作品タイトル不明
第十五話 シャンジ
新しい宿はサウベリア王国時代からある老舗だった。
白漆喰が映える二階建ての建物だが、潮風を遮る密な林を備え敷地面積も広い。
防風林を組み込んだサウベリア王国式の庭園を物珍しさから眺めていたチトセは部屋へと視線を移す。
家具もサウベリア王国の様式で統一されていた。アシエラの講義を聞いて覚えた知識に当てはめると大体二百年近く前の様式のようだが、アンティークの家具はほとんどない。
意味もなくアンティークの砂時計をひっくり返し、チトセはベッドに腰を下ろす。
「落ち着かない」
アシエラが気を利かせて個室にしてくれたが、部屋が広すぎて落ち着かない。
エティは探検気分で部屋の中を飛び回って楽しそうだが、部屋の金額を考えるとチトセは頭が痛かった。今日の売り上げは確実に飛んでしまい、ほとんど赤字のはずだ。
これ以上アシエラに迷惑を掛けたくない。本格的に店を出ていくことを考えながらも、明日は売り子を頑張ろうと決意を新たにした時だった。
「――ちょいとお邪魔するぜ」
ひょいと窓から部屋に入ってきた孵化精霊に、チトセは反射的に身構えた。
チトセがいることではなく身構えたことに驚いたらしい孵化精霊が窓辺に着地して目を丸くする。
「なんだ? 小娘、俺のことが視えてんのか? 珍しいな」
部屋に見える人間がいるとは思っていなかったのだろう。敵意はないと示すように、孵化精霊は窓辺に腰掛ける。
木工彫刻の花を胸元にあしらった海のさざ波を思わせるデザインのドレスに身を包んだ孵化精霊だ。
「俺が視えてるならちょうどいいや。蚤の市をやっているというから、エルフのアシエラって女を探しに来たんだが、心当たりはないか?」
孵化精霊が首を傾げて聞く。長い茶髪がさらりと流れ、茶髪に木目模様が浮かび上がった。
宿り木の庭は孵化精霊たちが集まり、アシエラにエルフの里へ連れて行ってもらう役割もあることを思い出す。この孵化精霊も同様の要件だろうと想像しながら、チトセは頷いた。
「アシエラさんならこの宿に泊まってるよ。隣の部屋にいる。一緒に行く?」
「そうだな。アシエラが身構えるとは思えないが、視えてる相手には表から訪ねるのが筋ってもんだわな」
「それが分かってるなら、なんで私の部屋に飛び込んできたの?」
「視えてないと思ったんだ。そこの宿り精霊にアシエラか、他のエルフを見かけたかを尋ねようと、横着して窓から入ったのが不味かった。反省してる。驚かせてすまなかったな」
そのあたりの常識はあるのかと拍子抜けしながら、チトセはベッドから立ち上がった。
「こっち来て」
「おうよ。名乗ってなかったな。俺はシャンジ。小娘の名は?」
「チトセ。こっちはエティ」
肩に座りに来たエティを紹介して、チトセはシャンジを連れて部屋を出る。
すぐ隣にある扉をノックして、中のアシエラに呼びかけた。
「アシエラさん、孵化精霊のシャンジが会いたいって」
「入っていいよー」
許可を得て扉を開ける。真っ先に入ったシャンジが部屋の椅子に座っているアシエラの下へ一直線に飛んでいった。
「よぉ、アシエラ。三十年ぶりか?」
「大体そのくらいだね」
すでに知った仲らしく気安く言葉をかけあう二人の声を聞きながらチトセは扉を閉める。
そのままアシエラの向かい側の椅子に座ったチトセにシャンジが礼を言う。
「ありがとよ。チトセはアシエラの弟子か?」
「弟子じゃなくて居候でお手伝い」
「ほぉ。まぁ、宿り木の庭の従業員なのは確かだな? なら一緒に話を聞いてくれ」
シャンジの言葉にアシエラが意外そうな顔をした。
チトセも意外に思う。アシエラと共にエルフの里へ行く以外の理由があるような口ぶりだったからだ。
シャンジは高度を落としてテーブルの上に降り立つ。
「チトセは知らんだろうから俺の由来から話すぞ。俺は流香家具に付いていた精霊だ」
流香家具と聞いて、チトセは記憶を漁る。アシエラの講義で何度か聞いたことがある単語だ。
サウベリア王国で製作される木製家具の総称で、多くは椅子や小棚が流通している。
由来不明の外洋から海岸に流れ着いた香木から製作された、サウベリア王国の伝統的な高級家具である。
材料となる香木は夏の気温に晒されると深みのある甘い香り放ち、加工もしやすい。しかし、流れ着くのをひたすら待つ以外に材料の確保ができないため希少品とされ、値段も相応にする。
そんな流香家具についていたというシャンジは三十年程前に宿り木の庭からお客の下へと売られ、この町に来た。
「買い手がずいぶんと前に亡くなったんだ。それで、娘に受け継がれたんだが孫娘が流香家具の匂いに苦手意識があるらしくてな。温度変化の少ない物置にしまい込まれちまった」
おそらく、流香家具を受け継いだ娘は特性を知らなかったのだろう。
流香家具が発する匂いは防腐効果を持つ。温度変化の少ない物置ではその防腐効果が発揮されず、カビが生えてしまう。
孵化したとはいえ、かつて宿っていた流香家具の椅子がカビていくのは忍びないというのがシャンジの意見らしい。
「いまならまだ間に合う。買い取ってくんね?」
言葉はぶっきらぼうながら、シャンジはそう言ってアシエラに頭を下げた。
「いいよ」
軽い調子で請け負うアシエラにチトセは密かにため息をつく。
ただでさえこの宿に泊まるという余計な出費があったのに、高級アンティーク家具を買い取ろうというのだから。
だが、宿り木の庭はアシエラの店だ。アシエラが決めたのなら居候のチトセは文句が言えない。
「日が落ちる前に行こうよ。明日はまた蚤の市だし」
せめてもの提案として機会損失だけは避けようとチトセはアシエラの背中を押した。