作品タイトル不明
悲鳴
永禄五年(1562年) 四月上旬 山城国葛野郡 近衛前久邸 飛鳥井基綱
庭に女が引き据えられていた。後ろ手に縛られ口には猿轡が咬ませてある。暗闇の中、邸内の明かりが僅かに女の顔を照らす。見覚えが有る。当然だよな、この女が登米なんだから。俺は縁台に居るんだが逆光のせいで登米には誰だか分からないらしい。訝しんでいたが登米を引き据えていた林田左近に頭を押さえ付けられた。
「ご苦労でおじゃったな」
俺が労うと杏が”うふふ”と笑った。俺の両脇には杏の他に山地玄斎、五木万造、知花が居る。
「左近に誘わせました。他愛も無く付いてきたそうで」
杏の言葉に両脇から笑い声が上がった。左近も苦笑いをしている。イケメンだよな。ナンパの成功率は相当に高そうだ。羨ましい限りだよ。左近に登米の顔を上げさせた。猿轡も取らせる。怯えていると思った。俺が誰か分かったらしい。
「登米、麿の問いに正直に答えよ。万里小路の邸で何を話した?」
「……何をと、言われましても……」
おどおどと言った。俺から顔を背け時折チラッと俺を見る。不愉快な女だと思った。
「答えられぬか。そうだな、答えられぬな。寧仁様、帝を殺す相談をしたなどと」
「違います! そのような事は考えておりませぬ!」
そりゃまあ考えていましたなんて答える筈が無いよな。
「しかし深夜に養母上の部屋を探ろうとしていた。そうでおじゃろう」
「……」
黙り込むのは賢明とは言えないぞ。
「新大典侍殿から毒を貰ったか?」
「そんな物は貰っておりませぬ!」
語気が鋭い。必死だな。
「ほう、では権大納言様から貰ったか」
「違います! 権大納言様は関係ありませぬ!」
言った後で登米がハッとしたような表情を見せた。なるほど、新大典侍の独断か。誠仁様の事を思って動いたわけだ。権大納言は怒っただろうな。
「おぞましい事でおじゃるの。寧仁様だけでは無く帝のお命も奪おうとするとは」
登米が”違います!”と叫んだ。あのなあ、人の言葉を遮るんじゃ無いよ! 鬼畜の所業と言おうと思ったのに。
「帝のお命を奪おうなどと考えていません」
「語るに落ちたな。寧仁様だけを殺すつもりだったと?」
「……」
答えが無い。だがそれは答えたのと同じだぞ。
幕臣達は絡んでいないようだ。依頼が無かったとは思えない。しかし権大納言は動くのは危険だと見たのだろう。だが新大典侍が焦って単独で動いた。標的は寧仁様……。手ぬるいなあ、帝を殺せば良かったんだ。勿論、今じゃない。もっと前、勅勘を受ける前だ。簡単に近衛、飛鳥井を潰せただろう。
「驚いた事でおじゃろうな。帝のお命を奪おうとしていると噂が流れて」
「……」
「あの噂を流したのは麿だ」
登米がギョッとしたように俺を見た。
「誠仁様を帝にする事で勅勘を解こうとしている。周囲にそう思わせたのよ。あっという間に広まった」
簡単だったな。宮中なんて噂話が大好きな連中が集まっているんだから。三位宰相には事前に相談した。嫌がるかと思ったが積極的に賛成してくれた。父親と叔母にうんざりしているらしい。思いっ切り叩き潰したいと吐き捨てたんだからびっくりしたよ。
「皆、思った事でおじゃろう。権大納言様も新大典侍殿も恐ろしい人達だと」
登米が”卑怯な”と悔しそうに言った。卑怯? ”ふん”と鼻で笑い飛ばした。
「そなたが宮中を慌てて出たと聞いた時は余りに予想通りで笑いを堪えるのが一苦労でおじゃったわ。しかし、予想外の事もおじゃった。そなたが生きて万里小路の邸から出てきた事だ。麿は権大納言様はそなたを殺すと思ったのだがな」
「殺す?」
登米が訝しげな声を出した。
「分からぬか? 口封じよ」
教えると登米が”そんな”と呟いた。顔が青ざめている。意味が分かったらしい。
「分かったようでおじゃるの。そなたと佐奈、邪魔でおじゃろう。詮議など受けてペラペラ喋られては権大納言様、新大典侍殿が困るとは思わぬか? 誠仁様のためにもなるまい。そなた達二人は邪魔なのよ」
敢えて冷たく言った。登米がまた”そんな”と小さく呟いた。
「そなたが殺されていれば麿も佐奈を説得し易かったのだ。これ以上万里小路に付いていると命を失うぞとな。権大納言様も新大典侍殿も手緩いわ。ようもこれまで宮中で生き残れたものよ」
”ふふふふふ”と笑うと登米がガタガタと震えだした。
「案ずるな、未だ殺さぬ。他にも聞きたい事が有るからな、生かしておく。この女を決して逃がすな。どこぞに閉じ込めておけ」
俺の言葉に左近が”はっ”と畏まった。嫌がる登米に猿轡を咬ませ強引に引き立てて去って行く。
「如何なさいます。時を置くと殺し辛くなりますが」
玄斎が感心しないというように俺を見ている。
「畠山が攻めてくるのは何時かな?」
「甲賀から報せが有りました。京には明日入るそうです。早ければ明日、遅くとも明後日といったところでしょう。京に入れば我らの仲間が張り付きます」
明日か明後日。間に合ったな。
「その時に一緒に殺す。形としては権大納言様、新大典侍殿の依頼で登米は畠山勢の道案内をしたという事になる。太閤殿下達の顔を確認する役目もおじゃるな」
シンとした。少し間を置いて”うふふ”と杏が笑った。
「悪知恵が働きます事」
”杏殿”と玄斎が杏を窘めた。
「構わぬ。褒め言葉と受け取った」
縁台から屋内に入った。俺が座ると皆が前に座った。
「権大納言様は登米を殺すべきだったのだ。そして間髪入れずに佐奈も殺すべきだった。万里小路を守るためにはそれが最善の手でおじゃろう。殺しておけば誰にも利用されずに済む。殺さなかった以上、麿に利用されるのは当然の事よ。そして利用するには生かしておくより殺した方が都合が良い。死人は喋らぬからな。幾らでも物語を作れるわ」
悪知恵? あくどいというべきだな。”ふふふ”と苦笑いが出た。皆黙り込んでいる。ドン引きかな?
「では佐奈も始末いたしますか?」
杏が訊ねてきた。”うん”と言ったらこの場から宮中に行きそうだな。
「いや、あれは生かして使う。登米が殺されたと教えればこちらに付く筈だ。勾当内侍に預ける。生き証人だ」
「やはり悪知恵が」
杏が笑うと皆が笑った。俺も笑った。
「畠山の事だが準備は出来ているか?」
「はっ、増援の手筈もついております」
「増援?」
俺が問うと玄斎が頷いた。
「西洞院の者達ではありませぬ。棟梁が二十名程を念のためにと」
「分かった」
そうか、鞍馬忍者の増援か。負けるわけにはいかないな。
永禄五年(1562年) 四月上旬 山城国葛野・愛宕郡 西洞院大路 飛鳥井邸 小雪
春齢様が”ホウッ”と溜息を吐いた。
「如何なされました。先ほどから溜息ばかり吐いておられます」
「そう? 吐いてた?」
「はい」
春齢様が困ったように私を見た。
「兄様、大丈夫かなって思ったの」
「……ご案じなさいますな。あちらの邸には頼りになる者達が居ります。こちらからも人を出しました。滅多な事はございませぬ」
「うん、そうよね。大丈夫よね。小雪達を信頼していないわけじゃないのよ。頼りになるのは分かっているの。でもね、兄様には出来ればこっちに居て欲しい。無茶しないで欲しいって思うの」
また息を吐いた。
「その事は私達もお願いしましたが……」
頭中将様は近衛邸で敵を迎え撃つと言って受け入れなかった。
「あちらに人が居るように見せかける必要が有る、でしょう? それは分かるんだけど……」
「或いはですがあちらで戦う必要が有る。頭中将様はそうお考えなのかもしれませぬ」
春齢様が目を瞠った。
「そうなの?」
「あちらの者達は頭中将様に仕えて日が浅うございます。共に戦えば絆を強める事が出来ましょう」
「そういうのって有るの?」
「勿論にございます。共に戦う事で信頼が強まるのです」
思わず笑い声が出てしまった。このお方は宮中に居たせいだろう、何も知らない。
「この間の浪人者も?」
「はい」
「兄様も戦ったの?」
春齢様が身を乗り出してきた。目が輝いている。可笑しかった。
「頭中将様は采配を振るいました。我らはその采配に従って戦い浪人者を追い払いました。味方に死傷者は居りませぬ。夫の九兵衛が言っておりましたが赤子の手を捻るような戦振りだったそうです」
春齢様が”ふーん”と満足そうに唸った。夫の九兵衛が堀川党がどう思うかと不安になるほどの采配だった。
「自ら刀を振るった事もございますよ」
春齢様が”え、そうなの?”と声を上擦らせた。
「はい、賊が押し入って来た時ですが一人を斬り捨てました。春齢様がこの邸にお移りになる前の事ですから二年程前の事になります」
春齢様が”あ!”と声を上げた。
「例の幕臣達が関係している件ね?」
「はい」
人を斬るのは初めてだと聞いた。普通は気が高ぶるものだけど頭中将様は落ち着いていた。斬る時も、斬った後も。相当に肝が据わっている。公家らしくないお方だと思った事を覚えている。
「如何なされました?」
また春齢様が沈んでいる。頭中将様の話で少しは気分が上向きになったと思ったのだけど……。
「御台所の事を思ったの」
「……ご不快でございますか?」
春齢様は寿姫様とは打ち解けている。でも御台所は苦手にしている素振りを見せる事が有る。それでも昨日は一緒に身体を動かしていたが……
「うーん、以前はね、苦手だったの。嫌いだって答えたわね。でも今はちょっと違うの。嫌いだって思えない。可哀想だって思うの。不思議でしょう?」
”はい”と答えると春齢様が頷いた。
「以前ね、兄様に寿姫が可哀想だと言ったの。朝倉に酷い仕打ちを受けたって。離縁するために悪口を言って追い出したんだから」
「……」
「そうしたらね、兄様は寿姫は運が良いって言ったの。一つ間違えば殺されていた。それに飾りにされていたら朝倉が滅ぶ時に道連れにされたって」
「まあ」
朝倉が滅ぶ? 頭中将様は朝倉が滅ぶと見ている?
「あの時はね、こんな事は滅多に有る事じゃ無いって思ったの。でも御台所を見ると……」
春齢様が私を見て息を吐いた。
「公方は御台所を無視しているでしょう。そして幕臣達は御台所が邪魔で殺そうとしている。兄様が言った事って決して大袈裟じゃ無いんだ。特別な事じゃないんだって思ったの。どこでも有り得るんだって」
「左様でございますね」
春齢様がまた息を吐いた。
「公方と朝倉左衛門督って同じなんじゃないかしら。自分勝手で周りを見ない。だから周りが何をしているか分からない。朝倉左衛門督も寿姫を追い出すつもりなんて無かったのかもしれない。ただ寿姫に関心が無かった。そして気付いたら周りが勝手に動いて離縁する事になっていた」
なるほどと思った。そうなのかもしれない。面白い見方をすると思った。
「一昨日? うん、その前の日ね。ちょっと寿姫と話したの。兄様は御台所は離縁した方が良いって考えているらしいの。私もそう思う。寿姫も太閤もそう考えているみたい。でも御台所はそう考えていないの。慶寿院を見捨てる事は出来ないって。自分が逃げたら近衛は慶寿院を見捨てる事になる。そうなったら近衛のために嫁ぐ女は居なくなるって……」
「なんと……」
正直驚いた。御台所がそんな事を考えているとは……。近衛に生まれるという事はそういう覚悟を持つ事なのか……。
「それを聞いたらね、私何も言えなくなったの。私は本当なら寺に行く運命だった。でも兄様が助けてくれた。そして兄様の妻になった。幸せよ。寿姫も幸せだって言ってた。兄様は頼り甲斐が有って私達を守ってくれる。今も私達のために戦っている。でも御台所は違うの。御台所を守らなければならない公方は全然頼りにならない。御台所は私や寿姫をどう思うかなって」
春齢様が視線を伏せた。
「羨ましいわよね。そう思うでしょう?」
「はい」
私が同意すると春齢様が頷いた。
「あの人、以前私の事を羨ましいって言ったの。兄様の妻で羨ましいって。私は御台所が兄様の事が好きなんだと思って面白くなかった。今でも兄様が好きなのかもしれない。でもそれだけじゃ無かったのかも……。あの人、寂しかったんじゃないかしら」
春齢様がぼそぼそと言った。
「御台所なのよ。武家の棟梁の妻。誰もが羨む立場だわ。それなのに公方は全く頼りにならなくて幕臣達に命を狙われ逃げているの。公方が頼りになれば、公方が自分を守ってくれればって思ったんじゃないかしら。そして兄様みたいな人が公方だったらって思ったんじゃないかしら」
「かもしれませぬ」
私が同意すると春齢様も頷いた。あのお方なら頼り甲斐の有る公方になるだろう。御台所も安心して寄り添えたに違いない。
「恨んだと思うの。何故公方が夫なのか、何故兄様が公方じゃないのかって。それに公方は近衛を避けていて兄様が近衛を助けている。自分が何のために生まれ、何のために公方に嫁いだのか分からなくなったんじゃないかしら」
「……」
「私も分からなかった。何故自分が生まれてきたのかって。尼になる事しか許されてなくて毎日毎日寺に行けって言われるんじゃないかって怯えていた。居場所が無い、先が無いって苦しいのよ。凄く惨めなの。真っ暗な寒い部屋で一人で居るみたいなの。出口も無ければ灯りも無い。声を上げても誰も助けてくれない。泣いても叫んでもどうにもならない……。御台所も同じ思いをしてきたんだと思ったら……、嫌いになんてなれない……」
春齢様の声が震えていた。帝の姫君がそんな思いをしてきたとは……。何か言おうと思っても言葉が出ない。
「見捨てる事は出来ないって言うのも精一杯の強がりなんじゃないかしら。そう思う事で自分が生まれてきた意味を作ろうとしているんじゃないかしら。離縁したって惨めなのは変わらないの。逃げたって蔑まれるだけなんだから。そう思うとね、私には御台所の悲鳴みたいに聞こえるの」
春齢様が鼻を啜った。嗚咽が漏れる。
「私は明るいところへ出られた。寿姫も出られた。でも御台所は未だ一人で真っ暗な部屋に居るの。そして悲鳴を上げている。あれは、あれは昔の私なのよ!」
春齢様の目から涙が零れ落ちた。