軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

戦機近付く

永禄五年(1562年) 四月下旬 山城国葛野・愛宕郡 西洞院大路 飛鳥井邸 飛鳥井基綱

邸に戻ると春齢、九兵衛、五郎が出迎えてくれた。

「兄様、疲れてる? 堀川主膳が来ているのだけれど」

五郎が申し訳なさそうな顔をしている。

「随分と待っているのか?」

「うーん、小半刻は過ぎていると思う」

「主膳が詰まらない要件で来る事はおじゃらぬ。直ぐに会うぞ、茶を頼む」

春齢が”分かった”と言って立ち去った。九兵衛、五郎も一礼して立ち去る。それを見届けてから息を吐いた。疲れているけど我慢、我慢だ。

部屋では主膳が行儀良く待っていた。

「待たせたようでおじゃるの」

「いえ、突然に押しかけたのはこちらにございます」

主膳と向き合う形で座った。

「もう少し早く戻れれば良かったのだが……」

「お気になされますな。頭中将様が忙しいのは分かっております」

そう、忙しいんだ。どういうわけか皆が俺を頼るんだよ。本当は今日はもっと早く帰れる筈だったのに……。

”失礼します”と声が有って万が茶を運んできた。宍戸三郎の妻で目が細い。ちょっと猫みたいな感じがする女だ。万が主膳の前に有った茶碗を持ってきた茶碗と取り替えた。そして俺の前に別な茶碗を置いた。

「ご苦労だな」

声を掛けると万が一礼して立ち去った。

「それで? 良き報せかな? それとも悪い報せかな?」

一口茶を飲んでから声を掛けた。

「両方ございます」

あらら、両方かよ。大体こういうのって良い報せは大した事は無いんだよな。そして悪い報せは酷い。落ち込むから良い報せから聞こう。

「良き報せとは?」

主膳がにんまりと笑った。

「根来、雑賀が兵を退く事を約束しました」

思わず”ほう”と声が出た。随分早く結果が出たな。それだけ根来、雑賀には畠山への不満が有ったという事になる。やはり米が無いのが効いたかな。

「筑前守殿も喜んでおじゃろう。堺への手配は済んだのかな?」

「堺は喜んで協力すると言っております」

主膳が”ふふふ”と笑った。

「堺では筑前守様の評価が随分と上がっておりますぞ」

「……」

「頭中将様が筑前守様を高く評価した事が広まっております。納屋、天王寺屋が他の会合衆に話したようで。おかげで堺は積極的にこちらに協力してくれるようになりました。武器弾薬の購入も捗ります。有り難うございまする」

なるほど、あれか。

「麿は思った事を言ったまでだ。礼を言われるような事ではおじゃらぬ」

主膳が笑みを浮かべながら一礼した。

「では直に戦かな?」

「はい、五月に入れば一気に動きが出ましょう」

五月か……。雑賀、根来が離脱する。三好勢は直ぐさま兵を動かす筈だ。五月の上旬に決着は付く……。三好が勝てば勅勘を受けている公家達も大人しくなる筈だ。太閤にも話しておかなければ……。

「飯盛山城には連絡を取れるのかな?」

「畠山勢に囲まれておりますが問題はございませぬ」

「そうか」

摂津から三好勢が南下すれば兵の足りない畠山勢は飯盛山城の囲みを解くな。一部は残すかもしれないが……。

「戦が始まったら頃合いを見計らって飯盛山城から兵を出させる事だ」

主膳が目を剝いた。

「修理大夫様に出撃しろと?」

「そうだ」

「しかし」

主膳が苦しそうな表情をした。やはり修理大夫の状態は良くないのだと思った。

「影武者で良い。背格好の似た男に修理大夫殿の鎧を着けさせれば敵の目を欺けよう。味方の目もな」

「なるほど」

「雑賀、根来が離脱すれば畠山勢は兵が減り士気も下がる。そこに修理大夫殿が現れたとなれば畠山勢は怯えよう。三好勢は意気が上がる。楽に勝てる」

主膳が”確かに”と力強く頷いた。

「戦に勝った後は修理大夫殿は決戦で陣頭に立って戦ったと噂を流す事でおじゃるの。さすれば修理大夫殿の病も大した事はないと皆が思うようになる」

「左様でございますな。筑前守様に伝えまする」

いずれはばれる嘘だ。だが筑前守が三好家を纏めるには時間が掛かるだろう。修理大夫が健在だとなれば多少はその時間を稼げる。

「ところで悪い報せでございますが」

「うむ」

「此度の戦、全て頭中将様の予想通り。そして三好勢は頭中将様の軍略で戦っていると日向守様が知りました」

「……」

「豊前守様の討ち死にも予想しておられた事。それを前提に策を考えられた事もです」

溜息が出た。まあこうなるんじゃないかと思っていたけどね。

「麿を危険視しているのだな?」

「筑前守様が頭中将様は敵では無いと諭しておられますが……」

主膳が首を横に振った。余り状況は良くないか。やっぱりどこかで京を離れる事になりそうだ。そうじゃなければ俺の首が胴と離れる事になる。

「分かった。良く教えてくれた。感謝している」

「いえ、当然の事にございます」

そんな事は無いさ。直属の上司は日向守なんだ。中々出来る事じゃ無い。

「この邸に居る堀川党は三好勢が京に入った日をもってそなたの下に戻る事になる。それで良いかな?」

「こちらはそれで構いませぬ」

「皆、良くやってくれた。寂しくなる」

「畏れ多い事にございます」

主膳が頭を下げた。いや、本当だよ。一緒に危機を乗り切ったんだからな。お別れの時は送別会でも開こうかな。お酒は無し、お茶だけど良いよな。代わりに余興を用意しよう。ビンゴ大会とかどうだろう?

永禄五年(1562年)四月下旬 山城国葛野・愛宕郡 平安京内裏 正親町天皇

亥の正刻に常御所に行くと既に頭中将が居た。私が来た事に気付いたのだろう。平伏した。上座に座り”楽にせよ”と声を掛けた。頭中将が頭を上げる。この時間に二人だけで会いたいと頼まれたが……。

「大事のようだな」

「はっ、失礼致しまする」

傍に近寄ってきた。

「五月に入れば三好勢が畠山勢に戦を仕掛けまする」

「!」

いつかはその日が来ると分かっていた事ではある。だがそれでも胸が激しく鳴った。

「勝てるのだな?」

頭中将が頷いた。

「まず間違いなく勝てまする」

思わず息を吐いた。ようやく決着が付く。三好が勝てば公方も諦めよう。そして二条、万里小路達も諦める筈だ。

「そなたには苦労を掛けた。戦の事だけでは無いぞ。誠仁、寧仁の事では随分と苦しい思い、嫌な思いをさせてしまった」

「畏れ多い事におじゃります」

顔を伏せる頭中将に申し訳ないと思った。頭中将だけではない、目々にも嫌な思いをさせた。そして誠仁に男子が生まれれば寧仁は出家する事になる。あと四年、いや五年だろうか? 長くても十年はかかるまい。飛鳥井だけに犠牲を払わせる事になる……。何か飛鳥井を喜ばせる事は出来ないものか……。

「三好が勝った後の事でおじゃりますが三好と六角を和睦させなければなりませぬ」

「和睦?」

問い返すと頭中将が頷いた。

「六角が近江に去り三好が京に入る。戦にする事なく滞りなく進めなければなりませぬ。和睦は本来は公方の役目でおじゃりますが公方では戦を嗾けかねませぬ。この大事をなせるのは朝廷だけにおじゃります」

確かに頭中将の言う通りだ。京で戦を起こさせてはならぬ。

「道理である。しかし三好、六角が和睦を受け入れるか?」

問い掛けると頭中将が顔を綻ばせた。

「三好は畠山に勝ってもそれまでに大きな損害を受けておじゃります。六角は兵糧に不安がおじゃりましょう。両者とも戦を望んでいるとは思えませぬ。しかし自分から和睦をと口に出すのは両者とも面子が許しますまい。帝が両者の仲立ちをするなら面目が立ちまする。和睦を受け入れましょう」

自然と自分の顔も綻んだ。

「良く分かったぞ。朕が仲立ちをしよう」

頭中将が深々と一礼した。頼りになると思った。頼りになるから頼ってしまう。胸が痛んだ。

「和睦が成りましたら六角左京大夫とその重臣達を参内させ和睦を受け入れた事、これまで京の治安を守った事をお褒め頂きたいと思いまする。左京大夫は面目を施し近江に戻り易くなりましょう。朝廷にも感謝するかと」

「うむ、三好はどうするのか?」

問い掛けると頭中将が”はっ”と畏まった。

「三好が入京しましたら三好筑前守と重臣達を同じように参内させ和睦を受け入れた事を褒め、これ以後京の治安を守るようにと命じまする。つまり朝廷は三好家を武家の棟梁であると認識している事になりましょう」

そういう意味が有るか……。なるほどと思った。三好も六角も朝廷に感謝しよう。戦も防げる。こういう形で朝廷が存在感を示せるのだと思った。となると……。

「公方はどうする?」

今のままでは公方には何の配慮もせぬ事になるが……。

「公方が三好、六角に和睦を命じるなら公方にも参内を促しましょう。その上で和睦を命じた事を褒めれば良ろしいかと」

命じない場合は無視か……。厳しいと思った。しかし参内を命じても意味が無いのも事実だ。

「公方が和睦を命じると思うか?」

頭中将が”いいえ”と首を横に振った。そうだな、和睦を命じる事はあるまい。公方には三好を討つ、それしかない。

「頼りない事だな。朕が戦を終わらせるか」

「はっ。戦は始めるよりも終わらせる事が難しいものにおじゃります。本来なら武家の棟梁が終わらせるもの。なれど三好は当事者なればその任に非ず。公方には戦を終わらせる覚悟はおじゃりませぬ。帝が終わらせるしかおじゃりませぬ」

「分かった」

父の事を思い出した。迷った時はどうすれば乱世を終わらせる事が出来るかを考えよと私に言い残した。今回、私が和睦を成し遂げれば少しは喜んで貰えるだろうか……。

永禄五年(1562年)五月上旬 山城国葛野・愛宕郡 平安京内裏 勾当内侍

「内侍、良いかな?」

義兄権中納言高倉永相が廊下から遠慮がちにこちらを見ています。その姿におかしみを感じて顔が綻びました。

「構いませぬよ。丁度一息入れようと思っていたところです」

義兄がホッとしたように部屋の中に入ってきます。

「済まぬな。なかなか寛げる場所が無くての」

「今、お茶の用意をさせましょう」

義兄が”うむ”と顔を綻ばせました。女官がそそくさと立ち去ります。直にお茶を持って来るでしょう。

「何がございました?」

義兄の顔から笑みが消えました。

「二条様から文が来た。宥免の勅を出すように帝を説得して欲しいと」

「真でございますか?」

義兄が頷きました。まさか義兄に文が……。

「麿だけではないぞ。持明院殿もじゃ」

思わず息を吐きました。

「権中納言様にも文が?」

義兄が頷きました。

「顔色が良くないのでな、気になって声を掛けたのだ。最初は躊躇っていたが重ねて訊ねると話してくれた。本人も扱いかねていたようでおじゃるの。麿だけでは無く持明院殿もかと驚いたわ」

義兄と権中納言様。嫌な予感がしました。女官が戻って来ました。義兄と私の前に茶碗を置きました。

「ご苦労でしたね。少し義兄と二人にしてください」

「はい」

女官が一礼して立ち去るのを見届けてから”義兄上”と声を掛けました。義兄はお茶を飲んでいます。

「私と藤典侍を使ってという事でしょうか?」

義兄が頷き茶碗を置きました。

「そうでおじゃろうの。麿が貰った文にはそなたにも声を掛けて欲しいと記してあった。持明院殿が貰った文には藤典侍の名が記してあったらしい。二条様が何を考えたかははっきりしている」

溜息が出ました。正攻法では無理と見て搦め手からという事なのでしょう。

「これまで色々と動いていたようだがどうにもならぬ。それでそなた達を使う事を考えたのでおじゃろう」

「焦っているのでしょうか?」

義兄がむっつりと頷きました。

「畠山勢の旗色は良くない。相当に追い込まれていると聞く。三好が勝てば勅勘が解ける事はおじゃるまい。焦っているのだと思う」

一口お茶を飲みました。兄も飲んでいます。余り美味しいとは思えません。兄も渋い表情で飲んでいますから同じ思いなのでしょう。

「頭中将に相談した」

「お二人でですか?」

義兄が頷きました。

「二条様には協力は出来ないと断りの文を書くが念のためじゃ、頭中将に報せておけば問題は無いと思ったのよ」

「左様でございますね」

帝の頭中将様への御信任は他者の及ぶところではありません。

「だが甘かったの」

「甘かった?」

義兄が頷きました。苦笑いをしています。

「直ぐさま帝に報告して明日には文を提出した方が良いと言われた。それとそなた達にも文を受け取ったら直ぐさま帝に提出するように注意した方が良いと。二条様には協力は出来ない、文は帝にお渡しした。そなた達にも注意したと返事をすれば二度と二条様から文は来ないだろうと……」

なるほどと思いました。義兄が甘かったというのも道理です。

「では帝に?」

「うむ。帝は文の事を言上すると御不快であられた。だが麿等が文を提出する、そなた達にも注意すると言上すると満足そうに頷いておられた。二条様達に相当に不満がおじゃるようだな。文のやりとりをしているなどと知られたらこちらまで叱責されたわ。たとえ断りの文でもな。権中納言になってこれからなのだ。危うい危うい」

義兄が”はははは”と笑い声を上げました。

「帝の御前を下がって持明院殿と少し話をした。麿も驚いたが持明院殿も驚いていた。二条様達への帝の御不快は相当なものだ。当分宥免はおじゃるまい」

「帝は頭中将様、飛鳥井家へ申し訳ないと思っておられるようです」

義兄が訝しげな表情をしました。

「帝は誠仁様を次の帝にと考えておられます。寧仁様は未だ幼く無事に育つかも分かりませぬ。皇統を確実に保つためには誠仁様を選ぶのが最善と考えておられるのです。頭中将様も次の帝は誠仁様と考えておられます。先日、目々典侍様にお会いしましたが典侍様も誠仁様が帝になるのが道理だと仰っていました。寧仁様では皇統が不安定になると」

義兄が頷きました。

「そういえば飛鳥井家の方々は余り燥がぬな。寧仁様が帝になるとは考えておらぬか」

「ええ、万里小路とは違うようです。あのようになってはならぬと自戒しているのかもしれませぬ」

”有りそうな事よ”と義兄が頷きました。

「あれは酷かったからの」

「それなのに二条様も万里小路権大納言様も復権を望んで何かと動きます。帝はそれを不快に思っても咎める事が出来ませぬ。誠仁様を守るためにです」

義兄が”うむ”と頷きました。

「標的になるのは頭中将様、寧仁様、近衛家、飛鳥井家の方々です。頭中将様はそれを一人で防いできました。寧仁様のためではありませぬ。誠仁様のためです。これでは……」

義兄が大きく息を吐きました。

「そうでおじゃるの。以前は浪人者が押し寄せたが最近では暗殺騒ぎがおじゃった。近衛邸に賊が押し寄せた事もな。米泥棒の仕業だと言われているが皆が訝しんでおじゃる。誠仁様を守るためか……」

私が頷くと義兄も頷きました。

「関白殿下の関東下向後、帝をずっと支えてきたのは頭中将じゃ。太閤殿下もお身体は万全ではおじゃらぬ。そなたの言う通りよ。帝もお辛かろう。二条様達への嫌悪も強くなるのも道理よ」

「はい」

頷くと義兄が少しの間宙を睨んでいましたが私に視線を向けると耳を貸せというように手招きしました。

「二条様達の我が儘が続くようだと帝が誠仁様を切り捨ててしまうかもしれぬの」

「!」

思わず義兄の顔を見ました。囁くような声でしたがはっきりと聞こえました。義兄は何事も無かったような顔をしています。

「そう驚く事は無かろう。二条様達が煩く騒ぐのも誠仁様が居るからでおじゃろう。誠仁様が居なくなれば二条様達への遠慮も要らなくなる。そうではおじゃらぬかな?」

「それは、そうですが……」

義兄が”ふふふ”と笑いました。

「誠仁様が帝の御子なら寧仁様も帝の御子じゃ。誠仁様の取り巻きは質が良くないとなれば帝も先々が不安でおじゃろう。寧仁様にはそのような心配はおじゃらぬ」

「……」

「寧仁様では皇統が不安かもしれぬが誠仁様でも不安は変わらぬ。帝がそう判断すれば……」

義兄が茶を一口飲んでニヤリと笑いました。

「まだまだ分からぬの」