軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

10.茶会の断罪

王妃主催の大茶会。それは社交季の頂点に位置する催しだった。

大広間には百を超える貴族が集い、銀の燭台が天井から幾重もの光を落としている。薔薇と白百合が飾られた長卓に、最上級の茶器が並ぶ。

エレノーラは入口に立ち、深く息を吸った。

(今日で、第一幕を終わらせる)

淡い藤色のドレスに身を包んだエレノーラが会場に入ると、いくつかの視線が集まった。花瓶事件、ドレス事件——この二ヶ月で、エレノーラ・フォン・ハーゼンベルクの名は以前とは全く異なる意味を持ち始めていた。

茶会が始まって一時間ほど経った頃だった。

「王妃様、どうかお聞きください……!」

その声は会場の中央から響いた。セレスティアだった。

白い聖女の正装に身を包んだ彼女が、王妃の前に跪いている。大粒の涙が頬を伝い、細い肩が震えていた。完璧な、あまりにも完璧な被害者の姿。

「エレノーラ様に……脅されているのです。証拠を捏造すると。私の名誉を潰すと。怖くて、怖くて誰にも言えなくて……」

会場がざわめいた。

エレノーラの背筋に冷たいものが走った。

(——来た)

前世と同じだ。公開の場での告発。聖女の涙。そして——

「やはりそうか!」

アレクシス第二王子が席を立った。金の髪が揺れ、整った顔が怒りに歪んでいる。

「以前から聖女殿に嫌がらせをしていたと聞いている。エレノーラ、弁明があるなら申してみよ!」

貴族たちの視線が一斉にエレノーラに集中した。

ささやき声が波のように広がる。「まさか公爵令嬢が」「でも聖女様があそこまで」「涙が止まらないわ、お可哀想に」——。

前世ではここで全てが崩れた。弁明の機会すら与えられず、聖女の涙の前にエレノーラの言葉は全て虚しく消えた。

だが今世のエレノーラは、微笑んでいた。

ゆっくりと椅子から立ち上がる。ドレスの裾が石の床に柔らかく広がった。

「王妃様。お騒がせして申し訳ございません」

エレノーラの声は穏やかだった。震えも怒りもない。ただ凪いだ水面のように静かな声。

「セレスティア様のお訴えは大変深刻なもの。だからこそ——事実に基づいてお話しさせていただきたく存じます」

王妃が僅かに頷いた。銀髪の女性は感情を表に出さず、ただ「続けなさい」とだけ言った。

エレノーラは懐から一通の書類を取り出した。

「まず一つ目。一ヶ月前の花瓶事件についてです」

会場が静まる。

「セレスティア様は『エレノーラが花瓶を割った』とお訴えになりました。しかし」

書類を広げる。

「その時間、私は隣室で三名の令嬢と共におりました。こちらがその証言の記録です。署名もございます」

ざわめき。セレスティアの涙が、一瞬だけ止まった。

「続いて二つ目」

エレノーラは次の書類を取り出した。

「先日の茶会にて、セレスティア様付きの侍女が染料の入った小瓶を所持し、私のドレスに振りかけようとした件です」

会場がさらに静まる。

「その場にいた二名の証人の証言がございます。侍女は現行犯で取り押さえられ、城の衛兵に事情を聴かれております」

アレクシスの顔に動揺が走った。

「そ、それは侍女が独断で——」

「殿下」

エレノーラは静かに、しかし確かな声で遮った。

「三つ目がございます」

最後の書類。マリアが命がけで手に入れたもの。

「こちらは、セレスティア様が侍女に宛てた指示書の写しです」

会場の空気が凍った。

「花瓶事件の前日に『エレノーラの通る時刻に花瓶を割り、彼女の仕業に見せかけること』——染料事件の前夜に『白い液体を用意し、茶会で実行すること』。いずれもセレスティア様の直筆です」

沈黙が、大広間を満たした。

百人を超える貴族が、息を呑んでいた。

セレスティアの顔から血の気が引いていくのが見えた。涙はとうに乾き、唇が微かに震えている。

「う、嘘です……」

その声には、もう力がなかった。

「そんなもの、捏造に決まっています! 私は何も——」

「セレスティア様」

エレノーラは一歩前に出た。穏やかに。静かに。だがその瞳には、前世の全ての痛みが宿っていた。

「嘘は、積み重ねるほど重くなりますのよ」

会場のどこかで、小さく息を呑む音がした。

アレクシスが叫んだ。

「何かの間違いだ! 聖女がそんなことをするはずがない! この書類こそ偽造ではないのか!」

だが、誰も王子に賛同しなかった。

花瓶事件の証人たちが、静かに頷いている。茶会で侍女の小瓶を目撃した令嬢たちも。証拠は一つではない。点と点が繋がり、線になっている。一つを偽造だと叫んでも、三つ全てを否定することはできない。

アレクシスは周囲を見回した。味方を探すように。だが目が合った貴族たちは、一人また一人と視線を逸らした。

「アレクシス」

王妃の声が、静かに響いた。

「お座りなさい」

アレクシスの肩が震えた。母である王妃の声に逆らうことはできない。唇を噛みしめ、ゆっくりと席に戻った。

王妃は書類に目を通し、長い沈黙の後、口を開いた。

「……調査が必要ですね」

冷たく、平坦な声だった。だがその一言に含まれる重みを、この場にいる全員が理解していた。

王妃主催の調査。それは社交界において、事実上の有罪宣告に等しい。

セレスティアの顔が蒼白を通り越して、紙のように白くなった。

茶会は形式的に続いていた。だが空気は完全に変わっていた。

聖女の周囲から人が消えている。先ほどまで彼女の近くにいた令嬢たちが、さりげなく距離を取っていた。代わりにエレノーラの元には、一人、また一人と貴族が挨拶に訪れる。

エレノーラは一人一人に穏やかに応じながら、会場の隅に視線を向けた。

クラウス・フォン・ジークムントが、壁際の腕を組んで立っていた。

銀灰色の髪。端正な横顔。手にした磁器のカップから、紅茶の湯気が細く立ち上っている。

まるでこの騒動など知らぬかのように、壁にもたれて静かに紅茶を飲んでいる——ように見える。だがエレノーラと目が合った瞬間、クラウスは小さく頷いた。

ほんの僅かな動き。他の誰にも気づかれないほどの。

(よくやった、という目だ)

エレノーラの胸の奥で、何かが温かくなった。

前世では、この大茶会が転落の始まりだった。聖女の涙の前に全てを奪われ、孤立し、そして——死んだ。

今、同じ場所に立っている。同じ大広間で、同じ貴族たちに囲まれて。

だが全てが違う。

エレノーラは窓の外に目を向けた。夕暮れの空が紫と橙に染まっている。前世の自分が見ることのできなかった景色だ。

(これで、ひとまずは——)

藤色のドレスの裾を整え、最後の紅茶に口をつける。温かかった。

会場を辞す間際、エレノーラは一度だけ振り返った。蒼白のまま席に座り続けるセレスティアの姿が見えた。聖女の手は膝の上で固く握りしめられている。

あの目。あれは怯えではない。

あれは——怒りだ。

大広間の扉が静かに閉まった。その向こうで、新しい夜が始まろうとしていた。