軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

苦労と後悔

永禄五年(1562年) 四月中旬 山城国葛野・愛宕郡 西洞院大路 飛鳥井邸 飛鳥井春齢

兄様に呼ばれた。部屋に行くと九兵衛と小雪、それに佐田五郎の三人が既に居た。さっきまでお客様が来ていたんだけど……。

「待たせたかしら?」

「いや、そんな事はおじゃらぬ」

私が兄様の正面に、私の両脇に九兵衛と小雪、九兵衛の脇に五郎が座る形になった。

「堺の天王寺屋、納屋と会った」

うん、二人とも堺の会合衆よね。茶人としても有名。

「随分と危惧しているようでおじゃるの」

「戦でございますか?」

五郎が問うと兄様が頷いた。

「筑前守殿は若い。会合衆は力量を不安視しているのでおじゃろう。その分だけ豊前守殿の死は痛いと見ている。まあ豊前守殿は四十になる前に死んだ。働き盛りでおじゃろう。その死を悼むのも無理はおじゃらぬ。讃岐守殿も居らぬという事も痛い」

そうよね。ちょっと若過ぎるわ。皆も頷いている。五郎、顔色が良くない。心配なんだと思った。

「兄様はどう思うの?」

私が問うと兄様が”ふふふ”と笑った。

「麿は心配していない。むしろ豊前守殿が死んだ事で三好勢の総大将は筑前守殿一人と決まった。戦の指揮に紛れが無くなったのだ。これは大きい。それに筑前守殿には松永弾正殿、内藤備前守殿が付いている。兵力は倍、兵糧も十分に有る。心配はおじゃらぬ」

そうなんだ。そういう見方も有るんだ。皆が感心したように頷いている。天王寺屋、納屋も驚いただろうな。

「銭を稼ぎたい、協力して欲しいと頼んだ」

え? 銭? 皆で顔を見合わせた。兄様は銭を持っているわよね。飛鳥井家は裕福だって宮中でも有名だけど……。

「不思議でおじゃるかな? 確かに葦の運上はおじゃる。だがあれは三好と足利の合意が有って出来た物だ。三好と足利の対立はこれから激しさを増すだろう。何時までも運上が入ると思うのは危険だ」

九兵衛、小雪、五郎が頷いている。そういう事なんだと思った。

「つまり銭を稼ぎたいというのは運上の代わりという事でございますか?」

小雪が問うと兄様が”そうだ”と頷いた。

「運上の銭が無ければ朝廷は困窮する事でおじゃろう。皆が銭の有り難さを知った。その銭を失う。皆が嘆く、苦しむ筈だ」

一番辛いのは父様だ。そして母様。兄様は父様と母様のために……。

「桔梗屋には頼まないの?」

「葉月にも頼んでいる。葉月は東海から関東、北陸で稼ぐ事になるだろう。天王寺屋、納屋は西、或いは朝鮮、明、南蛮を相手に稼ぐ事になる。手を広げないと必要な額の銭が手に入らぬ」

「……」

「それぞれに五百貫預ける事にした。しばらくは商いで得た利益も預ける事になろう。元手を大きくしなければ利益も大きくならぬ」

皆が息を吐いている。

「それぞれに五百貫となれば千五百貫になります。いきなり千五百貫が無くなれば当家の余裕は無くなりますが?」

小雪が遠慮がちに訊ねてきた。

「秋になれば年貢が入る。運上もな。それまでの辛抱だ」

「他の公家は頼れないの? 銭を出して貰うとか?」

問い掛けると兄様が首を横に振った。

「無理でおじゃろうな。公家は何処の家も貧しい。頼る事は出来ぬ。銭で稼ぐだけの元手を出せるのは運上が入る麿だけだ。麿がやるしか無い」

「……」

「朝廷のためだけではおじゃらぬぞ。麿も銭が欲しい。貧乏は嫌いだし妻達に惨めな思いはさせられぬからな。それに寧仁様を支えなければならぬ。銭はいくら有っても足りるという事はおじゃらぬ」

そうなんだと思った。私や寿姫、寧仁の事も考えているんだと思った。

「どのくらいの銭を稼ごうとお考えでございますか?」

九兵衛が問うと兄様が息を吐いた。

「最低でも年間で三千貫は稼ぎたい。朝廷に二千貫を献上し麿が一千貫だ。まあ何年かかるか……。利益の内四割を天王寺屋、納屋、葉月が取る。麿の取り分は残りの六割だ。二、三年、いや四、五年後には最低でも一千貫は献上したい……」

今度は皆が息を吐いた。私も息を吐いていた。葦の運上って大きかったんだ。でも六割?

「四割というのは随分と多いと思いますが?」

小雪が問うと九兵衛、五郎が頷いた。そうよね、多いわよね。兄様が息を吐いた。

「分け前が少なくてはやる気が出まい。それでは意味がおじゃらぬ」

そうか、そうよね。報酬が少なくては誰だってやる気が出ないわよね。兄様、苦労している……。

「会合衆に頼むのは正直に言えば不安がある。彼らは三好と関係が深い。三好家には麿が会合衆に近付くのを喜ばぬ者もおじゃろう。しかしもう他に手が無い。……五郎」

兄様が五郎を呼んだ。五郎が”はっ”と畏まった。

「この事、主膳に伝えて欲しい。麿が銭を稼ぐのは麿個人のために非ず、朝廷のためだとな。そして主膳に上の者にそう伝えてくれと」

「必ずそのように伝えまする」

五郎が頭を下げた。

「兄様、私を妻に迎えて後悔していない?」

「なんだ、いきなり」

兄様が訝しんでいる。

「以前、兄様に自分の妻になっても幸せになれるとは限らないって言われたわ」

「そうだな、そんな事を言ったな」

「兄様は幸せ? 私を妻に迎えた事を後悔していない? 私を妻に迎えなければ出世だってもっとゆっくりだったと思うの。皆に妬まれずに済んだわ。命を狙われる事も無かった。苦労しているんでしょう?」

兄様が顔を綻ばせた。

「苦労はしているな。否定はせぬ。だが後悔はしていない」

「そう? 私を妻に迎えなければもっと楽が出来たんじゃないかしら」

兄様が息を吐いた。

「そうだな、楽は出来たかもしれぬ。だがそなたを助けられなかった事を後悔しただろう。苦労するか、後悔するか。苦労はいつか報われる時が来るかもしれぬ。しかし後悔が消える事は無かろう。麿は一生消えぬ後悔よりもいつか報われると信じて苦労を選んだ。その事が間違っているとは思わぬ」

兄様……。鼻の奥にツンと痛みが走った。兄様に出会えた私は本当に幸運だったのだと思った。

「有り難う」

兄様が首を横に振った。

「礼を言われるような事ではおじゃらぬ。それより春齢、良く聞いて欲しい。麿には敵が多い。いずれ京を離れる時が来るやもしれぬ」

「うん、分かっている」

尾張に行くのだと思った。余り嬉しくない。でも我慢しなくては……。兄様の重荷になりたくない……。

「その時はそなたがこの邸の主だ。そなたがこの邸の主として様々な決断をし銭を朝廷に献上する事になる」

「私が?」

思わず声が上擦ってしまった。

「そうだ」

「でも私、何も分からないけど……」

声が小さくなってしまった。情けないな、私。重荷になりたくないのに兄様が居ないと何も出来ない。

「これから覚えれば良い。麿も教えるが邸の中の事は小雪に訊ねよ。外の事は九兵衛に訊けば良い。銭の事は葉月に頼んでおく。葉月から学ぶのだ」

「うん、分かった。頑張るわ」

兄様が頷いた。葉月の大きな胸を見るのは癪だけど少しでも兄様の力になりたい。兄様に後悔させたくないの。苦労を選んで良かったって思って貰いたい。だから頑張る!

永禄五年(1562年) 四月中旬 山城国葛野・愛宕郡 西洞院大路 飛鳥井邸 堀川国重

「お久しゅうございまする」

挨拶をすると頭中将様が柔らかく笑みを浮かべた。

「真、久しいな。良いのかな、こちらに来て」

声にはこちらを心配する響きがある。すっかり身内の扱いだな。その事が不思議と嬉しかった。困ったものだ。いや、目の前のお方には随分と助けて貰っている。将来は分からぬが今は頼りになる味方だ。困る事は無い。

「四国から兵が集まり畠山勢を圧倒しております。それに畠山勢は兵糧不足でとても戦える状態にはありませぬ」

「逃げれば良い」

「逃げるにも米は要ります。残念ですが紀伊に戻るだけの米が有りませぬ」

頭中将様が扇子で口元を隠しながら”ほほほほ”と笑った。畠山勢の兵糧不足は深刻だ。見境無しに米を奪っている。

「兵は逃げぬのかな?」

「紀伊から米が来ると宥めているようです。今少し待てと」

また頭中将様が”ほほほほ”と笑った。

「本当に米が来れば良いが」

「紀州では米を集めるのに苦労しております」

頭中将様が頷いた。戦は米も銭も大量に消費する。畠山はこれまで紀州から米と銭を取り寄せていた。だがそれも限界に近付きつつある。

「ではそろそろ決戦でおじゃるな」

「此度は負けられませぬ。念入りに準備をしております。頭中将様、何かお気付きの事はございませぬか? お考えを伺いたいと思いまする」

頭中将様が苦笑を浮かべた。

「弾正殿に言われたのかな?」

「それもございますが筑前守様が是非にと」

頭中将様が”ふむ”と頷いた。

「雑賀、根来に調略を掛けてはどうでおじゃろう?」

「雑賀、根来に? しかしそれは」

頭中将様が”ふふふ”と含み笑いを漏らした。

「前の戦では雑賀、根来が活躍した。その事で雑賀、根来を忌諱する気持ちが有る事は分かる。しかし雑賀、根来が居なければ相当楽になる。違うかな?」

「その通りですがこちらに寝返りましょうか?」

頭中将様がまた”ふふふ”と含み笑いを漏らした。

「立ち去れと言うのよ。このままでは餓鬼道に堕ちるぞと脅してな」

立ち去れか……。寝返るよりも楽だとは思うが……。

「しかし立ち去れと言っても米が……」

「堺へ行かせれば良い。そこで米を与える。三好になら堺を動かす事が出来よう。雑賀、根来は堺で米を受け取り紀州へ戻る事になる」

なるほどと思った。出来なくは無い。問題は雑賀、根来だが……。

「乗りましょうか?」

問い掛けると頭中将様が”分からぬ”と首を横に振った。

「畠山が近衛邸を襲った事、聞いておじゃろう」

「はい」

「麿は甲賀からの報せで知った。その甲賀は畠山内部からの通報で知った」

「何と!」

ガチャンと音がした。後ろの隠し部屋だ。

「何者だ?」

「……長助にございます。面目ございませぬ」

情けなさそうな声に舌打ちが出たが頭中将様が”ははははは”と笑った。

「良い気分転換になったぞ、長助。気にせず励めよ」

「……畏れ入りまする」

長助の奴、やはり忍びには向かぬな。

「さて話を戻そう。その内部から情報を流した者でおじゃるが誰だと思う?」

ふむ、誰か……。

「話の流れからすると雑賀、根来と頭中将様はお考えでしょうか?」

頭中将様が頷いた。

「甲賀は素性を明かさぬ。だがこの手の仕事は武士よりも雑賀、根来の方が得手でおじゃろう。畠山尾張守が雑賀、根来に話さなかったと思うか?」

なるほど、確かにそうだ。

「いや、思いませぬ。では雑賀、根来は尾張守様の命を断ったという事になります」

頭中将様が”そうでおじゃるの”と頷いた。

「兵糧不足で苦しい時だ。尾張守に強い不満がおじゃろう。公家など襲っている場合かと反発してもおかしくはおじゃらぬ。或いは武士達が無理矢理仕事を奪ったか。公家を襲うなど容易いとな。どちらにしても雑賀、根来は尾張守に不満を持った筈だ」

「確かに」

だから情報を甲賀に流したか……。

「全て麿の推測に過ぎぬ。しかし当たっているなら尾張守と雑賀、根来の間には隙間が有る事になる。立ち退く可能性はおじゃろう」

「分かりました。上に報せ雑賀、根来に調略を掛けまする」

上手くいけば畠山をより弱体化させる事が出来よう。その分だけ損害を大きく与える事が出来る。やはりここに来て良かった。頼りになるお方よ。

「ところで幕府から若君誕生の報せが朝廷に届いたと聞きましたが?」

「うむ、摂津中務大輔が来た。若君の名は輝若丸と名付けたそうだ。目出度い限りでおじゃるの」

「近衛家に報せは?」

頭中将様が目で笑った。

「おじゃらぬ。公方も幕臣達も近衛家に配慮は必要ないと考えているのでおじゃろう。朝廷からは若君誕生の祝いとして太刀を贈る事になった。しかし誰も使者に成りたがらぬ。困った事よ」

太閤殿下を憚っているのだと思った。或いは憚っているのは目の前のお方か……。

「どなた様が使者に?」

「広橋内府の名が上がっておじゃる。内府は武家伝奏も務めたから適任でおじゃろう。多少グズって嫌々引き受けるという形を作ると思う」

顔が綻ぶのを懸命に抑えた。

「随分と嫌われたものでございますな」

頭中将様の顔か笑みが消えた。ら

「朝廷で親幕府の言動をするという事は二条様、万里小路様に与するという事に等しい。公家達にとっては厳に慎まねばならぬ事だ」

帝の怒りを買うという事だな。そして目の前のお方の不快も買う事になる。公家達が逃げるのも道理か。となると報告に来た摂津中務大輔様も居心地が悪かっただろうな。

永禄五年(1562年) 四月中旬 山城国葛野・愛宕郡 西洞院大路 飛鳥井邸 倉石長助

疲れた。部屋に戻ると萩原次郎、三郎の兄弟、村山仙三、倉、弓が居た。なんで倉、弓が……。溜息が出そうになった。

「どうだった、修行部屋は」

「聞くな、次郎」

「しかしな、棟梁と頭中将様の会談だ。気になるではないか。なあ?」

次郎が周囲に同意を求めると皆が頷いた。それで集まったのか。今度は溜息が出た。

「しくじった。音を立てたよ」

皆の目が点になった。

「大丈夫だったのか?」

「大丈夫だと思うか?」

問い返すと仙三が首を横に振った。

「誰だと棟梁に問われて長助ですと名乗ったよ。頭中将様の笑い声が聞こえて棟梁の舌打ちも聞こえた。頭中将様に良い気分転換になった、気にせず励めと言われたよ」

助けて貰ったんだろうが叱責された方がましだったな。

「それで?」

弓が訊ねてきた。

「九兵衛殿と五郎に報告した。九兵衛殿に此処で百姓になってはどうかと進められたよ。皮肉じゃ無かったな。本気だと思う。五郎は無言だった。反対しないんだからそれも良いと思ったのかもしれない」

皆が息を吐いた。

「忍び以外に取り柄が無いならともかくあんたには百姓という取り柄が有るものね」

「うん、怪我をする前に忍びを辞めるのも有りだと思う。棟梁だって忍びには向いていないと思ってるんじゃ無い。許してくれるんじゃないかしら」

倉と弓の会話に皆が頷いた。

「あのなあ、俺だって傷付くんだぞ」

でもやっぱり忍びは向いていないよな。ここで百姓になる方が良いかもしれない。この前、信が種蒔きを手伝ってくれた。信も忍びより百姓の方が楽しいと言っていた。俺も楽しかった。信と一緒に百姓をやれれば良いな。信が俺の女房になってくれれば……。

「どうするの?」

ああ、倉か。どうするの? どう答えれば良いんだろう? 信と夫婦になって一緒に百姓をやりたいと言ったら……。溜息が出た。