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作品タイトル不明

意趣返し

永禄五年(1562年) 四月上旬 山城国葛野郡 桔梗屋 当麻葉月

「厄介な事になりましたね」

私の言葉に小雪殿が”はい”と頷いた。表情が険しい。相当に危機感を抱いているのだと思った。

「襲撃は防ぎましたし脅迫も頭中将様が上手く対処しました。これで一安心かと思ったのですが……」

小雪殿が溜息を吐いた。近衛家を狙う者が居る。正体が分からない。探っていた武士は三日目以降は現れなかった。そして新大典侍……。

「西洞院大路の家は探られていませんか?」

「はい、今のところは探られていません」

「では気付いていないのですね?」

「おそらく」

小雪殿が頷いた。太閤殿下、御台所様、寿様の三人は近衛家の家人と共に密かに西洞院大路の家に移った。その一方で頭中将様は近衛邸に滞在している。太閤殿下、御台所様、寿様の三人が近衛邸に居ると思わせるために。

「一体何者なのでしょうね」

「厄介なのは相手の狙いが分からない事です。公方様に若君が誕生した事を考えれば御台所様と思えますが探られたのはその前日です。いささか腑に落ちませぬ。それに探りを入れてきたのが武士です。これも腑に落ちませぬ。何故忍びではないのか?」

小雪殿が眉を寄せた。

「腑に落ちぬ事ばかりですね。どう考えれば良いのか」

「頭中将様は狙われているのは太閤殿下ではないかとお考えです」

太閤殿下を?

「それは?」

「太閤殿下が居なくなれば近衛家の勢威は減少します。慶寿院様も御台所様も力を失いましょう。御台所様を離縁し易くなると」

「なるほど、十分に有り得る事です」

将軍家の世継ぎ問題とは関係無く純粋に近衛家の勢威を弱めたいと思ったのかもしれない。それならば太閤殿下が狙われるのは分かる。待て、近衛家の勢威を弱めたいのは二条・万里小路も同じ。となればそちらが太閤殿下を狙う可能性も有るが……。

「本当は頭中将様にもこちらの邸にお戻り頂きたいのですが……」

小雪殿が息を吐いた。

「あちらに人を送ったのでしょう?」

「はい。五人、送りました」

「ならば滅多な事で遅れはとりますまい」

小雪殿が”ええ”と頷いた。もっとも彼女の表情は曇っている。納得はしていないのだと思った。

「それより新大典侍の事ですが狙いは寧仁様ではなく帝という事は有りませぬか?」

「帝? まさか……」

小雪殿が呆然としている。

「帝が亡くなられれば次の帝は誠仁様です。寧仁様は幼過ぎるでしょう。そして太閤殿下が亡くなれば……」

「二条様、万里小路様の勅勘を解く事は難しくない……」

小雪殿が呻くように言った。

「考え過ぎかもしれません。しかし二条様、万里小路様は追い詰められています」

「そうですね。尋常の手段では復帰出来ないと考えれば……」

私が頷くと小雪殿も頷いた。有り得ないとは言えない。そしてそれが真実なら近衛邸を探る動きと新大典侍の動きは繋がっている事になる。

「厄介な事になりました」

私の呟きに小雪殿が頷いた。……足音が聞こえる。近付いてくる。軽い音だ。女だと思った。小雪殿と二人、足音を待つ。部屋の外で止まると”失礼します”と言って戸が開いた。使用人の花だった。

「御寮さん、お客様が」

「お客様? どなたです?」

”それが”と花が戸惑いを見せた。

「三雲様と仰る武家の方です。そちらの西洞院大路の飛鳥井家の方にもお会いしたいと」

小雪殿と顔を見合わせた。甲賀の三雲という事は……。

「お若い方ですか?」

花が”はい”と頷いた。三雲新左衛門か……。

「こちらへお通ししてください」

「はい」

花が戸を閉めて去った。小雪殿と顔を見合わせた。

「わざわざ小雪殿の事を口にしたという事は……」

「何か知っているという事でしょう」

どちらだろう? 近衛か、万里小路か……。

足音が聞こえた。二つ。一つは軽い足音。花のものだろう。もう一つは重い、男の足音だ。敢えて消していないのだと思った。

「こちらです」

花の声と共に戸が開いた。三雲新左衛門が笑みを浮かべている。部屋の中に入ってくると戸を閉めて入り口付近に座った。私と小雪殿、新左衛門で三角を作る形になった。

「妙なお客じゃな、新左衛門殿。何故此処に?」

「いや、畠山の事でちょっと拙い事になった。そちらにも関わりが有る。報せておけと言われた」

畠山? 近衛でも万里小路でもない? それに言われた?

「父御の対馬守殿かな?」

「御屋形様じゃ」

思わず息を飲んだ。六角左京大夫? 小雪殿も目を瞠っている。

「ほほほほ、妙な話じゃな。それなら左京大夫様が頭中将様へ直接伝えれば良いだけではないかえ?」

「公に出来る話ではないのだ」

「益々妙な話じゃ」

新左衛門が顔を顰めている。

「聞きたくないか?」

「いいや、聞く」

この辺で勘弁してやるか。小雪殿も可笑しそうにしている。

「畠山が頭中将様と六角に意趣返しをしようとしている。分かるな?」

新左衛門が渋い表情で私と小雪殿を見た。

「ほほほほ、武略が拙いの事かえ?」

私が問うと新左衛門が頷いた。

「今回の三好との戦で最も損害を与えたのは畠山だ。豊前守を討ち取ったのだから本来なら畠山尾張守様は武功第一、そう讃えられて良い。実際一度は讃えられた。だが今では尾張守様は武略が拙いと蔑まれ嗤われている」

「京へ攻め込みませんでしたからね」

小雪殿の言葉に新左衛門の表情が益々渋くなった。

「元々はっきりとした方針が有ったわけではなかった。六角と畠山で取り決めたのは日を決めて共に戦う、それだけだったのだ。勝てるという確証は無かったからな。それ以上の取り決めは無理というものだ。だから畠山が豊前守を討ち取る程の勝利を収めた事には驚いたし畠山勢が飯盛山城に向かってもそれを咎める事は出来ぬ。約束を破った訳ではないのだからな」

「……」

「だが現実はそうではない。皆が何故京に攻め込まなかったのかと尾張守様を非難する。尾張守様は何故自分が責められるのか、貶められるのか納得が行かずに怒っている。まあ、当代随一の軍略家に武略が拙いと嗤われたのだ。武将としての面目が丸潰れだという憤りも有る」

小雪殿に視線を向けると小雪殿が首を横に振った。

「あれは六角が責められないようにするための方便ですよ。尾張守様はそれが分からぬと?」

小雪殿の声には呆れたような響きがあった。

「勿論分かっている。だが公方様は分からない。畠山が京に攻め込んでいればと嘆き幕臣達はそれに迎合する。そして三好を討てと責められるのは尾張守様だ」

「畠山に上手く貧乏くじを引かせましたな」

私の揶揄に新左衛門が顔を顰めた。

「少々噂を広め過ぎたかもしれぬ。中途半端では六角が責められかねぬと思ったのだが……」

私と小雪殿が笑うと新左衛門も困ったように笑った。

「それで、意趣返しとは?」

私が問うと新左衛門が表情を改めた。

「頭中将様と六角の顔を潰す事を考えているらしい。畠山を唆しているのは進士主馬頭だ。父親の美作守も絡んでいるかもしれぬ」

進士? 小雪殿に視線を向けると小雪殿が頷いた。ようやく繋がってきた。近衛家を探っていたのは畠山か……。

「具体的には何を?」

小雪殿が問い掛けた。

「四十人ほどで近衛家を襲撃し太閤殿下、御台所、寿姫様のお命を奪う事を考えているようだ。頭中将様に痛手を与えると共に京の治安を任された御屋形様の顔を潰す。上手く進士に唆された」

「若君が産まれましたからな」

私の言葉に新左衛門が一つ息を吐いた。

「長くは生きられぬ。滑稽だと思っているのだろう?」

「……新左衛門殿は?」

「滑稽だと思っている」

滑稽だと言っても笑ってはいなかった。哀れんでいるのだろう。

「ところで、襲って来る者の素性は?」

問い掛けると”武士だ”と答えがあった。

「そこがよく分かりませぬ。忍びでは無いのですか?」

小雪殿が問うと新左衛門が頷いた。

「今回の一件、腹を立てているのは尾張守様だけでは無いのだ。畠山家中にも怒っている者が居る。三好と戦うよりも畠山の武威を蔑む者へ報復するべきだとな。忍びの力など要らぬと意気込んでいるらしい」

なるほど。だから武士か……。

「しかし邸の間取りなど何も分からぬのでは?」

私が問うと新左衛門が首を横に振った。

「二条様、万里小路権大納言様が大凡の間取りを教えたらしい。その事も忍びの力など要らぬと武士達を強気にさせている」

となると近衛の邸を探った武士は周りを歩きながら二条達から聞いた間取りを確認したのか……。屋根の形、配置からそれなりに得たものは有っただろう。

「そして畠山家中にはそれを危険視する者も居る。六角と畠山の関係をこれ以上悪化させるべきではないとな。今回の情報はその人物が送ってきたものだ」

甲賀が探り出したものではないのか……。畠山家中からの報せ。相当に危惧しているのだと思った。油断は出来ない。

「それで、六角家はどうするのです?」

小雪殿が訊ねると新左衛門が息を吐いた。

「六角は動けぬ。下手に動けば畠山は内部から情報が漏れたと疑念を抱くだろう。我らに情報を流した者が疑われる事になる。だから私がここに来た」

「つまりこの件、畠山家中でも知っている者は限られていると?」

新左衛門が私の問いに”その通りだ”と頷いた。

「尾張守様から相談を受けたのは五人だ。情報を送ってきた者は自分の身が危うくなるような事はしないでくれと念を押してきた。情報を流したと尾張守様に知られれば殺されると危惧している。それだけ尾張守様は本気だという事だ」

五人……。尾張守の傍近くに居る重臣達だろう。或いは……。

「では我らだけで凌げと?」

新左衛門が頷いた。

「近衛の邸を探った者が居る。そなた達も気付いているな。だから近衛家の方々を飛鳥井家に移した。その者が戻り次第、四十人が京へ向かう手筈になっているそうだ。いずれも畠山家では武名高い者達らしい。浪人者達とは違う」

「では今頃は?」

問い掛けると新左衛門が”ああ”と言った。

「多分畠山の陣に戻っただろう。四、五日もすれば襲ってくる」

小雪殿に視線を向けると小雪殿が頷いた。私も頷く。敵の正体が分かった。それだけでもこちらが有利になった。

「他にこちらに伝える事は?」

問い掛けると新左衛門が”いや、無い”と答えた。甲賀は新大典侍の動きを押さえていない? 念のためだ。もう一押し。

「新大典侍の動きは知らぬと?」

新左衛門が訝しげな表情をした。やはり知らないらしい。

「何か有るのか?」

小雪殿に視線を向け頷くと小雪殿も頷いた。

「毒を使おうとしているのかもしれませぬ」

新左衛門の表情が厳しくなった。

「毒だと? 寧仁様か?」

「或いは帝か」

私の言葉に新左衛門の顔が強ばった。

「馬鹿な」

声が小さい。

「確証は無い。疑念だけだ。だが畠山の件に二条、万里小路が絡んでいる。こちらも絡んでいるかもしれぬ。有り得ぬと思うか?」

新左衛門が息を吐いた。

「……分かった。こちらでも調べてみよう。何か分かり次第連絡する。その代わりと言っては何だがこちらの頼みも聞いて欲しい」

なるほどと思った。ここに来たのはこちらが本筋だろう。

「何かな?」

「米を売って欲しい。我らにではないぞ。朽木にだ」

「朽木に?」

問い返すと新左衛門が頷いた。

「我らは朽木から買う。摂津には攻め込む事は無いと約束してな。これなら三好も煩い事は言わぬ筈だ」

思わず噴き出した。小雪殿も笑っている。

「面白い事を考えるな、六角は。良いのかな? 畠山がからくりを知れば怒るぞ」

「構わん。誰から買おうと米は米だ。米が無ければ兵が餓える」

六角も兵糧では相当に苦しんでいるのだと思った。悪くない。此処で恩を売っておけば何かと見返りは有るだろう。

「如何程かな?」

「取り敢えず千五百石」

「分かった。摂津から丹波、近江へと荷を運ぶ。少し時が掛かるが?」

新左衛門が頷いた。

「四月一杯に朽木に運んで貰えれば良い」

「承知した」

こちらが応じると新左衛門が”では頼む”と言って席を立った。足音をさせずに去って行く。さて、こちらも動かねばならぬ。先ずは頭中将様にお報せしなければ……。棟梁にも報せなければならぬ。

永禄五年(1562年) 四月上旬 山城国葛野郡 近衛前久邸 飛鳥井基綱

目の前に葉月が居る。その後ろには近衛家を守る山地玄斎、五木万造、林田左近、馬木甚兵衛、夏川彦蔵、杏、知花、志穂、智。そして飛鳥井の邸からこちらに来た柴田左之助、巳之助の兄弟、香川助八、秋山信蔵、萩が居た。皆、表情が厳しい。まあそれも分からなくはない。畠山尾張守、どうにもならんな。理性よりも感情を優先させる男らしい。

「如何なされました?」

「ん?」

「お笑いになられましたが?」

葉月が訝しげに問い掛けてきた。他の者も訝しげに俺を見ている。そうか、俺は笑っていたのか……。自然と苦笑いが出た。

「世の中、馬鹿が多いと思った。本来なら麿に報復する事よりも三好に勝つ算段を考えるべきでおじゃろう。勝てば詰まらぬ誹謗中傷など消え去ろうに……」

「勝てないと思ったから報復しようと考えたのかもしれませぬ」

杏が”うふ”と笑った。六十を過ぎているのに妙に色っぽいんだよな。困った婆様だ。

「勝てないなら逃げれば良い」

「名門畠山です。三好を相手に逃げる事は出来ますまい。それに公方様から三好を討てと尻を叩かれております」

山地玄斎の言葉に彼方此方から笑い声が上がった。

「面子で戦か? やはり武略が拙いわ」

また笑い声が上がった。可笑しな事なんて言ってないぞ。戦はクソリアリズムだよ。命が掛かっているんだからな。

「まあ良い。これで敵が分かった。その狙いもな」

「新大典侍の狙いがはっきり致しませぬ」

「そうでおじゃるの」

「或いはですが帝という事はございませぬか?」

帝? 葉月がとんでもない事を言った。

「探っているのは養母上の部屋だが?」

「寧仁様のお命を奪えれば良し、それが無理なら帝を」

なるほど、帝か……。万里小路は王家と密接に繋がる事で繁栄してきた家だ。帝にも万里小路の血は流れている。本来なら有り得ない。しかし現状は万里小路にとって大ピンチだ。それを思えば帝の暗殺は起死回生の一手ではあるな。あとは実行出来るだけの覚悟が有るかだが……。

「有り得ぬとは言えぬ。だが外で話すには証がおじゃらぬ」

俺の言葉に葉月が頷いた。

「畠山と新大典侍、繋がっておりましょうか?」

五木万造が問い掛けてきた。

「畠山を唆したのは進士だ。そして二条も絡んでいる。繋がっていると見るべきでおじゃろう」

待てよ、幕臣達は帝に対して決して良い感情を持っていない。帝の事を親三好だと判断しているだろう。となると暗殺は十分に有り得るな。証拠うんぬんなんて言ってる場合じゃなくなった。待っている余裕は無い。こちらから仕掛けよう。先ずは帝に報せなければ……。それに万里小路三位宰相にも話しておいた方が良いな。堺の商人の件も葉月に話さなければならん。いや、その前に畠山をどうするか、それを考えなければ……。どうするかな?