作品タイトル不明
行く末
永禄五年(1562年) 四月下旬 摂津国島上郡 原村 芥川山城 進士晴家
「恩赦は上手くいきませんでしたな」
息子の主馬頭がニヤニヤ笑いながら言った。
「当たり前であろう。帝が勅勘にしたのだ。一月で赦せるわけがない。それに朝廷は近衛・飛鳥井が押さえている。帝が赦すと言っても反対するのは目に見えている」
息子の笑いが益々大きくなった。
「二条様、万里小路権大納言様はさぞかし御落胆でしょうな」
「こちらは出来るだけの事はしている」
息子が”そうですな”と笑いながら頷いた。”笑うな”と窘めると息子が頭を下げた。
「庶子には恩赦は出せぬと拒否するのも想定済みですか」
「そうだ、誰もが否定出来ぬ正論だ。朝廷がそれを言ってくるのは目に見えていた」
息子が”ふふふ”と笑った。溜息が出そうになったが何とか堪えた。
「悪いお方だ。公方様は不満そうですが?」
「それで良い」
広橋内府は庶子には恩赦は行えぬと言うと不満そうな公方様を置いて逃げるように立ち去った。
この問題に関わりたくないのだ。近衛・飛鳥井は相当神経質になっているらしい。二条様達を赦したくないという思いの他に御台所を守りたいと思っているのだろう。ふふふ、
公方様に有るのは輝若丸様の誕生を祝ってやりたい、寵愛する真阿を喜ばせてやりたい。それだけなのだかな。反対されれば必ず近衛・飛鳥井が反対したと思うだろう。その分だけ御台所様を、慶寿院様を疎むようになる。
「しかし大名達からは祝いの使者は来ませぬな」
「戦の最中だ。使者が来るのは京に戻ってからだろう」
「朽木は来ましたが?」
息子が皮肉の籠もった目をしている。
「少しでも幕府の心証を良くしようと必死なのだ。兵を出さぬからな」
「憐れですな。公方様だけではない、皆に散々に罵倒されました」
「何を他人事のように……。その方も長門守を罵倒した一人であろう」
息子が”それは、まあ”と曖昧に頷いた。
公方様は面白くないのだ。負けるのではないか、頭中将様の言うとおりになるのではないかと怯えている。そうなればまた頭中将様と比較されると懼れているのだ。そんな時に長門守が目の前に現れた。朽木は足利に忠義の家、自分も助けてもらった、身代は小さい、長門守は自分が当主にした、それなのに兵を出そうとしない、そして頭中将様の縁者でもある……。公方様は長門守に憤懣をぶつけた。単純に疎んじて憤懣をぶつけたのでは無いのだ。そこには朽木に対する甘えもある。その事を言うと息子が頷いた。
「そうですな、後で後悔しておいででした」
溜息が出た。後悔するくらいなら罵倒しなければよいのだ。その辺りの心構えが弱いのよ。
「公方様は心の強いお方ではない。だから感情を抑えられぬ」
武家の棟梁としてはもっとも不向きなお方だ。だが我らはそのお方を担いで行かねばならぬ。輝若丸様がいずれ第十四代様になるその時まで……。
「大和守殿がいざという時に誰を頼るのかと言っておりましたが?」
息子が不安そうな顔をしている。この辺りが不満よ。今ひとつ頼りない。
「朽木は公方様を受け入れられぬと言った。逃げてくるのは構わぬが直ぐ他所に行ってくれと」
「はい」
「問題無い。朽木を頼る事はせぬ」
「……」
息子は納得していない。これも不満よ。
「その方は朽木での五年で何を学んだのだ?」
息子が姿勢を正した。
「それは……、大名は当てにならぬという事です」
「その通りだ。当てにならぬ。どれほど兵を出せと頼んでも出さなかった。ようやく出したと思えば既に筋書きが出来ていた。幕府は結果を突き付けられて従うしか無かった。そうではないか?」
息子が”はい”と答えた。唇を噛みしめている。あれは屈辱だった。公方様だけではない。幕臣達にとってもだ。あれほど自分達の無力さを思い知らされた事は無かった。
「大名を動かすには大名の懐に飛び込むしかない。公方様御自ら大名に働きかける。そうでなければ大名は公方様の思うようには動かぬ。文や使者では足りぬのだ」
「畠山も六角も兵を挙げましたが?」
「本気で言っているのか? 今の六角を見てもそう言えるのか?」
「……」
息子が俯いた。
「朽木は安全ではある。足利に忠義の家でもある。それは認める。だがそれだけでは駄目なのだ。せめて朽木に三千の兵が動かせれば話は違うのだが……」
それだけあれば幕臣達も朽木を疎んじるような事はせぬ……。弱い、小さいという事は惨めよ。民部少輔、長門守親子はその惨めさを噛み締めておろう。
「ところで例の襲撃の件ですが」
息子がこちらを窺うように見ている。
「太閤殿下も頭中将様も変わりが無いらしい。どうやら襲撃は失敗したらしいな。三好との戦も負けかけている。役に立たぬわ!」
思わず吐き捨てた。口中が苦い。畠山尾張守、戦が下手とは思わぬが肝心なところで頼りにならぬのはどういう事なのか……。
「成功していれば……」
「止めよ、空しくなるだけだ」
儂の言葉に息子が渋々頷いた。ものは考えようだ。失敗はしたが太閤殿下も御台所様も自分達が邪魔なのだという事は分かっただろう。輝若丸様が生まれた今、御台所の居場所は幕府には無い。意地を張って御台所の地位にしがみつく事は危険だと思ってくれれば離縁を選ぶかもしれぬ。そうなれば失敗も無駄では無い……。
「ここまで来たのに……」
息子が嘆いた。
「今一歩まで三好を追い詰めたのだ。無駄では無い」
儂の言葉に”なら良いのですが”と息子が言った。頭中将様か、目障りなお方よ。だが頭中将様の言う通りとなれば公方様は益々頭中将様を憎もう。そして頭中将様を贔屓にする御台所様を疎む。ふむ、悪くない。上手く公方様の心を突けば……。
永禄五年(一五六二年) 四月下旬 近江国高島郡安井川村 清水山城 朽木稙綱
櫓台から外を見ていた。水田に水が張ってある。直に田植えだ。田植えを見るのは楽しい。水田に少しずつ稲が植えられていく。いずれ稲が成長して水田は青々とした姿を見せる。そして穂が出て黄金色に……。あと半年と経たずにそれが見られる。そう思うと自然と顔が綻んだ。
「父上」
振り返ると長門守が居た。
「終わったのか?」
近付く息子に声を掛けると息子が苦笑を浮かべた。
「買い入れた米を六角に送りました。もっとも桔梗屋が全てを取り計らっております。某は立ち会っただけですな」
「ははははは」
儂が笑うと長門守も笑った。
「いずれ六角から文が届きましょう」
かもしれぬ。前回米を送った時は進藤山城守から文が届いた。米を用意した事に対して丁重に礼が記されていた。そして決して摂津に踏み込まぬ事、浅井が高島郡に攻め込んだ時は必ず後詰めすると書かれていた。
「六角も大分苦しいようだな」
息子がチラッと儂を見てから水田へと視線を向けた。
「苦しいのは幕府でしょう。桔梗屋に聞いたのですが公方様は相変わらず畠山、六角に三好を討てと文を送り続けているようです。今一歩で勝てる。諦めきれぬのですな」
声に冷笑が有った。息子は変わりつつあると思った。昔は懸命に当主になろうとしていた。そして幕府の横暴にも耐え続けた。だが何時頃からか心を隠すようになった。そして今では幕府を蔑むようになった。幕府を捨て織田に付いた事は幕府への遠慮をも長門守に捨てさせたのだろう。
思うところは有る。だが長門守を責める事はせぬ。幕府が頼り甲斐が有るのなら耐えよと窘める事が出来る。だが儂の目で見ても今の幕府を頼る事は出来ぬ。公方様には人の上に立つ資質は無く幕臣達が好き勝手に動くだけ……。
「桔梗屋は頭中将様の文を預かっておりました」
長門守が懐から文を取り出し儂に差し出した。心が弾んだ。受け取って読む。文には朝廷の情勢が書かれていた。それと畠山は相当に兵糧に苦しんでいる事、三好は兵が集まり決戦を考えている事。美乃が無事に出産を迎える事を楽しみにしている事……。
読み終えて文を長門守に差し出すと長門守が首を横に振った。
「自分も同じ物を受け取っております」
「そうか」
有り難いと思った。頭中将は長門守を蔑ろにする事無く扱ってくれる。
「そろそろ畿内の戦も終わりそうです」
「そうなれば一安心よ」
長門守が首を横に振った。はて……。
「桔梗屋に聞いたのですが三好は雑賀、根来を寝返らせようと考えているようです。頭中将様の策なのだとか」
「なんと!」
雑賀、根来を寝返らせる? 驚いていると長門守が笑った。
「某も驚きました。しかし雑賀、根来が畠山から離れるのなら畠山は次の戦で大敗しますな。当分再起は出来ますまい」
長門守の言う通りよ。摂津、河内、和泉はこれまで以上に安定する。三好は態勢の立て直しに専念出来るだろう。
「そうなれば三好も遠慮無く事を起こせます。輝若丸様も憐れな事です」
「そうだな、何の罪も無いのに殺される事になる。公方様も進士もさぞかし嘆こう」
長門守がフッと笑った。
「公方様と進士に嘆く資格は有りますまい。輝若丸様を死に追い込んだのは公方様と進士ではありませぬか?」
「……」
答えられなかった。確かにその通りだ。だが公方様に責めが有ると口にするとは……。
「今年はあと二回は京に行かなければなりますまい。輝若丸様御逝去のお悔やみと子が生まれたとの報告。どちらが先になるか……。どちらも嫌味を言われましょうな。気が重い事です」
長門守が軽く笑い声を上げた。何故笑えるのか……。
「……無理はするなよ。儂が行っても良いのだ」
長門守が首を横に振った。
「耐える事には慣れております。それに、最近は公方様達が何を言うのかと楽しみになりました」
口元に冷ややかな笑みが有った……。
永禄五年(1562年) 四月下旬 山城国葛野・愛宕郡 西洞院大路 飛鳥井邸 飛鳥井基綱
暗闇の中、春齢の胸に手を伸ばした。やはり小さいと思う。でも仕方ないよな。現代なら中学一年生なんだから。大きくなるのはこれからさ。大丈夫だ、養母は決して小さくない。むしろ大きいくらいだ。春齢の将来性は豊かだと信じよう。
「やっぱり小さい?」
「何の事だ?」
思わず手を引っ込めそうになって堪えた。
「寿姫と比べたら小さいかなって」
驚かすな! 養母と比較してたのは内緒だな。
「あと四、五年すれば気にする事も無くなる」
「そうかしら」
「ああ、そうだ」
まあ寿もそれなりに有るからな。気になるのかもしれない。胸の大きさってのは女性にとっては天下国家の大事よりも気になる事なのだろう。
「身体を動かすようになってから胸が少し大きくなったような気がするのよね」
「身体が柔らかくなったかな?」
「うん、少しだけど」
「身体を動かす事で身体が目覚めたのかもしれない。子供から大人へと変わりつつあるのだろう」
「うん、そうよね」
声が明るい。大きくなったかと問われると疑問なんだが春齢は希望を持っている。それが一番だよ。抱き寄せると素直に身体を寄せてきた。
「母様から文が来たの」
「養母上から?」
「ええ、寧仁の事。寺に送る事になるかもしれないって……」
ぼそぼそと春齢が言った。自分は寺に送られずに済んだ。罪悪感を感じているのかもしれない。
「やっぱり寧仁は寺に行くの?」
「帝は次の帝は誠仁様と帝は考えておられる。誠仁様はあと四、五年すれば女人を迎え子を成す事が出来よう。皇統がしっかりと繋がるのだ。だが寧仁様は未だ二歳だ。寧仁様を帝にしようと考えれば皇統は十年以上不安定な状況になってしまう。それは望ましい事ではおじゃらぬ」
春齢が”そうか、そうよね”と呟いた。
「もっとも万里小路の事は相当に御不快だ。誠仁様の傍に万里小路が居る事は危険だと帝は考えておられる」
「じゃあ、寧仁が帝になる事も有り得るの?」
「無いとは言えぬが可能性は低かろう。それに頼るのは愚かだ」
せめて年齢差が四、五歳なら話は変わるんだが……。
「可哀想。寺に送らずに済む方法って無いの?」
「無くも無い。だが覚悟は要る」
「覚悟?」
春齢が訝しげな声を出した。
「この家の養子に迎える」
「養子?」
声が一オクターブ上がった。驚いたらしい。
「本来飛鳥井家は皇子を養子に迎えられる家ではおじゃらぬ。皇女の降嫁が許される家でもおじゃらぬ。だが特別な御配慮でそなたが飛鳥井家に来た。つまり飛鳥井家は帝にとってもっとも近しい家なのだ。そなたが帝に是非とも寧仁様を頂きたい。自分にとってもっとも大事な弟なので養子に欲しいと願い出れば許されると思う」
「……私達に子が出来れば?」
「他家に養子に出す」
春齢の身体が強ばるのが分かった。
「それが覚悟?」
「そうだ。他家では寧仁様を養子には迎え入れられぬからな。それだけの財力が有るのは飛鳥井家だけだ。家格は低いが血の近さでそれを補えよう。当家になら寧仁様を迎え入れる事が出来る」
寧仁様の存在が誠仁様の立場を不安定にしているのは事実だ。寧仁様が飛鳥井家に養子に行けば誠仁様の立場は安定する。つまり万里小路達に遠慮は要らなくなるのだ。容赦なく潰せる事になる。
「でも、兄様はそれで良いの。自分の子に跡を継がせたくないの?」
「麿にも利は有る」
「有るの?」
あ、信じていないな。
「麿は大勢の公家達を失脚させた。帝の御信任も得ている。それに飛鳥井家は裕福でもおじゃるからな。麿に反発する公家達は少なくない。麿の子の代になれば麿への反感が子に向かうかもしれぬ。だが寧仁様が養子になればそれは無くなる。麿が誠仁様を守るために養子に迎えたと皆が理解する筈だ」
二代にわたって皇族が絡んでいるんだ。飛鳥井家は安泰だ。
「兄様、そんな事を考えているんだ。私何にも考えてなかった」
権勢を振るった家、突然成り上がった家ってのは危ないんだよ。
「他にも幾つか考えている事がある。だから寧仁様の事は心配しなくて良い。帝には成れぬが寺には行かずに済む筈だ。養母上にはそう返事を書いてくれ。養子の事は書くなよ。母上を苦しめるだけだからな」
「うん、分かった。兄様からは言わないの」
「宮中で口に出来る事ではおじゃらぬ」
春齢がまた”分かった”と返事をした。俺の養子にするのが一番問題が無い。だがそんな事を言えば養母は俺に済まないと言って泣くだろう。俺はあの人の泣き顔は見たくないんだよ。
信長に新しく宮家の創設を頼むのも手の一つだが未だ口に出すのは早い。後は領地を増やす事だな。そして寧仁様に献上する。二千石程になれば臣籍に降下するというのも有りだろう。なんとかなるさ。