軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

襲撃

永禄五年(1562年)四月中旬 山城国葛野・愛宕郡 平安京内裏 飛鳥井基綱

「養母上、入りますぞ」

声を掛けて部屋に入ると養母は寧仁様をあやしている最中だった。もう座る事が出来るようになった。首もしっかりしている。そろそろハイハイが始まるかもしれない。順調に育っているようだ。二人の傍に座ると養母が”大丈夫ですか”と声を掛けてきた。

「忙しいと聞いています。疲れているのではありませんか? 今日もなにやら騒がしいですが……」

不安そうな表情をしている。申し訳ないと思った。

「女官が一人行方不明になりました」

「まあ」

「昨日外出したのですがそのまま戻りませぬ。その事でちょっとざわついているようでおじゃりますな」

「心配ですね。世の中が落ち着きませぬ。何か事件にでも巻き込まれたのでしょうか?」

胸が痛いよ。でもね、あの女は自分でトラブルに首を突っ込んだんだ。心配する必要なんて無いんだ。そう言えたら良いんだけど……。

「その女官は登米と言って新大典侍殿と親しかった女官でおじゃります」

養母が”まあ”と声を上げた。目が点になっている。可愛いんだよな、こういう所が。歳よりもずっと若く見えるんだ。

「では例の噂と関係が有ると?」

養母が声を潜めて訊いてきた。あ、寧仁様が笑った。俺も笑うと益々嬉しそうにした。いかん、養母が不満そうだ。

「それは良く分かりませぬ」

「何故です?」

「もう一人、新大典侍と親しかった女官がおじゃります。佐奈というのですが登米と佐奈は宮中で妙な噂が流れている事に不安を感じたそうでおじゃります。二人は相談して新大典侍殿に忠告すべきだと考えた。それで昨日、登米が外出したのだとか。ところが登米は戻りませぬ。佐奈は自分達は何か陰謀のようなものに巻き込まれているのでは無いかとおびえておじゃります」

養母が深刻そうな表情になった。佐奈が怯えているのは嘘じゃ無い。登米は口封じで殺されたのだと教えたらガタガタ震えていた。自分達は信頼されていると思っていたらしい。馬鹿が、ただの消耗品だよ。

「詳しいのですね」

「佐奈から事情を聞いたのが麿なのです。勾当内侍に頼まれました。多分、噂が噂でおじゃります。麿が知りたがると思ったのでしょう」

養母が”そうですか”と頷いた。佐奈はこちらに寝返った。新大典侍からは寧仁様に毒を盛る機会が有るか探れと言われたらしい。毒は貰っていなかった。登米の部屋、佐奈の部屋、両方とも調べた。確かに毒は所持していなかった。

「念のため、登米、佐奈の部屋を捜索しました。毒はおじゃりませぬ。帝にはその事を報告致しました」

養母がホッと安堵の表情を浮かべた。

「帝はなんと?」

「下らぬ噂が流れたようだと。皆、惑わされるなとのお言葉がおじゃりました。これで宮中も落ち着きましょう」

「本当に、一安心ですね」

養母が笑顔を見せた。

帝も報告した時は笑顔だったな。でも内心では相当に万里小路に対して怒りがあっただろう。佐奈の事も厳罰にしたいと思った筈だ。それでも誠仁様を守るにはこうするしか無いと自分を納得させたんだと思う。帝からは良くやってくれたって労われたよ。飛鳥井の利より王家の事を考えてくれたって。でもね、実際寧仁様が皇位を継ぐのは難しいんだ。成人するまで十五年かかる。十五年後には誠仁様には子供もいるだろう。その子が男なら誠仁様に皇位をって意見は必ず出てくる。

佐奈には新大典侍に文を送らせた。文には登米が戻らない事、宮中で問題になり登米の部屋、自分の部屋が調べられたが毒が無かったので咎めは無かった事、帝も噂に惑わされないようにと公卿達を注意した事を書かせた。これで万里小路も一安心だろう。焦りからの暴発は防げる。それとしばらくは人目が有るから万里小路に行く事は出来ない事、文も送らないでくれとも書かせた。しばらくは宮中と万里小路を遮断出来るだろう。

万里小路の問題は片付いた。万里小路では権大納言と新大典侍が登米はどうしたと大騒ぎだろうな。少しは大人しくなってくれれば良いんだが……。次は畠山だな。今夜か、明日の夜に来る筈だ。

永禄五年(1562年) 四月中旬 山城国葛野郡 近衛前久邸 飛鳥井基綱

葉月から文が来た。甲賀から情報が入ったらしい。内容は二条、万里小路の事だ。うんざりする内容だった。あの連中は俺と太閤が畠山に殺される事を望んでいる。殺されてもあの連中の勅勘は解けないんだけどな。それを認められないのだろう。春齢、寿からも文が来ている。俺を心配して気遣う文だ。読んでいると切ないよ。二人に申し訳ないと思う。俺と結婚した事を二人とも喜んでいるけど本当に幸せなのかな。そう思ってしまうんだ。溜息が出た。

「頭中将様」

声が掛かった。廊下に智が居る。ぽっちゃりして西洞院大路の信とそっくりだ。はにかむ姿も似ている。巨乳ちゃんがはにかんでいると和むわ。うんざりや切なさが飛んでいく……。

「如何した?」

なんか声まで優しくなっちゃったよ。

「畠山勢がこちらに。半刻ほどで此処に来るとの事にございます」

現実に引き戻された。世の中甘くないわ。

「そうか、今何刻か?」

「亥の正刻かと」

二十二時か。畠山勢が来るのは二十三時になる。寝込みを襲うつもりだな。

「皆、腹拵えは済んでおじゃるな」

「はい」

「そなたも食べたか?」

「はい、たんと」

智が笑顔で答えた。うん、一杯食べたんだ。偉いぞ。

「分かった。直ぐに行く」

智が去った後、一つ息を吐いてから立ち上がった。これから戦だ。うんざりとか切ないとか和むとか阿呆な事を考えるんじゃ無い。殺らなければ殺られるんだ。攻めてくる連中を虫ケラみたいに踏み潰せ。

部屋を出て玄関に向かう。足袋のまま外に出る。外では鞍馬忍者達が俺を待っていた。篝火が皆の顔を照らす。元々この邸を守るために来た山地玄斎達九人、西洞院大路の飛鳥井邸から来た柴田左之助、巳之助の兄弟、香川助八、秋山信蔵、萩。そして一の組頭小酒井秀介と十人の部下。二の組頭正木弥八と十人の部下は邸の外に居る。味方じゃ無いが登米も居た。後ろ手に縛られ猿轡を咬まされている。これから何が起こるか分からないのだろう。不安そうだ。

「流石に少し冷えるな。大丈夫か? 手が悴んでおじゃらぬか?」

小酒井秀介が腹拵えをしたから大丈夫だと答えた。小柄な老人だが皆から敬意を払われている。忍びの技量は相当なものなのだろう。

「白玉は十分に有るな? 布は漬けたか?」

俺の問いに玄斎が”この通り、準備は整っております”と答えた。玄斎の指さす方に盆に乗った白玉と桶が有った。傍によって自分の目で確認する。大丈夫だ。

敵は表門から来るだろう。門が大きいから一気に大勢が入り易いんだ。それに相手はこの邸の間取りを知っている。玄関から入って突き当たりの廊下を真っ直ぐ進めば良い。途中、部屋が幾つかあるが夜間は使用されていない部屋だ。それを過ぎれば寝所になる。太閤殿下の寝所、俺の寝所、毬の寝所。裏門から来る可能性も有る。そちらは二の組に任せるしかない。

「来たようでございます」

杏が教えてくれた。白玉を一つ取った。

「手筈通りに頼むぞ」

杏が”はい”と笑った。頼もしいわ。少ししてざわめきが聞こえてきた。決して大きな音じゃ無いが確かに聞こえる。”ギー”という音がして門が開いた。”開いたぞ”という声が聞こえた。そうだよ、閂はかけなかったんだ。壊されると面倒だからな。

ぞろぞろと男達が入ってきた。十人、十五人、二十人。後ろにも人が居る。どうやらこっちに全員来たらしい。

「人が居るぞ!」

「こっちを待ち受けていたらしい。油断するな!」

じろじろとこちらを見ている。

「良く来たな。邸を窺う者が居ると聞いて待っていたのだ。麿が飛鳥井基綱だ」

俺が名乗ると”あれが”という声が聞こえた。おうおう、殺気だってきたな。

「我らを愚弄する者は許さん!」

「思い知らせてやる!」

「行くぞ!」

男達が刀を抜いた。こちらに来ようと走り出して直ぐに悲鳴を上げた。

「痛い!」

「何だ!」

「まきびしだ! まきびしが有る。押すな!」

混乱する声を聞きながら”やれ!”と声を掛けた。皆が白い玉を投げた、俺も投げた。二十以上の玉が男達を襲う。ぶつかると砕けて粉が舞った。煙幕でも張ったようだ。視界ゼロだな。

「何だ! 見えぬ!」

「卑怯な! 目潰しか」

その通り、米粉を固めたもので作った目潰しだ。しかし卑怯は頂けないな。足止めして目潰し、最高だろ。”布を投げろ”と言うと今度は皆が桶に入った布を投げ始めた。”バシャ”、”バシャ”と男達に布がぶつかり張り付く。

「何だ!」

「この臭い、油だ!」

「油! おい、まさか!」

悲鳴のような怯えた声が上がった。

「火を投げろ!」

俺の声に従って篝火から火の付いた薪をとって柴田左之助、巳之助の兄弟が投げた。忽ち”ギャー”という声が上がった。いや火が燃えるのが先だったかな?

「熱い! 助けてくれ!」

「来るな! 火が移る! 来るなと言うのに! あ、火が」

「痛い! 押すな! まきびしが有るんだ!」

「ギャー」

火達磨の男が苦しんでのたうち回っている。あっという間に火が燃え広がった。

「卑怯者!」

「外道め、地獄に堕ちろ!」

負け犬の遠吠えが耳に心地良いわ。

「射よ。火の回っていない所にな」

俺が命じると矢が放たれた。後方に居た男が倒れる。前の男が押されて更に前の男を押す。その男は火達磨の男にぶつかった。服に油が掛かっていたらしい。直ぐに身体に火が付いた。悲鳴を上げて暴れ出した。その男の刀に斬られて男が倒れた。他でも似たような光景が起きている。

「刀を捨てろ! 同士討ちになるぞ! 味方を殺す気か!」

大声で怒鳴った。刀を捨てる男が居た。笑った。俺は敵だよ。もうパニックになって正常な判断が出来ないらしい。完全に浮き足立っている。

「布をドンドン投げ込め、白玉も投げよ。矢も射続けよ、火も投げ込め」

俺の命令に鞍馬忍者達が”はっ!”と答えた。煙幕が上がり布が飛び火が飛んだ。男が燃え上がり悲鳴が上がる。矢が飛んで男が倒れた。うん、肉の焼ける臭いもする。阿鼻叫喚の地獄絵だ。

「駄目だ、逃げろ!」

崩れた。逃げろという声を待っていたかのように男達が逃げ出した。

「追い打ちを掛けますか?」

玄斎が俺に問い掛けた。

「無用だ。二の組に任せれば良い。それより倒れている連中だが確実にとどめをさしておけ」

玄斎が”はっ”と畏まった。登米が蒼白になっている。こいつも始末しないと。俺の仕事だな。

永禄五年(1562年)四月中旬 山城国葛野・愛宕郡 平安京内裏 目々典侍

朝早くに頭中将が訪ねてきた。

「どうしたのです。こんな早くに」

「お話ししなければならない事が……。松、梅、暫く人を近づけるな」

松と梅がそそくさと立ち上がると廊下に出た。

「何事です?」

その時になって頭中将の目が充血している事に気付いた。一体何が……。

「昨夜、近衛邸に賊が押し寄せました」

「!」

「米泥棒という事になっておじゃります」

「では?」

声が震えた。

「畠山の手勢でおじゃります。幕臣達に唆されたようです。二条様達も絡んでいるようで。太閤殿下、御台所が邪魔なのでしょう」

「なんと……、お二人は無事なのですか? 寿殿は?」

「御安心を。三人は西洞院大路の飛鳥井邸に避難しておじゃりました」

「では、知っていたのですか? 襲ってくると」

頭中将が”はい”と頷いた。

「近衛邸では麿と桔梗の一党で畠山勢を待ち受けました。畠山勢は半数以上の死者を出して逃げました」

平然としている養子に圧倒された。まさか……。

「女官が居なくなったというのもこれに絡んでいるのですか?」

頭中将が頷いた。

「帝はこの事を?」

「帝には全てをお伝えしておじゃります」

溜息が出た。帝は怒っているだろう。

「何故私には教えなかったのです」

頭中将がばつの悪そうな表情をした。

「心配すると思いましたので……。養母上には寧仁様が居られます」

また溜息が出た。

「寧仁様は私の子です。でもそなたも私の子なのですよ。母に隠し事をしてはなりませぬ」

頭中将が頭を下げた。

「有り難うおじゃります。以後は気を付けまする」

「きっとですよ」

「はい」

永禄五年(1562年) 四月中旬 山城国葛野郡 近衛前久邸 山地重長

「やはり臭いますな、杏殿」

声を掛けると杏殿が苦笑を浮かべた。

「油の臭いと肉の焼ける臭い。太閤殿下達は明後日に戻るそうですがそれまでに臭いが消えれば良いのですが……」

「丸一日有ります。なんとかなるでしょう」

杏殿が笑いながら”そうですね”と言った。

「如何思われました?」

「何をです?」

「頭中将様です」

杏殿の顔から笑みが消えた。じっと私を見る。やがて杏殿の顔に笑みが浮かんだ。

「公家ではありませんね」

「……どの辺りが?」

「自らの手を汚す事を厭いません。戦う事も厭わない。あのお方は武家でしょう。武家が公家を演じていると思います」

自然と頷いていた。頭中将様が登米を殺した事を思い出した。泣き喚いて許しを請う登米を一顧だにせず殺した。脾臓を一突き。そして捻った。登米は瞬時に身体を硬直させ地面に倒れた。あっけないほどの死だった。頭中将様は何事も無かったかのように刀を拭って鞘に収めた。

感情が見えなかった。登米を殺した時、頭中将様は何を思ったのか……。

「戦も上手いと思います。弱い者が勝つ術を心得ている。畠山勢はまきびしと目潰しで混乱し火攻めで怯えました。武者というのは斬り合いは覚悟していますから傷を負っても左程に怯えません。しかし火傷は別です。誰もが火攻めを恐れます。特に隣で悲鳴を上げながら燃えている者が居ては……」

杏殿が首を横に振った。

「ああなってはどれほど剛毅な者でも半分も力は出せませぬ。自分に火が移らぬようにと逃げるだけです。一方的に殺されました」

畠山勢は邸内に二十体を超える死体を置いて退却した。二の組が逃げる畠山勢を後ろから追い打ちして七人を殺した。逃げ帰ったのは十人程だろう。畠山尾張守も結果を知れば怯えるだろう。

「戦で勝つには相手を怯えさせれば良いのです。どれほど大軍で有ろうと怯えれば烏合の衆になります。頭中将様はそれを心得ていらっしゃる。当代随一の軍略家ですが当代屈指の戦上手だとも思います。武家なら忽ち周囲を切り獲り始めたでしょう」

自然と頷けた。

「自分もそう思います。頭中将様は強過ぎますな、少々心配です」

「そうですね、私も心配です」

杏殿と顔を見合わせて頷いた。強過ぎる者は頼られるか懼れられるかだ。三好は今は頭中将様を頼っている。しかし戦が終わった後もそれが続くかどうか……。修理大夫が病というのも気になる。厄介な事だ……。