軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

若君誕生

永禄五年(1562年)四月上旬 山城国葛野・愛宕郡 平安京内裏 正親町天皇

「御宸襟をお騒がせし事、真に申し訳おじゃりませぬ。心よりお詫び申し上げまする。なれど臣等親子、決してあのような恐ろしい企てに加担した事実はおじゃりませぬ。その事、天地神明にかけて誓いまする」

三人が平伏した。随分と大袈裟なと思った。

「良く正直に話してくれた。案ずるな、朕がそなた達の潔白を疑うような事は無い。これからも以前の如く務めよ」

”はっ!”と三人がまた畏まった。

「下がって良いぞ」

三人が下がるのを見届けてから下座で控えていた頭中将を手招きして呼び寄せた。謝罪には頭中将だけが立ち会っている。

「八歳の息子まで連れてこずとも良かろうに」

小声で言うと頭中将が目で笑った。

「大炊御門家に養子に押し込んだ大事な御子息でおじゃります。傷が付かぬようにとの配慮でおじゃりましょう。親心かと」

「そうだな」

権大納言中山孝親、左近衛少将中山親綱、大炊御門家に出した養子。権大納言は五十歳と聞いた。息子の左近衛少将は十九歳、大炊御門を継いだ養子は……、経頼と言ったか。未だ八歳で従五位下の位階を授けたが官職は無い。しかし清華家の大炊御門家を継いだのだ。いずれは大臣をと期待してもおかしくはない。ここで傷は付けたくないと必死なのだろう。

五十を越えて子供達は年若く位階も低い。権大納言は不安であろうな。

「信頼していたのだがな」

落ち着きが有り誠実さも有る。若い頃に頭中将を務め父上の傍に侍った事も有る。父上も権大納言を信頼していたのだが……。頭中将を見た。視線を伏せて控えている。権大納言は面白く無かったのかもしれぬな。自分の息子は十九才で左近衛少将。決して出世が早いとは言えない。頭中将は十四才だ。なかなか決断出来なかったのは、いや二条達の誘いを断らなかったのは息子の将来を考えて迷ったのかもしれぬ……。

「ようやく終わったか」

「はい、長らく帝のお手を煩わせました」

「そうだな、ははははは」

巧まずして笑い声が出た。あの三人で謝罪は終わりだ。ようやく解放された。二条や万里小路のせいで余計な手間をかけさせられたわ。だがこれで宮中も落ち着くだろう。その事を言うと頭中将が頷いた。

「そなたのお陰だ。礼を言うぞ」

「畏れ多い事におじゃります」

「後は畠山、三好の戦次第か」

「はい」

「三好が勝つのだな?」

問い掛けると頭中将が困ったように笑った。

「直に四国から三好勢が摂津に上陸致しまする。そうなれば兵力で三好は畠山を圧倒致しましょう。それに兵糧でも畠山は苦しんでおじゃります。三好にはそのような不安はおじゃりませぬ。圧倒的な有利とは思いまするが確約は出来ませぬ」

「うむ、六角は動かぬのだな?」

「はい」

頭中将が頷いた。うむ、十分よ。三好は勝てる筈だ。三好が勝てば六角も兵を退くだろう。戦は終わる。

「ようやく戦が終わる。京を戦火から守る事が出来た。頭中将、そなたのお陰だ」

もう一度労うと頭中将が首を横に振った。

「未だ戦は終わっておりませぬ。それに、直に公方に子が産まれまする。それが新たな火種になりかねませぬ」

「うむ」

そうだな、それが有った。産まれてくる子は殺されると頭中将は見ている。私もそう思う。子が殺されたと知れば公方は今まで以上に三好を憎むだろう。

「あと三年か」

「はい」

頭中将が頷いた。三好修理大夫はあと三年で死ぬ。頭中将はそう見ている。有り得ぬとは言えぬ。修理大夫は戦場に出ないのだ。相当に問題が有るのだろう。三年後に死ぬ可能性は日に日に高まっていると思わざるを得ない。公方と三好の関係が改善しないまま修理大夫が死ねば公方は殺されるだろう。武家の棟梁である修理大夫が死に征夷大将軍である公方も死ぬ……。

天下は間違いなく混乱する。頭中将の言う通りだ。未だ何も終わってはいない。むしろ危機は確実に迫っている……。頭中将に視線を向けた。いつも通りだ。何も変わった所は無い……。

「頼りにしている」

「はっ!」

頭中将が畏まった。また苦労をかけてしまうな。春齢に、いや太閤の娘にも頭中将を労るようにと文を書こう。せめて休める所を作ってやらねば……。

永禄五年(1562年)四月上旬 山城国葛野・愛宕郡 平安京内裏 飛鳥井基綱

「養母上」

声をかけて部屋に入ると養母は寧仁様を寝かし付けているところだった。俺を見てニコッと笑ってくれた。

「先ほどまでちょっとグズっていたのですけれど」

寧仁様の傍に座った。

「そうでしたか」

赤子はすやすやと眠っている。少し大きくなったような気がする。順調に育っているのだろう。

「日に日に大きくなりますね」

俺の言葉に養母が嬉しそうに顔を綻ばせた。

「ええ、時々その事に気付いてびっくりします」

「帝もお喜びでしょう」

「良く寧仁様を見ておられますよ」

厳しい日々が続いたからな。帝にとっては寧仁様の顔を見るのが唯一の慰めだったのかもしれない。

「昼間、藤典侍が来ました」

「そうですか」

「そなたに宜しくと言っていましたよ。忙しそうなので声をかけるのは控えているそうです。例の拝謁の件が有りましたから……」

まあね、帝の傍で立ち会ったからそれは確かなんだけど声を掛け難いとか有るんじゃないかな。その事を言うと養母が困ったような表情をした。

「麿は気にしておじゃりませんが……」

溜息が出そうになって慌てて堪えた。持明院に嫁いだ実母は俺に関わろうとしない。藤典侍はそれを知っている。俺に対して良い感情は持っていないだろう。春齢も昔、藤典侍が俺を恐れていると言っていた。

「姉上の事は関係無いと思いますよ」

「……」

「そなたの勢威が強いので恐れているようです」

あー、それか……。養母が益々困ったような表情をした。

「そなたが出世に興味が無い事は分かっています。二条様達の事も京を戦から守るためにした事です。邪な気持ちからでは有りませぬ」

養母は俺を信頼してくれる。有り難い事だ。確かに俺は京を守るために戦った。権力を欲したわけではなかった。でもね、あの一件は間違いなく権力闘争だよ。近衛・飛鳥井・三好対二条・万里小路・足利。朝廷、幕府を巻き込んだ一大政争だったんだ。それは否定出来ない。そして俺はその政争の主役の一人だった。まあ二条や万里小路よりはまし。そのレベルでしかない。

「ですが大勢が宮中を去りましたから……」

養母の表情が暗い。ここは明るく行こう。

「仕方がおじゃりませぬ。養母上もお気になさってはいけませぬ」

養母が曖昧に頷いた。昔はね、俺が帝に会って人払いを願うと皆が露骨に不満そうな顔をした。でも今はそそくさと立ち去るよ。顔を背けてね。蔵人所でも皆怖がっている。頭弁も俺に凄く遠慮するんだ。勘弁して欲しいよ。

「そなた、疲れてはいませんか?」

「は?」

「いえ、私達を守ってずっと気を張ってきたのでしょう。疲れているのではないかと思ったのです」

養母上……。有り難いね。養母は心配そうに俺を見ている。俺を恐れていない。養母にとって俺は本当の息子なんだ。

「落ち着いたら蔵人頭を辞するつもりでおじゃります。そして春齢を連れて朽木に行こうかと考えておじゃります」

「まあ、朽木に?」

「はい、温泉が有りますので疲れを取ってこようかと」

養母が顔を綻ばせた。

「良い事です。身体だけではなく心も休めるのですよ」

「養母上、未だ先の事でおじゃりますぞ」

「そうでした」

二人で声を合わせて笑った。養母も連れて行きたいけど無理だよなあ。お土産を買ってこよう。

それから少し他愛ない話をして養母の元を辞した。部屋を出る間際、松が近付いてきて紙縒りを俺の手に握らせた。松が頷くから俺も頷いた。厄介事らしいな。

永禄五年(1562年) 四月上旬 山城国葛野・愛宕郡 西洞院大路 飛鳥井邸 飛鳥井基綱

邸に戻ると春齢が出迎えてくれた。春齢の後ろには小雪と七恵。その後ろには山川九兵衛と堀川党の佐多五郎が控えていた。

「お帰りなさい。今日は早かったのね」

「うむ。九兵衛と五郎に話さなければならない事が出来た。どうやらそちらも麿に話があるようだな」

九兵衛と五郎が頭を下げた。二人の表情が厳しい。どうやら厄介事のようだ。不思議だよな。どうして厄介事ってのは重なるんだろう。

「部屋で話を聞く。春齢、着替えは後だ」

春齢が詰まらなさそうに頷いた。着替えを手伝うのを楽しみにしているからな。でも昔のように不満を口にしなくなった。その分だけ自分を抑えているのだろうと思うと時々心配になる。部屋に入って居ずまいを正した。

「それで何が起きた?」

訊ねると九兵衛と五郎が顔を見合わせた。

「若君、誕生にございます」

九兵衛が低い声で報告した。溜息が出そうになって堪えた。子が出来るのは分かっていた。しかしね、男子かよ。まあ二分の一の可能性だからおかしな話じゃない。それでも思う。神様ってのは残酷で意地悪だってな。

「今日か?」

「申の正刻と主膳より報せが」

今度は五郎だ。報せは堀川党からか。まあ義輝達は芥川山城に居るから当然か。申の正刻という事は大体午後四時だな。となると若君誕生の使者が来るのは早くて明日か。いや、無事に育つのを確認し赤子に名を付けてからだろう。となると最低でも五日、いや十日くらいは先だな。早くて四月の中旬、遅ければ五月の初め頃になるかもしれない。

「母子ともに健康なのだな?」

二人が頷いた。

「公方様も幕臣達も大喜びなのだとか。若君が勝利を齎すに違いない。吉兆だと浮かれているそうにございます」

五郎が皮肉そうな笑みを浮かべている。吉兆? 戦で勝てると思っているのかな? 験担ぎで勝てるほど戦は甘くないぞ。いや、これで近衛を排斥出来ると思ったか。馬鹿な連中だ。その赤子は足利と三好の争いをより陰惨なものにするために作られた地獄からの贈り物だ。関係者は誰も幸せになれん。

「五郎、主膳が動くのは何時だ?」

俺が問うと九兵衛も五郎を見た。五郎が顔を強ばらせて首を横に振った。

「分かりませぬ。ですが戦が終わってからではないかと」

「そうだな。先ずは戦に専念だな。赤子は動けぬからな」

俺が”うふふ”と笑うと今度は九兵衛も顔を強ばらせた。

「この件は良いな?」

俺の問いに二人が頷いた。

「では近衛の玄斎にも伝えておけ。今度は麿の話だ。最近、養母上の部屋を頻りに探ろうとする女官が居るらしい。松からの報せだ。間違いはおじゃるまい」

また二人が頷いた。

「何者でございますか?」

九兵衛の問いに何故だか”ふふふ”と笑ってしまった。

「新大典侍の傍に居て随分と信頼された女官だ」

五郎が眉を上げた。

「似顔絵の女でございますか?」

「そうだ」

「佐奈、登米、二人居りますが?」

「両方だ」

似顔絵を松と梅に頼んだのは去年の十一月だったな。

「その女達は屡々万里小路家に出入りしております。おそらくは新大典侍に宮中の内情を漏らしているのでございましょう」

「それだけなら良いのだがな、九兵衛」

九兵衛と五郎が顔を見合わせた。そして俺を見た。

「あの連中は頻りと宥免を勝ち取ろうと動いているが悉く失敗した。大分焦っているようでおじゃるの。その中でも一番焦っているのが万里小路でおじゃろう。誠仁様のお立場が危うくなると心配なのだ。そして信頼する女官達に養母上の部屋を探らせ始めた。部屋には寧仁様も居る……」

二人の顔色が変わった。

「毒殺……」

五郎が呟く。

「分からぬ。だが誠仁様のお立場が不安定になるのに万里小路には防ぐ事が出来ぬ。あの女官にも無理だ。となれば競争相手を殺してしまおうと考えてもおかしくはおじゃらぬ。それなら女官にも可能性はおじゃろう」

出来るかどうかは分からない。しかし出来るんじゃないかと考えたのかもしれない。

「始末致しますか?」

九兵衛が低い声で訊ねてきた。おいおい、殺気がプンプン臭うぞ。

「いや、万里小路に行く筈だ。その時に身柄を攫え。ここへ連れて来るのだ」

「はっ」

九兵衛が畏まった。松達には毒に気をつけろと言わねばならんな。

二人が立ち去った後、春齢が入ってきた。直ぐに甲斐甲斐しく着替えを手伝い始める。

「春齢」

「なあに?」

邪気のない春齢の顔を見ると胸が痛んだ。教えるのを止めようかと思ったが意味が無いと思った。春齢は知らなければならない。

「小侍従が子を産んだ」

「!」

目を見開いている。

「男子だ。母子共に健康だと報せが入った。世継ぎが産まれたのだ。目出度い事だな。公方、幕臣達は大喜びらしい」

瞳が揺れた。手も震えている。春齢が目を伏せた。

「止められないのよね」

声も震えている。

「無理だ。足利は一線を越えた。多分、自分達が一線を越えた事に気付いていないだろうがな」

「……三好は報復するのね?」

「ああ、やられた以上やり返す。そうなれば足利も自分達が一線を越えた事に気付くだろう」

春齢が顔を上げた。

「御台所は、寿姫は知っているの? 殺されるって」

「いや、知らない。あの二人は十河讃岐守が毒殺された事も知らない」

春齢が”そうよね、知らないのよね”と言った。

「明日、近衛に行く。全て話す」

春齢がまた顔を伏せた。

「兄様、有り難う」

「……」

「私に話すの躊躇ったでしょ。分かるのよ、私」

「そうか……」

春齢が顔を上げた。懸命に笑みを浮かべている。痛々しかった。

「私は大丈夫だから」

「そうか」

春齢が抱きついてきた。

「大丈夫だからね」

「分かっている。大丈夫だ」

震えている春齢を抱きしめながら思った。大丈夫だと……。