。面倒事は困る」と、魔法大臣が言っていた。
だから贈るなら他国の魔道具とか奇書とか研究道具とかが良いなどと実しやかに語られている。ただ賄賂の認識はないから誰それに貰ったと自慢するし、それによって魔法省に優遇してもらう利点は特に思い浮かばない。せいぜい魔法士の派遣を他領より早くしてもらう程度だ。
それならカフセイル公爵家のように魔法士を専属で雇った方がいい。あそこの当主は娘に甘く、毎朝通学する娘の衣装や靴に魔法を掛けて、歩きの負担を減らし、ドレスが汚れないよう保護しているらしい。私設騎士団員ではなく、そんな使い方をするのかと驚いたものだ。無属性魔法士はなかなか評価されないとかで魔法省入省は叶わず、燻っていた市井魔法士の男に高い給料を約束したら直ぐに契約出来たそうだ。魔法省のエリート魔法士の失脚など、公爵には思い浮かばない。
「なんかこう、機密を持ち出したり、研究を外国に売ったりとか」
息子の言葉に「軍事省ほど重要な機密はないはずだ。それに言っただろう。あそこは揉め事を嫌う土壌がある」と、父親はサリュードの言葉を否定する。
(チッ! そもそもアイツは新人だし、そんなターゲットにはならないか)
冤罪をふっかけるのも難しそうである。それなら……。
有効な手を思いついたサリュードは口角を上げる。
(初恋の娘と破局させてしまえば……)