軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

妄執

永禄五年(1562年)四月中旬 山城国葛野・愛宕郡 平安京内裏 目々典侍

頭中将が私の部屋に来たのは一刻ほど過ぎてからだった。いつもは笑顔で来るが今日の頭中将には笑顔が無かった。

「帝のお傍に居なくて良いのですか?」

「帝から養母上の所に行くようにと命じられました。全てを伝えるようにと」

帝が気を遣ってくれたのだと思った。

「帝から全てを聞いています。ご苦労でしたね」

労うと”申し訳おじゃりませぬ”と頭中将が頭を下げた。

「また養母上に後から伝える事になります」

「良いのです。そなたの立場では言えなかったでしょう。それで、どうでしたか?」

問い掛けると頭中将が首を横に振った。

「新大典侍殿は誠仁様がこのまま何事も無く帝になるとは思えぬと申しておじゃります。つまり自分達が大人しくしてもしなくても結果は変わらない。だから誠仁様のために寧仁様のお命を奪おうとしたと」

溜息が出た。

「次の帝は誠仁様。飛鳥井がそれを変えようとしたと。自分はそれを防ごうとしただけ、非は飛鳥井に有ると」

「権大納言様もそのように?」

今度は頭中将が息を吐いた。

「寧仁様を暗殺する事には反対したそうです。ですが権大納言様もこのまま誠仁様が何事も無く帝になるとは思えないと……」

頭中将はやるせなさそうな顔をしている。この子は一度たりとも寧仁様を帝にと口にした事は無い。非難されるのは不本意だろう。

「誠仁様には有力な後見がおじゃりませぬ。三位宰相殿は未だ年若く十分に誠仁様を支える事は難しいでしょう。しかし寧仁様には飛鳥井、近衛が付いておじゃります。時が経てば経つほど寧仁様のお立場は強くなる。そうなれば宮中において誠仁様よりも寧仁様をという声が上がるようになる。帝はそれを無視出来ない。そう考えているようです」

「そなたはどう考えているのです?」

頭中将が息を吐いた。

「誠仁様は今年十一歳、寧仁様は未だ二歳でおじゃります。寧仁様が成人されるまで十年以上かかる。それに対して誠仁様は三、四年もすれば傍に女房を迎え入れる事が出来ましょう。子も生まれると思います。皇統に不安がある現状で誠仁様を差し置いて寧仁様をというのは無理がおじゃりましょう」

「私もそう思います。権大納言様も新大典侍殿もそれが分からぬのでしょうか?」

頭中将が顔を歪めた。

「その事を話したのでおじゃりますが二人とも信じられぬようです。万里小路は帝と密接に繋がる事で勢威を強めました。飛鳥井も必ずそれを望む筈だと。現に麿は春齢を妻に迎える事で帝の御信任を得ていると。疑心暗鬼になっているようで……」

頭中将が首を横に振った。溜息が出た。この子が春齢を妻に迎えたのは出世のためではなかった。春齢のため、私のためだった。それなのに……。

「嫌な思いをしましたね。出世のためではないのに……」

頭中将が困ったような顔をした。

「新大典侍殿が寧仁様を出家させるなら信じると言いました」

「そんな!」

「権大納言様も寧仁様こそが宮中を混乱させる原因だと」

「寧仁様は未だ二歳ですよ。赤子を寺に入れろと?」

身体が震えた。怒り? 悲しみ? いつかは寺に入れる事になると覚悟をした。それなのに今入れろと? 一体何処まで浅ましいのか! 騒乱を起こしたのはそちらではないか! 処罰を受けたのもそれ故の事。本来なら大人しく謹慎するのが道理。それなのに……、誠仁様のためなら他は全て踏み躙っても構わないというのか!

「養母上のお怒りはごもっともにおじゃります。麿も余りに酷いと思いました。しかし新大典侍殿も権大納言様も本気でおじゃります。お二人はここ三年の内に誠仁様が寺に入れられると危惧しているようで……」

「三年? それは……」

頭中将が”はい”と頷いた。

「誠仁様が傍に女房を入れる前に出家させるという意味におじゃります」

溜息が出た。嫌がらせでは無い。本気なのだと思った。あの二人は寧仁様を今直ぐ出家させたいと考えている。

「あの二人に寧仁様を出家させれば死ぬまで勅勘を受け入れるのかと問いました。このまま朽ち果てるのかと」

まじまじと頭中将を見た。平静な表情をしている。

「なんと答えたのです?」

頭中将の口元に笑みが生まれた。

「答えはおじゃりませんでした。あの二人の望みは誠仁様が帝になる事。そしてその傍で万里小路が権勢を振るう事なのでおじゃりましょう」

笑みは嘲笑だと思った。あの二人の虫の良さを嗤ったのだろう。

「そこまで確認してから帝のお言葉を伝えました。これ以上問題を起こすようなら全てを公表し誠仁様を出家させると。これまで二人を咎めなかったのは誠仁様のお立場を思っての事、万里小路を慮っての事では無い。これ以上の我が儘は許さぬと」

「納得したのですか?」

頭中将が首を横に振った。

「飛鳥井が陰謀を巡らして皇位を奪おうとしていると非難しましたが相手にせず邸を去りました」

「……」

「二条様も似たようなものです。なんとか宥免を勝ち取り復権したいと考えておじゃります。ああなると欲ではなく業だと思いました」

声が沈んでいる。人間の持つおぞましさに触れて嫌気がさしたのだろうか……。

「嫌な思いをしましたね」

頭中将が首を横に振った。

「帝には全てをお伝えしました。養母上、油断はなりませぬぞ。相手は諦めておじゃりませぬ。そして自分達が復権するには寧仁様が邪魔だと見ておじゃります」

「ええ、そうですね」

寧仁様に視線を向けた。この子を守らなければ……。

永禄五年(1562年) 四月中旬 摂津国川辺郡 大物村 松永久秀

「済まぬな、如何に負け戦とはいえ四国にまで逃げるとは……。お主達にも随分と迷惑を掛けた。面目無い事だ」

三好日向守殿が面目無さそうに坊主頭を下げた。髪を剃ったのだと思った。

「已むを得ませぬ。備前守様が討ち死にするほどの負け戦です。皆、逃げるので手一杯でしょう。良くご無事でしたな」

「情けない話だが無我夢中で逃げたわ。負け戦というのは人を際限なく臆病にするの」

日向守殿の言葉にはずしりとした重みが有った。

「日向守殿も頭を剃られましたか」

私の言葉に日向守殿が頭を撫でた。

「うむ、武士としてはもう人前に立てぬわ。入道名は宗功と付けた」

日向守殿だけでは無い。篠原右京進、篠原弾正忠、赤沢信濃守、海部左近将監達も皆頭を剃った。あの負け戦が三好家中に与えた傷は大きい。

「ならば絶対に勝たねばなりませぬな。こちらの状況はご存じですか?」

訊ねると日向守殿が”うむ”と頷いた。

「大凡の事は堀川党から報せを受けている。六角は京に留まったまま動かぬ。畠山は摂津に踏み込んだが兵糧に苦しんでいるとな」

「飯盛山城を囲んではおりますが兵糧に不安が有るせいで積極的に戦う事は出来ぬようです」

日向守殿が頷いた。

「六角は大丈夫か? 連中が摂津に入れば厄介だが……」

日向守殿が不安そうな表情を見せた。

「六角も兵糧で苦しんでいます。朽木から米を買うようですな。万一浅井が朽木を攻める時は必ず後詰めするそうです。摂津には踏み込まない、京に留まるから約束を違える事は無い。だから米を売ってくれと朽木に言っています」

日向守殿が”なんと”と呟いた。

「しかし米が有るのか、朽木に」

「朽木は桔梗屋から米を買うそうです」

”桔梗屋?”と日向守殿が声を上げた。

「桔梗屋というのはあの桔梗屋か?」

「ええ、あの桔梗屋です。我らも買っておりますよ。少々割高でしたがお陰で兵糧に苦しむ事はありませぬ」

日向守殿が”はーっ”と息を吐いた。

「桔梗屋に兵糧を買わせたのは頭中将様の御指図か」

「ええ、そのようです。その米を我らに、朽木に売っています。六角は桔梗屋に朽木に米を売ってくれと頼んだそうですよ。朽木から米を買うが摂津に攻め込まないと約束するから三好は煩い事は言わないだろうと」

日向守殿が息を吐いた。思わず笑ってしまった。六角も妙な事を考えるものだ。

「酷い話だな。いつの間にか六角はこちらに付いているではないか。兵糧で苦しんでいるのは畠山だけか」

「まあそうですね。頭中将様の下には堀川党だけではなく甲賀も出入りしているそうです。もう敵ではありませんね」

「はあ」

日向守殿が呆れたような声を出した。可笑しくて笑ってしまった。六角は敵ではないが味方でもないという不思議な立場になってしまった。兵糧に苦しみながら飯盛山城を囲む畠山が知ったら怒り狂うだろう。

「公方様からは摂津に攻め込めと使者が来ているのだろう?」

「ええ、ですが六角は米が無ければ戦えないと断っています」

日向守殿がまた息を吐いた。

「公方様はあと一歩と思っているのだろうがなんと言って良いのか分からんな」

「畠山が負ければ六角は近江に引き上げるでしょう。我々はその後に入京する事になります。公方様と共に」

日向守殿の目が鋭さを増した。

「若君と一緒に京にご帰還だ。前回は京を追われて五年もかかった事を考えれば目出度い限りだな」

「ええ、目出度い限りです」

公方様にとっては不本意な帰還だろう。三好に損害を与えたと自分を納得させるに違いない。だがこれからはそんな贅沢は許さぬ。公方様にも大事な者を失う痛みを味わって貰おう。

永禄五年(1562年) 四月中旬 山城国葛野・愛宕郡 西洞院大路 飛鳥井邸 飛鳥井基綱

「良く来てくれた。礼を言う。この通りだ」

頭を下げると前に座った二人の男が”滅相も無い”と恐縮する素振りを見せた。

「頭中将様にお声を掛けて頂けた事、心から喜んでおります。そうでしょう? 天王寺屋さん」

「ええ、納屋さんの言う通りです。他の会合衆に羨ましがられました」

二人が笑い声を上げた。

「そう言って貰えると有り難い。本来なら麿の方から堺へ出向かなくてはならんのだが中々忙しくて暇が無い。それに畿内は最近物騒でおじゃるからな」

俺の言葉に二人が頷いた。非番の時くらいしか人を呼ぶ事は出来ない。天王寺屋と呼ばれたのは津田宗及、納屋と呼ばれたのは今井宗久。二人とも堺の会合衆だ。年齢は四十代。働き盛りだろう。

「堺も落ち着きませぬ」

「三好様と畠山様の戦、どうなるのか……」

二人が俺を見ている。

「直に終わる。三好側は四国に逃げた兵が戻って畠山勢の倍になった。それに兵糧でも不安はおじゃらぬ」

「豊前守様が討ち死にされましたが」

天王寺屋が問い掛けてきた。探るような目で俺を見ている。快くは無いが理解は出来る。先ずは人物調査だよな。

「それも悪くおじゃらぬ。指揮が一本化した。筑前守殿も存分に腕が振るえよう」

二人が妙な顔をした。

「まだお若うございますが?」

「心配のようでおじゃるの」

俺の言葉に納屋が”あ、いえ”と苦笑いを浮かべた。

「力量は十分に有る。それに松永弾正殿、内藤備前守殿が傍に付いている。問題はおじゃらぬ」

四国から戻った連中も煩い事は言わんさ。連中は豊前守が討ち死にする負け戦で四国まで逃げたんだ。そのせいで飯盛山城を畠山に囲まれる事になった。筑前守に注文を付けられる立場じゃ無い。次の戦いでは死に物狂いで戦って武功を上げようとするだろう。そうでなければ三好家中で顔を上げて歩く事は出来ない。その事を言うと二人が頷いた。

「なるほど、そういう見方がございますか」

「我らは豊前守様の討ち死には三好家にとって大きな痛手だと見ておりましたが」

二人が唸っている。

「痛手ではおじゃろう、修理大夫殿も体調が優れぬしな。三好家中には不安はおじゃろう。しかし此処で筑前守殿が力量を発揮すれば三好家には大きな柱が出来る。皆が安心する筈だ」

二人が”確かに”、”その通りですな”と頷いた。

「筑前守殿は運が良い」

二人が顔を見合わせた。世代交代ってのは難しいんだ。特に有能な親族が居る時はね。親族への配慮が必要になる。面倒なんだよ。内部調整で時間をロスしてしまう。しかし三好家は讃岐守、豊前守が死んだ。親族の力は弱まったんだ。そこで勝てば当然だが筑前守の存在感は重みを増す。筑前守はやりやすくなる。そこが大事だ。その事を言うと二人が”なるほど”、”確かに”とまた頷いた。

「頭中将様が筑前守様に軍略を授けたと聞いておりますが?」

天王寺屋が俺を見ている。

「軍略を授けたなどと大袈裟でおじゃるな。気付いた事を一言二言教えただけだ。左程に意味は無かろう」

二人が顔を見合わせている。どうも信用していないな。

「しかし桔梗屋さんに米を買い占めさせたのは頭中将様でしょう。畠山様はきりきり舞いしております」

今度は納屋が俺を見ている。

「六角は米が無い事を理由に京から動かぬ。畠山も兵を退けば良いのだが……」

十分に勝ち戦なんだから退けるんだよ。義輝なんて無視すれば良いんだ。それが出来ない。武略が拙いって言われても仕方ないだろう。おまけにこっちに兵を送るし……。なんかちぐはぐな男だな。負けたがっているように見えるぞ。

「そうなれば公方様は落胆されましょうな。若君が生まれたと大層お喜びだと聞きましたが……」

天王寺屋が俺を見た。近衛にとっては望ましくない事態だ。俺がどう見ているか気になるのだろう。

「嬉しいのは分からぬでもおじゃらぬ。だが公方が嗾けた戦で大勢の人間が死んだ。死んだ者達の縁者は公方と生まれた子をどう思う事でおじゃろうな」

俺の答えに天王寺屋、納屋が顔を見合わせた。俺が二人の行く末は明るくないと見ている。そう思っただろう。

御爺から文が来た。長門の叔父御が若君誕生を祝いに行った。その事は桔梗の一党から聞いてたんだがどんな扱いを受けたかは分からなかった。御爺の文によれば相当に酷い扱いを受けたらしい。馬鹿な連中だ。いざという時、何処に逃げるのか分からないらしい。御爺も叔父御も公方と幕臣達を受け入れるのはもう嫌だと言っている。この戦が終われば畠山は紀州に逼塞するだろう。そして来年になれば観音寺騒動で六角が没落する。そうなった時、誰を頼るのかな? もう朽木は頼れないんだが……。うんざりだな、阿呆共の事を考えるのは止めよう。

「ふむ、そろそろ本題に入ろう」

俺の言葉に二人が”はい”、”左様でございますな”と言った。

「銭を稼ぎたいと思っている」

二人が顔を見合わせた。

「既に葦の運上で相当の利が出ていると思いますが?」

納屋が訝しげに訊ねてきた。

「足りぬ。朝廷の困窮を救うにはもっと銭が要る。それに運上もこの先どうなるか……」

自分で言っていてなんだが溜息が出た。

「知っての通り、葦の運上は足利、三好、朝廷、麿の四者で決めた。しかし足利と三好は犬猿の仲だ。今回の騒乱は直に終わるが両者の対立はこれから激化するだけでおじゃろう。それに三好家には麿を危険視する御仁も少なくない。いつまで守られるか……。極めて不安定だ」

二人が頷いた。この二人から見ても不安定に映るのだろう。

「朝廷は困窮している。武力の無い朝廷は御料地を奪われても何も出来ぬ。今は運上の銭がおじゃるがそれでも懐は厳しい。運上が無くなれば朝廷の困窮は益々厳しくなる。困窮から衰亡へとなるだろう。それを防ぐには麿が銭を稼ぐしかおじゃらぬ。銭を稼ぎ麿が朝廷に献金するしかおじゃらぬのだ」

また溜息が出た。金が無いってほんと、苦しいわ。

「ご自身のためでは無く朝廷のためと仰られますか?」

天王寺屋が驚いている。”そうだ”と答えた。

「勿論、麿も銭は欲しい。偉いところから嫁を二人も貰ってしまったからの。二人にひもじい思いをさせる事は出来ぬ。それに寧仁様をお支えしなければ養母にも嘆かれよう。少しは頼りになるところを見せねば……」

俺の答えに二人が大きく頷いた。俺の苦労、分かってくれたかな? これ、冗談じゃ無いんだ。各上の家から女房を貰うって大変なんだよ。おまけに皇子も居るんだ。

「具体的には何を?」

納屋が問い掛けてきた。

「二人に五百貫ずつ銭を渡す。それを使って稼いで欲しい。利益が出れば六四で分ける。そちらが四、こちらが六だ」

二人が顔を見合わせた。

「よろしいのでございますか? 半分近くを頂く事になりますが……」

納屋が問い掛けてきた。

「構わぬ。商いには手間が掛かろう。手間賃だ」

二人が笑い出した。

「天王寺屋さん。随分と豪儀な手間賃だとは思いませんか?」

「全くです。聞いたことが有りません」

「頭中将様は商いの道でも大成しましたな」

「はい、手強い競争相手になったでしょう」

ホッとした。どうやら認めてくれたらしい。大盤振る舞いで良いんだよ。ケチなやつには人は付いていかない。

「ところで桔梗屋さんにはこの話は?」

天王寺屋が訊ねてきた。

「知っている。桔梗屋にも稼いで欲しいと頼んでいる」

二人が心得顔で頷いた。

「左様でございますか。そういえば桔梗屋さんは東海地方で手広く商いをしていると聞いた事が有ります」

「織田様とも昵懇だとか」

二人が俺を見た。

「織田殿もこれからでおじゃろう。美濃攻めで攻勢を取っているようだが稲葉山城は堅城。簡単には落とせぬ。それに関東甲信越でも争いは絶えぬ」

東海から関東は戦乱真っ只中だ。米でも武器でも何でも売れる。それに葉月は敦賀を拠点に船で交易をしているらしい。そっちでも稼げるだろう。葉月にも五百貫を渡した。水臭いって言われたけどこれは仕事だ。けじめは付けないと。その葉月からは硝石が出来たと報告が有った。胸を揺らしながら喜んでいたな。作っていると誰にも悟られるなと忠告した。硝石は重要戦略物資だ。作っていると知られると狙われかねない。しばらくは売るよりも保管しろと言っておいたが……。