軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

9.銀灰色の共犯者

三日後の夕刻。橙色の陽光が回廊の石柱に長い影を落としていた。

使いの者が届けた一通の手紙。差出人の名はなく、ただ「第三回廊、日没前に」とだけ書かれていた。筆跡には見覚えがあった。

あの端正で迷いのない文字。

クラウスだ。

(——何を、聞かれるのかしら)

心臓が嫌な音を立てている。茶会事件の直後。このタイミングで呼び出す意味を、エレノーラは理解していた。

第三回廊は城の東棟にある。人通りは少なく、窓から差し込む西日が石壁を赤く染めていた。

クラウスは柱に背を預けて立っていた。いつもの銀灰色の髪が夕陽に透ける。眼鏡の奥の目は——読めない。

「お呼び立てして申し訳ありません。少しお時間をいただきたく」

「いいえ、構いませんわ」

エレノーラは令嬢の微笑みを貼りつけた。だが足が止まる位置は、いつもより少し遠い。

沈黙が落ちた。

クラウスは腕を組んだまま、しばらくエレノーラを見つめていた。観察するような、値踏みするような——いや、違う。確かめるような目だった。

「茶会でのこと、お見事でした」

「まあ、ありがとうございます」

「——あなたは聖女の行動を、事前に知っていた」

微笑みが凍りそうになるのを、必死で堪えた。

「違いますか」

静かな声。責めているのではない。ただ事実を確認している。エレノーラは前世で覚えている。この男は嘘を見抜く。下手な誤魔化しは通じない。

「……何を根拠にそうおっしゃるのですか」

「花瓶の件では証人を事前に用意していた。今回はドレスの色を変え、共犯の侍女の動線上に証人を配置していた。全て事後対応ではなく、事前準備です」

一つずつ、淡々と並べる。

「偶然が重なったにしては、あまりにも正確だ。あなたは——知っていたとしか思えない」

エレノーラは沈黙した。風が回廊を吹き抜ける。夕陽が少しだけ傾いた。

「私が知りたいのは方法ではない」

クラウスが一歩、近づいた。

「目的です。あなたは何のために、ここまでのことをしている」

長い間があった。

エレノーラの頭の中で、選択肢が回転していた。

全てを話す? 死に戻りのこと。前世で殺されたこと。この世界の全てが二度目であること。

——駄目だ。それは狂人の戯言にしか聞こえない。

だが何も話さなければ、この男の信頼は得られない。そしてクラウス・フォン・ジークムントという人間が味方につくかつかないかで、この先の難易度は天と地ほど変わる。

(賭けに出る。全てではない。でも——嘘は、つかない)

エレノーラはゆっくりと令嬢の仮面を外した。

微笑みを消し、真っ直ぐにクラウスを見上げた。

「……私は」

声が震えた。それは演技ではなかった。

「私は、自分が殺される未来を知っています」

空気が変わった。

クラウスの瞳が——眼鏡の奥で、微かに揺れた。

この男の表情が、こんなはっきり動くのを、エレノーラは初めて見た。驚きではない。怒りでもない。もっと深い場所にある何か。名前のつけられない感情。

「……続けてください」

「聖女は善意の皮を被った策略家です。彼女の計画が全て成功すれば、私は全てを失い、最後には命も失います。だから——先手を打っているんです」

「それを、どうやって知った」

「それは——答えられません」

エレノーラは視線を逸らさなかった。

「信じていただけなくても構いません。ただ、これだけは嘘ではないと——」

「嘘ではないことは、わかっています」

クラウスが遮った。

エレノーラは息を呑んだ。

「あなたは嘘をつくとき、右手の薬指が微かに動く。今は——動いていない」

そんなところまで見ていたのか。この男は。

再び沈黙が降りた。夕陽がさらに傾き、回廊の影が長く伸びていた。二人の間を風が通り抜ける。

クラウスは眼鏡を押し上げ、小さく息を吐いた。

それは——この男が見せた、初めてのため息だった。

「あなたを死なせる未来は、承認できません」

静かな声だった。感情を押し殺しているようでいて、その奥に鋼のような意志がある。

「——え」

「宰相補佐官として、この国の秩序に関わる陰謀を看過することはできない。それが一つ目の理由です」

「……二つ目は」

聞いてから、聞くべきではなかったと思った。

クラウスは答えなかった。ただ夕陽に目を細めて、小さく——本当に小さく口の端を上げた。

「紅茶を淹れましょう。長い話になりそうだ」

紅茶を挟んだ長い会話の中で、エレノーラは話した。

前世のこと。一度死んで、三年前に戻ったこと。この世界の全てが二度目であること。

狂人の戯言だと思われても仕方がないと覚悟していた。けれどクラウスは最後まで口を挟まず、全てを聞き終えてから——ただ一言、こう言った。

「辻褄が合います」

あなたの行動の精度、情報の偏り、感情の乱れ方。全てに説明がつく、と。

その言葉に、どれほど救われたか。

帰り道、エレノーラは自分の手が震えているのに気づいた。

こんな言葉をかけてくれた人は、前の人生にはいなかった。誰もが聖女の涙を信じ、エレノーラを切り捨てた。父も、婚約者も、友人だと思っていた人たちも。

たった一人の味方もいないまま、死んだ。

それなのに。

この人は——全てを聞いた上で、信じると言ったのだ。

(泣くな。まだ何も終わっていない。泣くのは全部終わってからだ)

目元を袖で拭い、前を向く。

二人の共犯関係が、今日始まった。

けれど——エレノーラは全てを話したわけではない。毒が回る瞬間の痛み。冷たい床の感触。薄れていく意識の中で、誰も来なかった絶望。前世の死の記憶だけは——声にならなかった。

まだ、話せない。

いつか話せる日が来るのだろうか。この手の震えが止まるくらいに、あの夜のことを——言葉にできる日が。

回廊の向こうで、夕陽が沈んでいく。影と光の境界線が、ゆっくりと消えていった。